幻、オーロラ、コンサートホール。
 取っかかりになるかもしれない連想する限りのワードを並べているんだろう。つぎつぎと出てくる言葉に、昇降機はもう目的の階について制止したものの、だれもその場から動こうとはしない。
 すこしばかりして、ミーアの伏し目がちだった瞼が持ち上がって、一瞬緑碧玉が全貌を現した。

「――空中劇場ミラッジョ、かな」

 安直すぎ?とミーアがすこし自信なさげに言うから、僕はその言葉を否定した。

「素敵だと思います」
「イタリア語で蜃気楼か。いいね、それで届けておくよ」

 しっくりくるってこういう事だろうか。意味はコムイさんが言うまで分からなかったけれど、ミーアに似合う、楽しそうな音だと思った。
 手元の書類にコムイさんがたった今決まった名前を書き入れる。さて、それじゃあ行こうか。そう声をかけられ、ようやく止まったままだった昇降機から降りようとしたとき、ミーアがなにかを呟いた。

「待って。なんで思いつかなかったんだろ」

 そして言葉のとおり僕たちの足が止められる。振り向くと同時、もう発動を解いていたはずのイノセンス――ミラッジョによる舞台が、あっという間に頭上に展開された。

「歌劇場なんだもん。歌を歌うっていうのはどーお?」

 そういえば試してなかったなと、言われて思いだす。武器って言葉に囚われすぎていたかもしれない。その人の人柄や得意なことがイノセンスに反映されるんじゃないかって、そんな話をずっとしていたのに。

「いい?いいよね。オッケー。ではこれより1曲、お付き合いくださいませ」

 はやる心を抑えきれないのか、急かすようにミーアが聞いてくるものだから、僕とコムイさんもなんとか首を縦に振った。間もなく黄色いドレスのスカートをつまみ、カーテシーをしたかと思うと、ミーアは直前までの笑顔をより人懐っこいものに変化させた。もう何度もミーアが歌う姿を見てきた僕は、彼女がいまこの瞬間、曲のなかの登場人物へ成ったのだと察することができた。


Caro nome che il mio cor
(その麗しき人の名は)
festi primo palpitar,
(私の心にはじめてのトキメキを与えたわ)
le delizie dell’amor
(愛することの喜びを)
mi dei sempre rammentar!
(いつも私に思い出させてくれることでしょう)


 ミーアが声を発したのと同時に、これまでさんざん沈黙を貫いていたミラッジョのようすは一変した。
 幻の舞台、その中央には、さっきまではいなかったはずの糸繰り人形が立っていた。
 彼女が一礼したように、人形が一礼する。
 彼女が踊りだすと、人形もおなじように踊りはじめた。

 その人形はミーアのドレスにそっくりな黄色いドレスを身にまとい、その舞台だって登場人物の喜びをあらわすようにのどかな春の色があふれんばかりに咲き乱れていた。


Col pensier il mio desir
(私はいつだって)
a te sempre volerà,
(あなたを想わずにいられない)
e fin l’ultimo mio sospir,
(そして最後のため息ひとつまで)
caro nome, tuo sarà.
(麗しき名よ、私はもうあなたのものよ)

Gualtier Maldè!
(グァルティエール・マルデ!)




「――――どうだった?」

 効果のほどは?ミーアが軽く息を整えながら、称賛の拍手を送っていた立ち見席側へ戻ってくる。

「手応えは確実にあったけど、これっていう事はなにも起こらなかったよ。見ていて楽しくはあったけどね。いやあ!歌とダンスがお上手で。まるでプロみたいだったよ」
「楽しんで頂けてなによりだけど、みたいじゃなくてプロなのよね」
「人形劇の?」
「オペラ歌手!」

 コムイさんが本気なのか冗談なのかはちょっと僕にはわからなかった。おふざけのような短いかけ合いのあと、ミーアが落ちこんだように声をすぼめる。

「選曲が悪かったのかな?短い曲だし」
「どうかな。アクマ相手や、特定の条件下でないと分からない可能性もあるからね」
「そっか。じゃ、今のはミラッジョにむけて歌ったから、今度はアレンのために歌ってみるね」

 僕のために歌うって?アクマがいない今ここではできる事にも限界がある。サポート的ななにかが出ることを期待して、実験がしたいのは分かるけど。そう頭では理解しつつ、それでも一瞬喜びかけたのもつかの間――

「だからもしほんとに攻撃技がでてきちゃったら、ちゃんと避けてね」
「……ホンキで言ってます?」
「コムイさんは万が一のとき避けられなさそうだもん。アレンならなんとでもできるでしょ?大丈夫、歌うのはやさしい歌だけにするから。いかにも攻撃的っぽいのは、明日実戦でね」

 けっきょく折れるのは僕の役目だ。
 それからコムイさんのストップがかかるまで、ミーアは何曲か歌いつづけた。
 いっそう輝きを増すシャンデリア、踊り狂う人形、舞台の景色は、新たな歌を歌いはじめるたびにその見た目をおおきく変化させていった。
 けれどそれ以外になにか変化を感じることも、もちろん攻撃技が飛んできて避けるのに苦労したり、教団内が破壊されることもなかった。どんな能力なのか分からずじまいとなってしまったことに当の本人は若干むくれていたけれど、今日一日で収穫はけっこうあったと思う。

「とにかく一歩前進だ。君のイノセンスは、君の歌声に反応する」

 そうしてもう音の漏れないヘブラスカの間をとっくに抜けて、上階に着いていた昇降機からの声はどうやら教団中に響き渡っていたらしい。
 彼女の存在がほかの団員に知れ渡るまでのほんの短いあいだ、謎の歌声とされたそれはまた、形なき歌姫の噂を彩らせることとなったのだった。


2023.11.26.sun

オペラ「リゴレット」より「Caro nome che il mio cor(麗しき人の名は)」

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