そんな事をしていたら、いつの間にかずいぶんと時間が経っていたらしい。東の空がわずかばかり白んできて、もう少ししたら夜明けを迎えそうだ。
「私正直ちゃんと理解してなかった。大切な人が死んでしまうのにどうしても耐えられなくて、もう一度逢うために、彼らは千年伯爵の誘いにすがるんだね」
主人に祈りをと願ったのは僕を油断させるためのアクマの演技だったけれど、それが夫の魂を呼び起こしてしまった彼女の、残留思念のようなものなのではないかとあの時ほんの少しだけ考えてしまった。
本来ならもっと早くに破壊する事ができたはずだ。こんな事を万一師匠にでも知られれば説教食らうのは分かりきっている。
「……ねえ、私がここにいたせいなのかな?私の歌が村の人たちに知られたから、この人の大切な人はこの教会にきたんだよね?あんなのに殺されるなんて知らずに。そのアクマだって私を狙ってきたんだったら、間違いなく……なにもかも私のせいじゃないっ」
けれど今しがたその存在の正体について説明を受けたばかりの少女が聞き流すには、そのセリフはどうにも重すぎたらしい。眉間に皺をよせて、苦虫でも噛み潰したかのような表情でミーアはそう言った。
「それは違います。さいしょにきたアクマたちはおそらく君が現れるより前から村人としてこの村に潜んでいた。遅かれ早かれ殺人衝動のために村人を襲っていたんですよ。むしろ君がいたことで、おおきな被害が出る前に教団が目をつけられて、エクソシストがくる事ができたんです」
ミーアからの反応はない。さっきからずっとうつむくようにアクマとなってしまった女性の亡骸を見つめつづけている。
いいとは言えない運びではあるけど、おそらく彼女はもう「ここでもいい」だなんて言えないだろう。僕の言葉を聞いているのかも分からないほど自分を責めているのは明白で、それに心を痛めるような優しさの持ち主には、もはやここは辛い場所にちがいない。
肝試しにきた子どもたちを脅かして帰したと言っていた。ほかにも同じようにして帰そうとしていた口振りだった。彼女自身が状況判断も儘ならないままでいたのに、それでも何人もの人を助けていた。
「この女性の事は残念でした。それは僕だって悔しいですよ。でもそれは君のせいではなくて、けれど君の歌が今生きている村の人たちを救ったんです。それじゃいけませんか?」
まるで使命を負った神の使徒がそうするかのように。彼女にはそんなもの、あるはずがないのに。
少ししてようやく視線が合い、眉間の皺をすこし残したままでおずおずと頷いたミーアの向こうから、まばゆい太陽がその姿をひと筋覗かせた。半透明の彼女の姿が光に溶けてしまいそうでなんだか気が急く。
まだ早い。そう思いながらも触れられやしない彼女の前まで利き手を伸ばす。
「ね、だから僕らといっしょに来ませんか?」
「…………うん。そこまで言うならいっしょに行ってあげてもい」
僕の手に青白い彼女の手がゆっくりと重ねられる。そこにはもちろん感触も温度もなかったけれど気持ちは重ねる事ができた。
そう安心しかけたのはほんの束の間で、唐突に途切れた言葉とおなじように、たしかにそこにいたはずの半透明の少女の姿がこつぜんと消えてしまった。
それはあまりに急な事で状況判断が追いつかずにしばし呆ける。我にかえってなんとか周囲をゆっくりと見渡して名前を呼んだけれど、返ってきたのは僕のようすに気がついたアニマトの声だけだった。
◇
「気を悪くしてしまったんでしょうか」
自ら姿を消した幽霊を探すなんてとんでもない事だろう。そう思いつつしばらく教会や村の周辺をもう他にアクマがいないかの確認と並行して探してはみたものの、やっぱり見つかる事はなかった。
自分の失態にすっかり気落ちしていたように見えたらしい僕を励ますように、「幽霊だから陽の光のあるあいだは活動できないのかもしれませんね」とアニマトが語りかける。
たしかに彼女は日の出とともに消えてしまったし、夜ばかり目撃例があった事を考えても、それはけっしてあり得ないとは言えなかった。
ヘブラスカのところまで連れて行ってイノセンスの可能性を確かめないといけなかったんだろうに、コムイさんになんて報告しようか。
いっしょに行きたくないならそう言ってくれれば無理強いはしなかったのに。
いや、そもそも僕は今、どうやら彼女が消えた事にどこか少しほっとしているようだった。教団に連れて帰ったときの事を無意識に想像していたみたいだ。
もしもほんとうに彼女の存在を現世に繋ぎとめる役割をしていたのがイノセンスだとしたら、きっと教団は彼女からイノセンスを取り上げるだろう。そうしたら彼女の魂はどうなる?行き場をなくして彷徨いはしないだろうか。優しい彼女にそうはなってほしくないと思うのは、ふつうの事じゃないか。
それなら、これで良かったのかもしれない。
「残念です。もう一度、あの歌声を聴きたかったんスけど」
歌声が女神のように、ほんとうに美しかった。
記憶のなかでその声を呼び起こしているのか遠い目をしてアニマトが呟く。
そうか、きた初日に彼は聴いていたんだっけか。僕も聴いてみたかったな。
「ウォーカーさん。その、彼女はどんなでしたか?」
アニマトが、言いづらそうにこちらの表情を伺いながら言った。伺うもなにも、想定外の質問だったから、たぶん間抜けな顔しかしてないんだろうけど。
「ああ、興味本位だけで聞くんじゃなくて。なんていうかこう、死者とはちがう感じがしたというか。死者に会ったことはないんスけど。一度だけ聴いた歌も楽しげかと思ったら、途中からはなんだか泣いているようで。…………っそれともやっぱり足がなくて、血みどろで、髪を振り乱したおどろおどろしい姿のいかにもな幽霊でしたか!?」
「いえ、とても可愛らしいふつうの女の子でしたよ。足もちゃんとありましたし」
自分で言っていて居た堪れなくなったのか、後半とつぜん方向転換をした言葉にキッパリと否定はしておく事にした。
ただすこし透けていて、触れなくて、空中を自由に移動する事ができる。それだけだ。見た目も話をする雰囲気も、僕らとなんら変わりなかった。
神妙な顔つきで言われた前半については、僕だってどこまで口にしていいものか迷う。
「そう、なんですか。……じゃあ、やっぱりなんだかそぐわないですね」
そう言ったアニマトはどこか安心したようだった。僕の返事は聞きたかった答えに近いものだったのだろうか。
視界に映す事のできる僕とはちがうけど、昨晩言っていたとおり彼はほんとうに直感や霊感なんかの、目には視えない感覚的なものについて敏感らしい。そういえば彼女と出会ったときもその声が聞こえるよりはやく足を止めていたし、肩に触れられているのもなんとなく感じ取ってはいたようだった。
「彼女、ほんとうに死んでいたんですかね?」
僕も思わなかったわけではなかった。どうやらアニマトもおなじように感じていたらしい。
帰りの陸路も汽車のなかでもその言葉がやけに耳に残ったまま、ずっと消えないでいた。
2020.08.20.thu
2023.11.26.sun 修正
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