――私の身体はいま、集中治療室から外へは出られないから。

 それはあまりに突飛な話で、飲みこむためには時間が必要だった。
 集中治療室だって?

「それどういう事ですか?」

 なんとか絞りだしたつもりだった言葉はやけに早口になってしまっていて、自分でも分かる責めるような口振りをしていた。
 もちろん、怒ってなんかない。ただ混乱しているだけだ。

「私も実はさいきん状況が分かってきたところなんだけど、火事に巻きこまれて、奇跡的に助かったかんじ?」

 あっけらかんと言ってみせたミーアの声に色はなく、まるで自分じゃない他のだれかの話でもしているようだった。もしかすると彼女自身もあまり実感がないのかもしれない。

「火事の日になにがあったのかは、ほとんど記憶にないんだけど。……まあつまり、連れだしたりなんかしたら今度こそほんとに死ぬだろうけど、それでも連れてく?ってこと」

 ぼくの勝手な予想はあながち間違いでもないのか、続けられた言葉もやっぱりどこかよそよそしく感じられる。けれど、放った言葉は衝撃的だ。しんと静まりかえる屋内の空気は室長室でのやりとりの時ですら比べものにならないほど、間違いなく張りつめていた。
 コムイさんは程なくして、気を持ちなおすためか咳払いを挟み、小腰を屈めた。

「いや…………すまない。辛いことを」
「謝る必要なんかないよ。知らないことは罪なんじゃなくて、当然で、仕方のないことだもん」

 それに、肝心のその辛いことを私が覚えてないんだから。
 ミーアはそう言ったけれど、コムイさんはあきらかに自分の失言を気にして……いや、なによりも彼女の境遇に胸を痛めたようすだった。コムイさんのこんな表情ははじめて見る。
 おなじ年頃の妹を溺愛するコムイさんのことだから、声なんかでそれを察して、重ねてしまったとしてもふしぎはない。

「はいはーい、この話はここまででいいよね?私の身体のことはとりあえず現状維持ってことで。ふたりとも辛気くさい顔やめよ!ねっ?」

 再びだんまりしてしまいそうだった空気に、ミーアがここぞとばかりに割って入った。そのテンションの差がまた場違いなようで、僕はどうしようもなく苦笑をもらした。
 辛気くさいって。当然ユカイな顔はしていないにしても、僕もコムイさんと並べられるような表情をしていたのかな。

「ねえ、それでイノセンスがあるのはわかったけど、私って今のままでも戦えたりしないの?」

 これはまた何事もなかったようにつぎの話題を持ちだす。それがこの空気を変えるための配慮であることは間違いないのだろうから、僕らはミーアのペースにむりやり飲まれるしかなさそうだ。

「そうだね。まず、君のイノセンスは体内にあってすでに適合もしているということだから、寄生型と仮定しておこう」

 コムイさんも咳払いをして気を取りなおすように答えはじめた。
 装備型だったとしても、それを検証するにも武器加工をしようにも安全が確約できない以上切りはなす事はできない。それは僕との約束でもあったけど、いまとなっては貴重なエクソシストに万が一などあってはいけないという緊張感へ比重はおおきく傾くだろう。
 こつんこつんと一定のリズムを保ったまま、コムイさんは手に持ったミーアのことが記されているらしいバインダーを指先で叩く。説明がてら寄生型と装備型についての違いなんかを軽くさらいつつも淀みなく話しているけれど、頭のなかではまだ考えを整理している途中といったところだろうか。

「身体が回復して動けるのを待つのか、それとも適合している以上今の姿のまま戦うことができるのか。できたとしてどう作用するかは、やってみない事には分からない。さすがに僕も魂だけでイノセンスと適合したエクソシストの前例は聞いたことがないからね。とりあえずはできることからひとつずつ試してみようか」
「できること?」

