op.03
形なき歌姫


 彼女の歌をはじめて聴かせてもらった日からまたすこし時間が過ぎた。
 あれからというもの、僕の部屋や人気のない場所を見つけてはミーアの歌を聴くのが恒例となりつつあった。ミーアに合わせて僕は退屈じゃないかと聞かれる事もあったけど、そんな事はすこしも思わなかった。
 彼女にとって歌うことになにか意味があるように、彼女の歌は僕にとっても任務で疲れた心の癒しでもあったからだ。

 とある非番の日には、教団に隣接した森の奥での修行の休憩がてら、ジェリーさんが持たせてくれた重箱のようなサンドウィッチ弁当をつまみながら彼女の歌を聴いていた。
 吹き抜ける心地よい風に木々の揺れる音。時折鳥のさえずる声が聞こえるくらいで、人工的なものの気配はまったくない。心地よい静寂の舞台に生歌唱つきでのなんとも贅沢なランチタイムを過ごしていたら、歌い終えたミーアが目を丸くして、「あれっぜんぜん減ってないけど、もうお腹いっぱい?」といかにも意外そうに弁当箱の中身に視線を送った。
 さいしょこそ僕の食事の量と速度を目の当たりにして困惑やら苦笑いをその顔に浮かべていたミーアだったが、それにもすっかり慣れた彼女はとうぜん僕の食事風景を把握していた。
 となると一曲歌い終わるころにはこの量なら食べ終えていてもなんらおかしくない僕が、まだ半分以上のサンドウィッチに手をつけていない事を疑問に思うのはなにも不思議なことはない。その顔にはすこし不安の色も見え隠れしているように見える。

「いえ、まだまだ。これから食べます」
「そう?でも今日は鍛錬漬けの予定でしょ?ゆっくりしてると時間なくなっちゃうよ。……あ、だからって食べてすぐ動くとお腹が痛くなるんだからね」

 続いた言葉はずいぶんとかわいい忠告で、僕は思わず余分な瞬きをした。エクソシストなんてしているからには、任務中は食事の直後でも、なんなら食事を終える前に動かなければいけなくなる事はよくある事だ。それは僕の場合修行時代からずっとそうで、腹痛なんていちいち気にしていられない。
 こうやって改めて言われると、なんだか微笑ましいものを見たような気分でくすぐったい。

「それにしても、ジェリーさんってほんと料理上手だよね。世界中のごはんもスイーツもぜんぶ作れちゃうのかな?なに作ってもおいしそう」
「ジェリーさんの料理はいつも絶品です」
「いいなあ、私もいつか食べたいな」

 ふと頭に浮かんだ光景。
 食卓を囲ってミーアと向かいあわせに座る。サンドウィッチを手においしいねと笑った彼女に、僕もおなじものを食べながらそうですねと返す。
 幸せで、けれどきっと一生叶わない夢。

「それは…………」
「……私いま、アレンの考えてること分かっちゃった」

 いま想像していたことを!?
 まさか顔に出ていたんだろうか。あわてて雑念を払うように頭の中の景色を薄れさせようとしていたけど、ミーアの表情がそんな場合ではないことを明確に物語っていた。

「あのね、私アレンに言ってない事がある」

 言うのを忘れてたっていうか、タイミングを逃してたっていうか。
 言及しようとしているのがほんとうに僕が頭にたった今浮かべていたものへのツッコミだとは到底思えない。そんな声色と表情の真剣さから察した僕も幾分思考を落ち着かせて、聞く姿勢を整えるほうに比重をかたむけた。けれどそれなら、いったいどんな話をしようとしているんだろう。さっきとはまた別の意味で緊張が走る。
 もごもごといかにも言いづらそうにしている姿はまだ彼女の事をよく知るだなんて口が裂けても言えない僕にとっても珍しい光景に映っていた。

「けっして意図して黙ってたわけじゃないって、分かってほしいんだけど」

 そんなふうに前置きをするものだからこちらもいろいろと邪推してしまいそうになる。とつぜん話題を変えられた事だって疑問がないわけじゃなかったが、僕は口をはさむ事なくその声の行く先を静観する。すこしうつむけていた彼女の視線が意を決したとでもいうようにまっすぐにこちらを仰ぐ。
 視線をはずす事は許されないかのようにミーアの瞳をじっと見つめかえす。相変わらずそこにはちいさく丸い海が存在していた。

「アレンは私の事あの村で死んだ人間の幽霊だと思ってるみたいだけど、私、幽霊じゃないの」
「………………はい?」
「ええとだから……俗にいう幽体離脱?」

 その言葉の意味を理解するのに、いったいどれくらい僕は固まっていただろうか。開いた口が塞がらないとはこういう事だ。
 まさか。今の今までずっと僕はミーアに対してそのつもりで接してきていたっていうのに。幽霊じゃないだって?いや、でも――

「亡くなったって言ってたじゃないですか!」
「えぇ、言ったっけ?」

 はて?と傾いた首や頬に添えられた左手やその表情が、ほんとうに覚えがないと言い表している。けれど僕は鮮明に覚えている。
 その言葉をどれほど頭のなかで、彼女の放った声そのままでリピートさせた事か。

「言いましたよ!教団で再会した日に!生きてる人ならともかく死んだ人の事なんてって」
「ああ。ごめん、それは言葉の綾というか」
「言葉の綾もなにも、ハッキリとそう聞いたんですが……」
「だって今の今までは、アレンにとって私はただの幽霊、死人といっしょだったでしょ?」

 そんなふうに言われてはぐっと言葉に詰まる。僕にとっては死人だった?そうかもしれない、だってそうだとばかり思っていたのだから。けれど疑いの気持ちもあった。それなのにそれを決定的にして、すっかり幽霊として接していたのはひとえに、ミーアの思わせぶりな言葉があったせいだ。
 言いようのない感情が思考の海ではげしく渦をまき、文句のひとつも言ってやりたくて仕方ない。けれど衝動的に出てきそうになった言葉を僕はぐっと飲みこんだ。怒るのはやめておく事にしよう。鏡を見なくたって分かる、こんなゆるんだ顔で怒るのはどうしたっておかしいじゃないか。
 ヘンだな。ポーカーフェイスは得意分野なのに。
 僕の心境を読みとったかのようにミーアが「アレン、顔」と短く指摘する。分かってますよと素っ気なく言ったつもりの僕の声は存外弾んでいて、ほんとうになにも言えなくなった。

 とにかく、生きてる。ミーアは死んじゃいなかった。それだけが唯一無二の事実なのだと分かったのなら、これ以上怒る理由もないだろう。

 喜びを噛みしめる僕のようすを目の当たりにしてミーアがどんな感情でいたのかを、このさき僕が知る事はない。

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