第1話

見覚えのない大きなベッドの上で目が覚めた。大きな天蓋からは白いレースのカーテンが流れており、ベッドの傍バルコニーへ続く大きな扉から吹き込む風に揺らされていた。

ベッドから体を起こすと、ギシッとスプリングが音をたて分厚いマットレスが沈む。天蓋から流れるカーテンに合わせた、白いベッド。同じように、白いドレッサーと小さな机や椅子が並べられていた。どれも高そうな家具ばかりで私の部屋に並んでいるものとは違っている。

昨晩、仕事を終えたあと家に帰ったところまでははっきりと覚えている。その後に何がありここへ運ばれたのか、分かるわけもなく頭を抱える。
何か起こったのならば体に異変があるのではと全身を確認したが、異変などなく至って健康。ならばと、座ったままのベッドからおり部屋についている小さなバルコニーへと向かう。

ずいぶんと高いところにこの部屋はあるようで、下には森がひろがっていた。この景色に見覚えなどあるはずも無く、ますます頭は混乱していく。
続いて部屋の出入口の扉を開けようとするが、鍵がかかっているのかガチャガチャと音をたてるばかりだ。

「こらこら、あまりガチャガチャとすると鍵が壊れてしまう。やめてくれんかのぉ」

もう1度とドアノブを回そうとしたところで、扉の向こうから低くゆったりとした声が聞こえてきた。ジャラジャラと金属がぶつかる音の後、目当てのものが見つかったのかあったと小さな呟きがきこえた。呟きがきこえてすぐに扉の鍵があけられた。
ゆっくりとひかれた扉の向こうには、大きな角をはやした人。私を頭から足の先までみると、慌てたような素振りをみせて部屋に入った。

「おぉ、裸足で歩いては危ない。ベッドに戻るのじゃ」

そう言うと、私の手をとり、ゆっくりとベッドまで歩いてくる。長く鋭い爪が私の手に触れないようにと優しく握られ、抵抗することも忘れた私をベッドに戻す。そのまま近くにあった椅子を引き寄せ私と向かい合うように座った。

「はじめまして、嬢。わしが魔物を率いる魔王じゃ」

口元がゆるりと弧を描き、目が細められる。優しい顔と声が魔王とは思えずまじまじと彼を見つめた。私の知っている魔王というのは、人間を滅ぼそうと魔物を操っている残虐で非道な存在。今も細々と人間を襲い続け制圧しようと企んでいる。そう伝えられているのだ。

何も言わない私に困ったのか、彼はこてんと首を傾げ、腕を組む。くぐもったうなり声をあげるとぱっと顔を上げた。

「魔王を知らんか?」
「い、いえ、名前は知っています。ただ想像していた方と違っていたので。……少し驚きました」
「おお。そうじゃったか。たしかに、人には魔物は凶暴だと伝えるようにしておるからのぉ。儂は比較的人に近い姿じゃが、獣に近い者もおる。伝えられているほど気性は荒くないがのぉ」

うんうん、と頷きながら魔物の話をする。その様子があまりにも楽しそうで、自分の友だちを紹介するような口調で思わず呆ける。どんな魔物がいて、その特性は、食べるものは、湧いてくる話題一つ一つが私の知らない世界を広げる。

幼いころ、魔物は怖いものだと聞いた伝えを鵜呑みにした。近寄っては行けないと、ただ危ないと何度も言い聞かせられた。なんでという簡単な問いは大人の想いに消される。そうやって生きてきた。
だからこそ、不思議だったのだ。この人が連れてきた私に綺麗な部屋を宛がえ、私に向かい楽しそうに話をすることが。

「あの、魔王様がどうして私を」

彼はしっかりと合っていた目を一度逸らし、すぐに目線をあげる。もう1度私を捉えた目は先ほどまでと違い鋭く、肩が少し跳ねた。それをしっかりと見ていたようで、ふっと小さくため息をもらし重そうな口をひらいた。

