01
明朝、村から離れた街道はどこも雪景色で真っ白だった。あんずはぼろぼろになった草鞋と小袖一枚でその街道を歩いていた。歩いても歩いても、なにもない。あんずは刺すほどの寒さのなか凍えながら叔母に頼まれた団栗を探していた。
─しかし、そんなものは簡単にあるわけはないのだ。土は雪の下、こんな真冬の中、団栗などほとんど見つからないだろう。それを籠いっぱい持ってきてくれと言われた。それができないことは私にも、叔母にもわかっていた。…出来なければ帰れない。帰れば、あんずは罵倒を叔母に浴びせられてしまう。あんずにとって、本当に帰ってこれる場所などはとうの昔に無いのだった。
(カンカン寺へ寄っていこう)
あんずは凍える中でも足を止めなかった。彼女が唯一、束の間に癒える場所があったのだ。それは「カンカン寺」と呼ばれる場所だった。
街道を逸れたところにある濁流の川の橋を渡り、山道へと入る。人が一人入れるような細道があり、石の階段を登っていくと、なんとも言えない匂いがしてくる。それとともにけむりが漂っているのだ。
最後の階段を登り切ると、寺が見える。あんずはかじかむ足を急がせてその寺へと入る。木札には「霞観寺」と記されていた。
あんずが入ると気づいた中年女性がよって来た。
「あんずちゃん、またこんな時間に出されたのかい?」
「…はい」
「温まっていきなよ。好きなだけいていいからね」
「ありがとうございます」
あんずは顔見知りのその女性に挨拶すると奥の間へと出ていく。中庭を抜けた先にふきぬけの小屋があって、そこから煙が出ているのだ。
戸をゆっくり開ける。すると暖かな煙が身体を包む。ちょろちょろと水音が聞こえた。そう。ここは温泉のある寺なのだ。自分以外は誰もいない。あんずは小袖の腰から下を少し上げて草鞋を脱ぎ足を見せた。そして、ゆっくりと湯に足だけを入れる。真っ赤になった足の刺す痛みがじんわりと溶けていくような気がした。
度々外に追い出されるあんずにとって、これが日常だった。
しばらく湯に足をつけていたが、朝日が昇る頃に上がる。用意してくれた手ぬぐいで足を拭って外に出る。そろそろ戻らなければならない。憂鬱な気持ちになりながら、出入り口の門へ行くと先程の女性が竹筒を持って寄ってきた。それをあんずに手渡す。手に取るととても熱かった。
「これはここの温泉のカンカン湯。寒いだろうけど、それがあれば暖かいでしょう?飲めるのよ。身体にもいいから、帰りに飲んでちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
一言そう言って逃げるようにあんずはカンカン寺を離れた。それを心配そうに女性はいつまでも見送っていた。
【2】
水筒を握りしめながらあんずはぼんやり考える。…なぜ、自分は生きているのだろうと。
あんずの両親は商人で、あんずが十歳の時戦に巻き込まれて死んでしまった。偶然戦を逃れたあんずは父方の姉、つまり叔母の夫婦に預けられていたが、昔から店の相続で父を敵視していた叔母夫婦は自分を目の敵にしていじめてきたのだった。
「いっそ…私も死んでしまえばよかった」
ぽつりと呟く。涙も出てこない。あんずは涙を流すこともしなくなっていた。人は生きる意欲を持たなくなると涙も枯れてしまうのだと知った。
街道に戻ると大きな一本松があった。松にも雪が積もっている。黒くて大きな幹に何故かあんずはふらふらと近寄った。見上げるほど大きな松。呆然と眺めていると、松の根元ににこんもりと雪のちいさな山ができていた。あんずはそれが何だろうと雪を軽く払った。黒い布のような物が見える。服?と思った瞬間、その山は崩れた。─そして、崩れ落ちた雪から人の姿が出てきてあんずは驚いた。ちいさな悲鳴を上げる。
…人?…全く動かない。まさか…死体!?
