op.04
空中劇場


「はじめましてミーア。私はリナリー。よろしくね」

 話しかけている相手とはぜんぜん違う、明後日のほうへと優しげな笑顔を向けたリナリー。悪いと思いつつもわずかばかりの苦笑がにじみでてしまうのは許してほしいところだ。
 ミーアも気を悪くした素振りはちっともなく、むしろおかしそうに堪えきれなかったのだろう息を吹きだした。

「リナリー。私こっち」
「えっどっち?」
「リナリーから見て、アレンの右隣」

 心なしか弾んだ声にしたがってこちらに視線を向けたリナリーと、ぱちりと一瞬目が合う。そのまま忠実に僕のとなりへと身体ごと方向転換したとおもえば、向きを確認してOKをもらうなり彼女は頬をほんのり染めてはにかんだ。
 ミーアも視線があうように浮いていた足を地面近くまでおろして、リナリーの真正面となるよう位置を微調整する。

 その動作にならうように、身にまとうミモザを思わせる鮮やかなドレスの裾がふんわりとおおきく揺れる。蝶や花の飾りのついたそれはまるで、春一番の吹いたあとの花畑のようだった。
 触れもしなければ重力にも干渉されていないし、風が吹いても揺らがないその髪や服が、彼女の動きにあわせてのみ重力を帯びるのがいまだに、フとしたとき不思議に思う。

「ごめんなさい。改めてよろしくね」
「うん、よろしく」

 おそらく無意識のようなものだったんだろう。ミーアが友好を示すため差しだした手には、当然ながらリナリーは気がつかない。ピンと伸びていた手のひらから力が抜けて今にもしぼんでしまいそうなのを見て、悪手かもしれないと思いつつも居ても立ってもいられず僕はその手を握ってみることにした。
 彼女は驚いたのかその手をおおきく開いて、瞬きをいくつか繰り返してからおずおずと僕の手のかたちに沿うようにそのかたちを合わせてくれた。
 感触も温度もないけど、うん、今僕はミーアと握手をしているんだという気にはなんとなくなれた。

「…………なーに、アレン?」
「そういえば一度もしたことありませんでしたね。リナリーとじゃなきゃご不満ですか?」
「まさか。ふふ、ありがと」

 ミーアはおかしそうに、けれど心なしか満足げに笑った。

「なーに見せつけてくれちゃってんさ!?」

 とつぜんの横槍にほとんど反射的に、僕もミーアも手を引っ込めた。まあ見えねんだけど。だなんて言いながらへらへら笑うラビをじとりと睨みつける。
 そうだ。この場所にはラビもいたことをすっかり忘れるところだった。リナリーとミーアの顔合わせをしていたところに勝手に現れたわけだけど、だれとでもフランクに話すラビだってミーアと仲良くしてくれそうな候補にはちがいない。

「アレンの右隣っつうと、いま俺の左隣ってことだな?」

 この辺?とか言いながらラビが両手でわしゃわしゃと空気を撫でつける。あくまで勘なのは分かっているけど、僕から見れば視えていないとは思えないほど的確に、それはミーアの身体をあちこち触っていた。

「わっ、なにこの人」
「ラビ!セクハラですよ」
「ええーっ俺なんも触ってねえさ」

 抗議しつつもピタリとラビの手が止まるけど、すでにそこにミーアはいない。
 すすす、と僕のうしろに隠れるように移動してきたので、見えてないと思いつつも思わず右腕をあげて2人のあいだに無意味な壁を作った。

「私も触られてる感じはしないけどちょっとセクハラだと思った……」
「えっマジで?ごめんなさい」
「いいけどね」
「てか声遠くね?」
「離れたからね」

 ミーアはたいして気にしたようすもなく、すぐに元の位置へ戻ってラビと軽い口調で会話を続けた。画的にはまずかったものの、実際触られていないのだから思うところも特段ないのだろう。
 実体のない彼女には、だれも触れられないんだ。それは視えている僕だって例外じゃない。

「ホントにアレン君には視えてるのね」
「ホントですよ。疑ってたんですか?」
「そうじゃないの。兄さんから聞いたけど……なんだかふしぎ。ここに今、私には視えない仲間がいるなんて」