「……人質、じゃよ」
「人質……?」
「そう。勇者と成り得る存在をおびき寄せるための、人質じゃ」

うまく言葉が飲み込めず、噛み砕こうと頭が一つ一つ意味をとりあげる。勇者はだれで、私の身近な人で、私を助けるためにここに呼ばれる。私を助ける人。両親はいない。誰を呼び出すために。どうして、彼は勇者を倒すためとは言わないのだろう。

何を答えればいいかわからず押し黙る私に、彼は小さな笑みを零し席を立つ。引いてこられた椅子を元の位置に戻すと、こちらを振り返った。


「……あとで食事を持ってこさせよう。嬢に何かしたりはしない。安心しておくれ」

一言呟いたまま、部屋の外へと出ていく彼になにも言えず、扉鈍い音をたてて閉まった。絞められた扉には鍵をかけないまま遠ざかっていく足音。
慌てて扉まで走り、勢いよく開けば想像していた何倍も大きな音をたてた。壊れて何か言われるのならばそれでいい。このまま彼が去れば私は本当の人質になり、何か言いたそうな彼の本心を知ることもできず、誰かも分からない勇者をまつのだと。それが何よりも恐ろしく感じたのだ


「魔王様!」
私の呼びかけを無視する事もなく、ゆっくりと振り返る。一度口を開くが言葉を出すことはなく閉じる。それでも視線はそらさず私を見つめている。

「私、あの、魔王様が、ええと」

思ったことを素直に伝えるのも違うのではと、体のいい言葉を探すが、何を言っても嘘をつくようで怖く口ごもる。言いたいことは確かにあるが、なにも出てこない。
彼をみつめたまま、あ、う、と言葉にもならない声をもらす。そんな私を見かねたのか開いたままの距離を詰められ、部屋と同じように手をとられた。彼の手を軽く握ると驚いたのか、鋭い目が一瞬見開かれゆっくりと元の形に戻る。優しく空いていたもう片方の手を重ねられ、私の手はその中にすっぽりと収まった。
収まったまま手を引かれ歩きにくいだろうと思ったが、離されない手が嬉しく私はさらに握る力を強くした。

「裸足で歩いては危ないと言ったじゃろう?」
「慌てていたので靴が見つからなかったんです」

変わらない優しい一言に言い訳を漏らせば、困ったようで眉をよせ笑った。自分の子供じみた言い訳が恥ずかしくなり視線をそらせば、喉をならし笑われ一層恥ずかしくなる。
部屋の中へ入ると彼は重ねていた片手をはずし、軽く扉を締めた。もう1度手を重ねベッドまで手を引かれる。ベッドの前でどうぞと促されるまま座ると、すぐ隣のチェストからタオルを取り出した。魔王と呼ばれる彼がすぐ前で跪き私の足を優しく拭いていく。思わず魔王様、と声をかけ止めようとしたが動くと危ないと声で制され大人しく終わるのを待つ。
片足ずつ丁寧に拭き上げられると、彼は立ち上がりドレッサーの中から靴を一つ取り出し私の足元においた。

「次から履いておくれ」
「……靴以外の物の場所も教えて頂けないと、困ります」
小さな声で漏らした言葉にしっかりと気づいたのか、彼は私の顔をのぞきこんだ。聞かれてしまった事を訂正できるはずもなく、視線をそらしあわてて言い訳の様な言葉を続ける。

「私はここの事知らないです。よく、分からないけど魔王様のこのお城で私はしばらくお世話になるなら、他のことも教え、て」
一息に言い訳を話し、彼がどんな顔をしているかも確認していなかったと慌てて顔をみれば、柔らかい笑みを浮かべこちらを見つめている。
ぐっと恥ずかしくなって息を詰まらせれば、喉を鳴らして笑われてしまった。


「お、教えて、ほしい、です」
「そんなふうに言われては断れんのぉ。ずるい娘じゃ」
最後の言葉を途切れ途切れに言い切れば、ゆっくりと立ち上がった魔王様が私の頭に手を起き、何度か撫でられる。
子どもをあやすような手つきだが、先ほどまでの緊張感が無くなった事にひどく安心した。

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