真っ青になってあんずはその雪を払いのける。その体は少し小柄だがとても逞しい。男性のようだ。顔が見える。それは精悍な顔立ちだが、どこか少年や少女のようなあどけなさを感じる顔だった。
「あ、あの…あの!」
あんずの声は震えていた。生きてるかもしれないという気持ちと、死体かもしれないという恐怖。軽く肩をゆすると微かに男は息を洩らした。生きているのだ。
咄嗟にあんずは先程もらったカンカン湯をとりだす。まだ十分に温かいそれを男の頬に当てた。それに反応して、男は薄っすらと瞼を開けた。
「水…のま…せ…」
微かに聞こえる声にあんずは慌ててその竹筒の蓋を開けて男の口元に寄せると男は口を開けた。湯を流すとごくごくと喉を動かした。そしてしばらく待つと、分厚い身体が動き出した。それも突然に動き、あんずは男の身体に包まれた。
「へ!?ええ!!」
驚きすぎて抵抗ができなかったあんず。男はあんずを固く抱きしめるとその存在を確かめた。
「…なんだ。犬かと思ったのだが」
「犬じゃ、ないですっ!」
男と目が合う。まん丸とした瞳にゴツゴツした鼻。二十歳ぐらいの男に見える。
「いやすまん。…それより、さっきの白湯はまだあるか?」
「カンカン湯…?は、はい」
あんずが残りのカンカン湯を差し出すと男は一気に飲み干した。よっぽど美味しいのか、飲み終わったあとぶるぶると身体を震わせた。
「うーん!温まる!!最高だな。いやぁ、生き返った生き返った!!」
先程まで、冷たく青ざめていた男の顔の血色がどんどん色づいていく。まさしく息を吹き返した様子だ。
「あの、よかったです。では」
あんずは緊張していたのでその男からすぐに離れようとしたが、男はぐいとその手を引っ張る。
「まて。私を助けてくれたのは君だろう」
「助けたってほどでは、ないです…」
「ちがうな。助けただろう。命の恩人だ。私自身、もう駄目だと諦めていたからな」
男が何を言ってるかわからない。男はゆっくりと雪を落として立ち上がる。長身ではないが鍛えられた大きな身体。あんずは恐怖を感じて一歩下がる。
「…諦めた命だった。私が生きてるのは君のおかげだ。名前は?」
「え…」
「君の名前だ。言えないのか?」
「あ、えと、あんずです」
「あんずか。私は七松。七松小平太だ。小平太と呼んでくれ」
「七松さん?」
突然名前を呼んでくれと言われても、混乱しきったあんずには難しかった。違う!と小平太は不満そうに言った。
「小平太だ!」
「こ、こへいたさん」
あんずが言い直すがそれでも腑に落ちない様子の小平太。
「…呼び捨てでいいというのに。さっき、私は決めたぞ。あんずの側に仕えるのだと」
「仕える?あの、もうなにがなんだか…」
次から次へと変なことを口走る小平太にあんずは困ってしまう。そんなあんずをみて小平太は豪快に笑う。
「私はあんずに仕える。私の新たな主人はあんずだと言っている」
「あの、主人って?」
「そのままだ。私を好きに使っていいぞ。仕事でも飯炊きでも掃除でもかまわん。一番得意なのは戦だがな!がははは」
先程まで虫の息だったとは思えないほど元気に笑っている小平太。戦、という言葉からあんずはこの男が庶民ではないことを察した。あんずは黙って踵を返し、歩き出す。
「…」
雪を踏みしめる音が重なって聞こえる。小平太は後ろからついてきてるようだ。しばらく歩いててもやはりついてくる。あんずは耐えられなくなり振り返った。得体のしれない相手に恐怖していた。
「あのっ、なんでついてくるのですか」
勇気を振り絞りあんずが言うと小平太はあっけらかんとして答える。
「あんずが主人であるからだ」
「やめてください…。変なこと言って、からわかないで、ください」
からかう、という言葉に小平太は反応する。黙って近づいて、彼は屈んであんずと視線を同じ高さにした。
「からかってなどいない。私は本気であんずの臣下になったのだ」
「しん、か?そんな、お殿様みたいな言い方…変です。私はただの庶民です」
「庶民だろうが下人だろうが、あんずは私にとっては一国の城主をも同然なのだ」
相手の真に迫った態度にあんずが一歩下がるが小平太は一歩踏み出し、詰めていく。
「私に何でも命じるがいい。あんず、何がしたい?」
「私が、したいこと?」
「ないのか?金儲けがしたいとか、役人になりたいとか。勿論、国が作りたいでもいいぞ!」
小平太の言葉にふと叔母夫婦の顔が浮かんだ。いじめられるのは嫌だ。当たり前のように自分らしく生きたい。毎日脅迫される日々は、もうたくさんだ。
でも、この小平太という男は、何者なんだろうか。自分を主人だの、臣下だの変なことを言ってばかりだ。それに、自分の境遇は人一人の力で変われるほど簡単ではないのだ。あんずは諦めきって、瞼を閉じた。
「帰ってください。貴方は帰る場所は…あるんですよね?お礼とか、そういうのもいりませんから。では、さようなら」
小平太の顔も見ないまま、あんずはぴしゃりと言い放ち、再び歩き出す。小平太はその言葉に言い返さず、黙って歩き出したあんずを見て動かなかった。
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おにぎり長屋