 リナリーが途中からはもうほとんどひとりごとのように、ちいさく曖昧につぶやく。それが戸惑いからくるのか単純な疑問だったのかは分からなかったけど、嫌悪感や恐怖心ではないことは伝わってきた。

「リナリーはミーアのこと、怖くありませんか?」

 けれどあえて怖いというワードを使って聞いてみる。
 するとリナリーは思いがけない質問だったと言わんばかりに、目をしばたたかせて僕を見つめた。

「怖い?どうして?」
「姿が視えないじゃないですか」
「でも、アレン君には視えてるんでしょ?声なら私にも聴こえるわ。悪霊だとかって紹介されたなら別だけど、アレン君の態度がいい子だってハッキリ言ってくれてるもの」

 それなら現状でのリナリーのミーアへの友好的な態度は、僕への信頼で成り立っているということだ。日頃の行いの賜物ということならば、ミーアのためにも今後も下手を打つようなことは避けたい。そうはいってもこの2人なら、あとは僕がいなくたってすぐに仲良くなれるだろうけど。
 ああでも、僕の近くから離れられないんだから、すぐに仲良くはなれても僕がいないところでというのはきっと不可能だ。それにリナリーにも視えていればきっともっと仲良くなれたろうに、惜しいなあ。2人とも可愛らしい人だから、その光景は周りにも見えていればいっそう教団内の癒しとなっただろう。
 あの笑顔に、あの振る舞いに、そしてあの歌劇に。
 僕だけにしか視えないなんて、なんてもったいないんだろう。

「アレン君っ!」

 聞いてる?リナリーにちょっと怒ったように名前を呼ばれて、思考のほうに比重を傾けすぎていたことに気がつく。取り繕うように聞きかえすと、若干距離を詰めるようにしてリナリーは声を潜めた。

「彼女がなにも言わないとき、怒ってたり哀しんでたり……辛かったりしても、表情や素振りから気づいてあげられるのはアレン君だけだよ。気にかけてあげてね!」
「はい」

 “僕にしか視えないなんてもったいない”
 間違いなくそう思うのに。

 “その機微に気がつけるのは僕だけ”
 リナリーのそんな言葉が、なんだかほんのちょっとだけ、誇らしいと思うだなんて。

 ミーアのほうへ何気なく視線を移すと、ラビと話していたはずの彼女と目が合う。手招きされたのでわずかな距離を詰めると、今度はミーアに耳打ちされた。

「リナリーってかわいいね、アレン」
「そう、ですね」

 なぜそれを僕に?あまりにも想定外の話題だったので若干戸惑うけれど、その手の話ならわざわざ僕を呼び寄せるより、となりのラビに振ったほうが盛り上がったんじゃないだろうか。

「どもっちゃったりして。アレンもかわいいね」
「はい!?」

 くすくすとおかしそうに息をもらしたミーアに、間違いなくからかわれたのだと気づく。
 まあ、ミーアが楽しそうならいいか。だなんて僕ってば彼女に甘すぎやしないだろうか。

 浮いているのをいいことに、上機嫌のまま彼女はくるりくるり優雅な動きで空中を舞いはじめた。ラララだとかルルルだとか意味のない音をリズムに乗せれば、みんなその声に何事かと耳を傾ける。
 広げていた両手を口許に寄せたかと思うと、交互になるようその指が端から絡められていく。やっぱり黄色いドレスの裾は彼女を追いかけるようにひらひらと流れていた。

「ああ、なんて素晴らしいのかしら新世界!私のことを知らない人がこんなにもいるなんて」

 なんてね。芝居めいた口調で言い終わるとこちらを見て、目が合うとおどけるように笑った。

 知らないことが素晴らしいんですか?
 元いた場所は、そうではなかったんですか?

 疑問が浮かんだのも刹那のことで、そんな質問は間違えてもするべきではないとかぶりを振る。

 和やかな空気で危うく忘れそうになる――なんてことはあり得ないけど、なにかの冗談だったんじゃないかとどこかまだ夢心地だ。
 ほんの2時間も前に語られた話を想起する。僕はヘブラスカの間にいて、目の前にはミーアとコムイさん、そして昇降機の外にはもちろんヘブラスカがいた。

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