数えで十三になる正月元旦。とと様に呼ばれた調合部屋。ああ、いよいよかと、部屋の扉の前で佇む。声が掛けられるまで入ってはいけないという規約を守り、しゃがれた声を待つ。
「おうい。永子。そこにいるな」
「はい、とと様」
「火ネズミの尻尾が丁度お前の方に転げてしまった。そいつを取りつつ中に来てくれ」
「はあい」
一見薄い引き戸を開けて中に入る。干したニガヨモギにトリカブト。マンドレエクの根っこやベニテング。その他あらゆる生物から採取した体毛、体液、骨や肉。虫の粉末なんかも小瓶に入れられ、そこら中に転がっている。薄暗い調合部屋は西洋から輸入した材料でいっぱいだった。小さい頃なんかはむやみに手を出すもんで、よくとと様に怒られたものだ。
とと様に言われた通り、私の一寸先にあった火ネズミの尻を摘む。足下に転げていた渦巻き状のそれを使っていたということは、目覚め薬でも作っていたのだろうか。摘んだそれを渡すべく部屋の奥へと進んでいく。
「とと様、はい」
「ありがとうよ。空いてる処に座っておくれ」
モノで溢れた部屋のなかで、空いているところなぞ、とと様が今使ってる鍋や鉢の側くらいだというのに。いくら私が小さいからって、とと様は大雑把な人だ。とりあえず巻子本や大きめの瓶などをどけて、畳の目を探す。
『おいで、おいで』
ガサゴソと探し当てた畳には勿論座布団なんてものはない。モノで溢れかえる部屋の座布団は、とと様の後ろにある天井近くの棚。モノが多いし、背も低い。そんな時に便利な呪い(まじない)をここぞとばかりに使ってみた。
するとどうだろう。棚から1枚、ひゅんと座布団が飛んで私の方に来るではないか。よしよし上手くいったと得意げな顔で、目の前のとと様をチラリと見る。手元の鍋に次々と材料を入れていきながらも、私の呪いを見てニヤニヤとしているとと様。どうですか、貴方の娘は成長したでしょう。
「無言術もできるようになったかい。そりゃあいい!永子、向こうでもそれは役に立つぞ」
いやはや流石俺の娘だぁ!なんて言って、上機嫌で鍋をかき混ぜているとと様。町人ながら大名様のお屋敷でお勤めしている人だからまあ、己の能力は理解してる。才ある人からそう言われてまんざらでもない。
よし、と言って鍋から手を離したとと様。ゆらゆらと湯気が踊っている鍋には、綺麗な透明の液体がたっぷりと入っている。どうやら目的のものは完成したようだ。鍋から匙を取り出し、冷ましがてら異物が入らない様にと丁寧に蓋をする。
漢籍等が山積みになっている卓の上を乱雑に退かし、まだ熱々の鍋を移動させて座る場所を確保したとと様はの顔は、楽しそうに鍋をかき混ぜていた顔から真剣な眼差しへと一変した。
「さて・・・まあお前も分かっているだろう」
「はい」
「多くは俺から語る必要もないだろう。術者ならば必ず通る道だ。危険は・・・ないとは言い切れん。だがまあ、ある意味その危険に会いに行くためとも考えられるが」
「・・・はい」
「生きる術を会得する。どんな世界でも生きられる術だ」
ただの修行。そう思っていた。けれど、旅立つ準備が整うにつれ、その幻想は崩されていった。この世界が背負っているものなぞ到底知る事ができないが、きっと、気楽に行くようなものではないのだろうと感じさせられた。
「・・・とまあ、ちょっとばかし脅してみたが、向こうにも協力者がいる。全く一人ってわけでもねえ。生活だって、呪いが表立って使えないぐれえだ。その辺のことは散々聞いてきただろうし、ちょっと気をはってやりたかったんだ。そう固まるんじゃあねえよ」
ぽんぽんと、頭の上を大きなものが跳ねる。いつの間にか力んでいた体が、スッと軽くなった。
「お前は種だ。でっけぇ種!これから芽を出して、茎を伸ばして!どんどんでかくなる!!!限界までなんでもやってこい!たった一年、されど一年!時は待ってくれんぞ!目一杯楽しんでこい!!!あ、あと行くとき母ちゃんにも声かけとけよ」
*****
いやに現実的な夢を見た。夢見の才はないから、過去の記憶だけども。ぱちりと開いた目はどうも閉まる様子がない。部屋は明るい。いや青白い。起きてしまおうか。そう思って、のそりと布団から上体を起こす。今日はたしか、隣町で。そう、「叔母さん」に言われた筈だ。早く起きて正解だったかもしれない。
いつもより早い身支度をして、朝餉までの間に絵図を眺めて予定を考える。ほうほうなるほどやっぱり似ている、と思いながら眺める異世界の地図。見慣れてない筈の見慣れた地名たちを目で追いながら、今日歩く道を頭にいれる。
お日様が大分顔を出してきたころ、絵図を私用の綴りに挟んで懐へとしまい込む。忘れちゃいけないと、矢立と「ペンダント」も一緒に仕舞い、最後の身支度を終えたところで家の人々が動き出したことが分かった。くんくんと美味しそうな匂いを辿って居間へと向かう。
ああ、美味しそうだ。私の世界ととても似ている別の世界。知っていて知らない世界に身を置いて早一月。危険なぞ全く気配を見せないこの町で、一人前になるべく今日もこの世界に身をなじませていく。
4.20.2018(公開)
8.15.2020(加筆修正)