潮風の香り


あの事件から一週間ほど経った。あれからトキはアラナミ城の密兵だとわかり、伏兵たちと共に朝凪城に送還された。三郎次はアラナミ城の謀略を見破った事が瞬く間に国に伝わった。その日はあちこちで英雄扱いだ。

しかし今は落ち着いている。そう。自分はリフレッシュ休暇に来ているのだ。しかしその休暇ももうすぐ終わる。三郎次は帰り支度を少しずつ進めていた。

結局、左近の家にずっと居座っていた。来たときより幾分、暑さが和らいだように感じる潮風を三郎次は感じ、波の寄せる朝の砂浜に寝転んだ。

「やっぱここはいーなぁ。僕もここに住もうかな」
「おい、ずっと居座る気かよ」
「平和だし、夏は泳げるし、飯は美味いしさ、左近が羨ましいよ」

寝転んだまま大きなあくびをしてまぶたを閉じる。ふっとそこに影が落ちて、三郎次が起き上がるとそこには小萩が鎧姿で立っていた。相変わらず、残暑の中でもきっちり覆面をしている。

「なんだ、小萩か」
「左近様、おはようございます」

小萩は左近に丁寧に挨拶をすると三郎次を見て微笑んだ。覆面越しからではわかりにくいが、かすかに目を細めて三郎次に笑いかけている。

「三郎次殿、おはようございます」
「おはよう。相変わらず左近教やってるんだな」
「三郎次、またそうやってからかうなよ」
「……別にからかってない」

小萩が三郎次の隣に腰掛けると三郎次は気まずそうに小萩から視線を離した。小萩の腕を意識してしまうのだ。あの日、自分の代わりに小萩はトキの太刀を受けたのだ。その罪悪感が後を引きずっている。

「三郎次殿は、私が嫌いなのでしょう。仕方がありません」
「いやいや、違うんだよ。こいつ…むしろ逆っていうか」
「おい、左近!それ以上言うなよ」

焦ったように三郎次は左近に言った。左近は少しニヤついた表情で三郎次を見ていた。そしておもむろに立ち上がる。

「じゃ、僕は薬草の手入れしてくるから」

左近はそそくさと二人から離れて自宅前の薬草畑へと帰って行く。三郎次はその背中をじっと見て、ため息をついた。変な気を使うな、と心の中で愚痴る。
小萩はすぐに左近の側へ行くだろうと思っていた。しかし彼女は黙って自分の隣にいる。なにか言ったほうがいいだろうかと言葉を考えていると小萩が口を開いた。

「三郎次殿、あの時のことですが…」

小萩の声はやわらかかった。その声が聞きたくて、三郎次は黙っている。

「ありがとうございました」
「あんたが礼を言うんじゃないよ。…言うのは僕の方なんだから」

三郎次の声は沈んでいく。頭に太刀を受けた小萩の姿が浮かんだ。三郎次はやはり小萩の顔を見れなかった。相手がどんな顔をしているのか、想像するのが怖かったのだ。

「僕はあんたを守れなかった。行動するのだって遅くてさ…。ずっと迷ってたんだ。あんたに礼を言われることは、僕にはないんだよ」
「でも、助けに来てくれたではないですか。私、嬉しかったです。貴方は優しい人ですよ」

三郎次は勇気をだして小萩の顔を見た。小萩はいつの間にか覆面を取っていて、素顔を見せていた。その表情は微笑んでいて、三郎次はなんだか泣きたくなった。

「それに、私を包んでくれたではないですか」
「…えっ、なんだって!?」

三郎次は思わず聞き返してしまった。そして一気に顔が赤面する。頭にいくつもの疑問や言い訳が浮かんだ。小萩は、思い出すように頬に手を当てた。小萩の頬も少し赤らんでいるように見えた。

「覚えは曖昧ですが、暖かかった感覚があります。潮風の香りがしましたから」

三郎次はあの事件の時、小萩の意識がなくなった後、自分も安心してなぜか彼女をだきしめてしまったのだ。三郎次は赤面したまま、言葉にならない声を出していたが、ぶるぶると頭を軽く振った。

「あ、あのときはちょっと僕も混乱してて…勘違いするなよ!!」
「なにを勘違いするんですか?」
「いいから!もう忘れろ!」

顔を覆い突っ伏してしまった三郎次をみて、小萩はくすりとわらう。小萩は波を見ていた。打ち寄せる静かな波、深い青い海、そして三郎次と同じ潮風の香り。小萩はもっとこの風景が見たいと思った。はぶててしまった三郎次を見る。小萩はぽつりとつぶやくように言った。