 何度も頷きながら話を聞いていたミーアが首をかしげる。つづきを促す彼女に、またひとつコムイさんは咳払いをした。

「まずはイノセンスが発動できなきゃ話にならないから、そこから始めないといけないね。あとの事は、うん、その結果を見てから考えよう」
「あっまさかのノープランだわこれ」
「そんなアバウトで大丈夫ですか?」

 言われているぞ、と静観を貫いていたヘブラスカからもツッコミが入る。僕も心して聞いていたわりにはあっけなく断絶された話の結末に、ミーアにつづいて若干棘のある言い方をしてしまった。

「ヘブ君まで辛辣な声を……っ」
「ミーア、サポートが必要なら、私もてつ……手伝おう」
「いやだーヘブ君無視しないでよう」
「いやだーヘブラスカ優しい!ありがとう」

 だんだん平常どおりのおちゃらけたコムイさんのペースに戻ってきたな。
 こういうと失礼かもしれないけど、コムイさんが終始真面目な表情でいるとまだなにか懸念事項が残っているんじゃないかと勘ぐってどうにも落ち着かない。峠を越したような心地になって、内心僕はほっと息を吐いた。

「だってだって、発動できないなら回復を待つ以外に選択肢はないし、発動できたならあとはもうイノセンス次第じゃないか!」

 たしかにそうだけど。とくに寄生型は人為的に武器加工をするわけでもなくイノセンス自身が必要な形をとるんだから、まったくもってその通りではあるんだけど。

「てなワケでささ、まずはいってみよう」
「いってみよー」

 意気揚々と言葉をなぞったミーアが、こほんと咳払いをする。そんなすぐに結果が得られるとも限らないから、気負わずにねとコムイさんが緊張をほぐす。
 それにうなずき、彼女は顔の前にやっていた右手をそのままイノセンスのある喉元へ添えると、ゆっくりと息を吸いこんだ。

「イノセンス、発動!」

 ミーアがそう言い放つと、変化はすぐに起きた。

 吹き抜けの暗い空間に淡く光がさす。いや、もうもうと頭上高く、それこそヘブラスカよりもまだ高いところへ立ちのぼっていくそれは霧か煙だろうか。
 そんなふうに思うか思わないかのうちに、それは色を変え、形を変え、気がつけばぼんやりと一帯にうつくしい歌劇場のすがたが浮きあがる。
歌劇場といっても外観ではなく、赤を基調とした豪華絢爛を思わせるカーテンの向こうには、華やかな舞台が覗いていた。それはそのさらに先の闇が透けて見えていて、本来分厚いはずの緞帳からなにまでオーロラのようにわずかに揺蕩い、手に触れられないのが一目見てわかる。
 それでも今に舞台がはじまることを仄めかすような煌めきが、そこには紛れもなくあった。

「…………」
「…………」
「で、できちゃった……かんじ?」

 どういうふうに武器化されるのかと想像もつかないでいた発動の実態に呆気にとられる。ミーアの不安げな声を聞いて、ようやく凝視する以外の動作を思いだした僕がきれいなイノセンスですねと呟くと、ミーアは得意げに笑った。

「発動ってこういうのもあるの?」
「いや……めずらしい発動の仕方だろうね。武器や装飾品の形をとらず身にまといすらしないなんて、過去の記録でも見たことがない」

 コムイさんもあきらかに驚いているけれど、ヘブラスカもそれに同意を示した。
 どうやらほんとうに見ない武器化の方法らしい。まあ、適合者に実体がないということは、武器を持つこともできないんだから、特殊であることも当然といえば当然だ。

「なにか技とか、できそうな事はある?攻撃なのかサポートなのか、はたまた……その辺りはやってみないと分からないんだけど」
「そんなやっつけな」
「なにしろ見た目からして前例がないからねえ」

 結局ぜんぶものは試しという言葉のとおり、ひとつひとつしらみつぶしに確かめていくしかないんだろう。
 気が遠くなりそうな作業でも、そのひとつ目の発動が呆気なく達成されたあとならまだ余裕もあるってものだ。

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