続・『科学班』と夏休み!
カリカリカリ。シンと静まり返った広い科学班作業室内に、ひとつ響く羊皮紙にペンを滑らせる音。冷房機は形だけ設置されていて外と変わらず……いや、熱の篭った室内は座っているだけで汗だくになる程の暑さだ。
先程まで自分と同じく忙しなく手を動かす仲間達がいたというのに、困り者な上司のせいでそれは現在私ひとりの寂しいものとなっていた。
「ただいま!……あれ、依泉?」
「あ、リナリーお帰りなさい」
鈴を転がした様な可愛らしい声が耳に届き、部屋に入ってきたのは教団の癒しであるリナリー。室長助手を担う彼女は、勿論の事私の癒しでもある。長ったらしく書いていた計算式から一度視線を外して笑顔で振り返れば、リナリーは目を丸くしながら、いつもと違い静かな科学班を見渡していた。
「どうしたの?ひとり?」
皆は?純粋に首を傾げるリナリーに苦笑する。
「皆はその……室長捕獲にいった」
「え、兄さんまた何かやらかしたの!」
さてそろそろ科学班員不在の理由を教えよう。それは最も優秀な此処の頭、コムイ室長が冷房を壊した事から始まった。実際には彼の作ったコムリン4とかいうネーミングセンスのないお掃除ロボがしでかしたのだが、名誉挽回の為に室長は立ち入り禁止にした筈の実験室へ足を踏み入れ、あまつさえ発明品を開発した。
それは栄養ドリンクの強化版みたいなもので、飲むとたちまち疲労が吹っ飛ぶ劇薬だという。
誰が飲むかと皆から目一杯の反感を買った室長は泣き去り、仕事をしろと怒る私を除いた団員達はその後を追ったのだった。お終い。
「……へぇ」
事情を聞いたリナリーの声はどうしたのかとても低かった。背筋が凍る冷たさってこういう事を言うんだろうか?その間私の心臓は少しいつもより速く鼓動していた。どうやらアイドルリナリーさんは立派に美しく黒く成長を遂げていたらしい。見間違いにしておきたいところだ。
私も兄さん探してくるね!と律儀に知らせて走っていったリナリーの後ろ姿を眺めた私は、人知れず溜め息を吐く。今日はいつにも増してその行為が多い気がして少しだけショックだ。疲れてるせいか、頭がフラフラするのは気のせいかな。
「……仕事しよう」
休んでられない。ただでさえ万年徹夜、今なんてかつてないほどの人手不足なんだから。
私はさっきも飲んだ筈のリーバー班長直伝のスポーツドリンクを口にして、書類に目を戻した。のだけど。
「あ……れ」
字が見えない。どうしてか突然がくりと視力が落ちてしまったかのようにぼんやりと文字の輪郭がぼやけて……
「ジョニーいるー?……うわっ何さココ。暑っ!」
この声は、と聞こえた声に感覚のない耳を精一杯傾ける。どうやら人を探しているらしいけど、残念ながら目当ての人物は不在だ。それに加え私の存在に気付いたらしい彼の声は、間延びしたものから変わって焦りを含み出す。
「依泉、しっかりしろって!」
何か話しかけられてるんだろう事は分かるのに、その内容まで理解する力は最早私に残ってはいなかった。
だから勿論その後の事は記憶にない。次に見たのは蒸し暑い科学班なんかじゃなく、潔癖といえる程真っ白な医務室の壁だったとだけ言っておこう。
「う……ん、」
眩しい明かりに目が慣れるまでには暫しの時間が必要だった。代わりに聞こえたのはリナリーと医療班の婦長の声で、浮上した意識の中真っ先に機能が働いたのはどうやら聴覚だったらしい。
光しか認識しない瞳は、しかし彼女らに目覚めを報せるには十分だったようだ。
「皆に知らせてくるね!」
リナリーの声が聞こえる。少しずつ戻ってきた視覚は目の前の婦長越しに去っていく少女の後ろ姿を捉えた。
リナリー。どこへ行くの?ねぇ、
「リ……ィ」
呼び声は届かず。私の発した声はあまりにも弱々しく、起き抜けにしたって酷いくらいに掠れてしまっていた。一体どれだけ長く眠っていたのか。
「体調はどう?」
「……わたし、」
水分補給だと水を飲まされれば、どれだけカラカラだったのか喉がすぅっと潤う感覚がした。
落ち着いたのもつかの間で婦長の問い掛けに私は上手く答えられなかった。声はすぐに調子を戻しても、頭の回転にはまだまだ時間がかかるらしい。えーと、何で此処にいるんだっけ?気を察した婦長は呆れたように苦笑して、私の病名を言った。熱中症だと。
「、!」
聞いた途端記憶が一気に私の中を駆け巡った。冷房、コムリン、熱中症、追いかけて、それから……
「……っラビ!」
そうだ。意識を手放す前の声、あれは確かにラビのものだった。つまり私はラビにたっぷり迷惑をかけたと見える。婦長を盗み見すれば肯定するように頷かれたから、まず間違いないだろう。しかし現在任務についているようで、話中の彼の姿はない。随分心配してくれてたようだから、謝罪も兼ねて後日お礼を言わなければ。
そんな事を考えていれば話がいつの間にか原点に戻っていた。
どうやら私は高熱に気付かず仕事をしていたらしく、それから仕事中毒だとか皮肉たっぷりに言われて反省したのは言うまでもない。
「よっ調子どうだ?」
リナリーは科学班に態々私の目覚めを知らせに行っていたらしい。噂をすれば何とやら、ちょうど戻ってきた彼女の後ろには忙しい筈なのに安心したように顔を綻ばせて、毎日見る面々が顔を覗かせている。
そこには随分反省させられた様子の室長の姿や片手を上げて話しかけてくれる班長の姿もあり、頬が緩む反面胸の辺りがじんと暖かくなるのを感じた。病気で倒れておきながら、不謹慎にも私はこの時一番幸せを噛み締めていたかもしれない。
夏の病気にご注意を!
執筆2008.10.27.mon
加筆2009.06.09.tue
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