「三郎次殿、私は…朝凪の国に行こうと思います」
「朝凪に?なんでだ?」

小萩は三郎次を見つめる。真剣な瞳だった。
「左近様に言われました。三郎次殿の事をみてやってほしいと」

三郎次はやはり、と思う。小萩が自分についていく理由など、それしかないだろうと思っていた。三郎次は返事を返さずそっぽむいたままだ。そんな三郎次を見て、小萩はこぶし一つ分、三郎次に近づいた。肩が触れる距離だ。お互いの体温を感じる。

「…三郎次殿の傍に、いてはいけませんか?」
「左近の護衛はどうするんだよ。あんたの、大事な人だろ」
「確かに左近様に言われましたけど、決めたのは私の意思です。三郎次殿は私を守ってくれました。私を信じてくれましたから。貴方の力になりたいのです。駄目でしょうか」

三郎次は小萩の言葉に揺らいでしまう。断る理由など三郎次にはなかった。小萩が自分の意思で自分と朝凪に行きたいという気持ちも嬉しかった。

「僕は左近みたいに、あんたにあいつの隣へ戻れなんて言わないぞ」
「私もそのつもりですから」

もちろん左近様も大事ですけど、と小萩は付け加えるが、三郎次の機嫌がよくなるには十分な言葉だった。三郎次はそっと小萩に左手を差し出すと、小萩はその手を握った。

「わかった。頼むぜ。小萩…いや、相棒」
「はい。三郎次殿」
「三郎次でいいよ」

二人は手をつないだまま、黙って海を眺めた。三郎次はその時間が、とても心地よいと感じた。

【2】
数日が立ち、三郎次のリフレッシュ休暇も明後日で終わる。三郎次と左近はチエナミ村へ続く道とは反対の小道で向かい合っていた。三郎次の隣には小萩もいる。三郎次と小萩は朝凪城へ今日から向かうのだった。左近は少し名残惜しそうに二人を見た。

「にぎやかだった分、ちょっと寂しくなるな」
「世話になったな。左近」

またしばらく自分たちが会えるのは先になるだろう。小萩が心配そうに左近に声をかける。

「くれぐれもお身体には気を付けて。あの、便りもお送りしますから」
「あはは。元怪我人が言うようになったよ。君も元気でね。」
「朝凪にも連絡はしたから。うちの城主も小萩には感謝してたからな。多分うちで働くことになるだろ」

小萩は左近と握手した。小萩の心配そうな表情は変わらない。しばらく見つめあっていると三郎次が言った。

「ほら。いくぞ小萩」

三郎次は少し機嫌が悪そうだ。それをみて左近はからかうように言った。

「こんなやつだからさ。小萩さん三郎次のこと、かまってやってくれよな」
「余計なこというなよ。僕は何にも言ってないだろ」
「はいはい」

慣れたようにあしらって、左近はじゃあな、と手を振る。三郎次と小萩は踵を返し、左近に軽く会釈すると朝凪城に向かって歩き出した。
 二人はしばらく黙って歩いていた。全身鎧姿の大きな太刀を携えた小萩を三郎次はちらりと盗み見る。

「ほんとによかったのか?」
「はい」

小萩の返事は早かった。小萩は三郎次のほうを見た。

「私は、三郎次の香りが好きです」
「どうしたんだよ。いきなり。そんなに僕って匂うか?」
「ふふ…。これからは私は貴方を守りますから」
「僕だって…」

三郎次はなにかを言いかけてもにゃもにゃと言葉を濁す。言おうか言うまいか考えて、か細い声でつぶやいた。

「もうあんな目には合わせない…からさ…だ、だから…えぇっと…」
「はい、なんでしょう」
「…やっぱなんでもない」
「いつか、言ってくださいね」

そんなやり取りをしながら二人は歩き続ける。小萩は三郎次を見て思った。自分を信じて寄り添ってくれた彼ときっとはなれることはないのだろうと。
 あんなに近かったチエナミの砂浜が遠くなっていく。足元から鈴虫の音がした。草木が茂ってくる街道を歩きながら小萩は潮風が恋しくなって、三郎次を見た。

「よろしくな」

にこりと三郎次が笑う。小萩は覆面越しに笑顔を見せた。小萩の愛した海は、ここにあるのだと。

どこからか潮風の香りがふわりと、ただよった。


潮風の香り ―完―




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