「辞書ありがとう。返すね」
とても久々にツナが我が家を訪れた。何でも私があげた辞書を返しにきたらしい。
ツナとは3年間クラスが違って、あのリボーンという子供が来た頃からは友達ができたらしく放課後ツナが宿題の為に来る事もめっきり減った。というか3年の時にはほとんど来てないんじゃないかと記憶を辿りながら、ツナに辞書を押し付けられる。それは私の家にあった6年間の歴史が比にならないほど使い込まれた形跡があって、3年でツナは何度これを開いたのかなんて検討もつかない。10年分くらい使われていそうだ。
「あげるって言ったのに……何で?」
疑問だった事を口に出せば、もう必要ないからねとまた笑われた。ツナはここ数年無意味に笑う事が増えたのではないか。嗚呼人はそれをズレていると言うのだろうか。それとも作り笑いと呼ぶのだろうか。
何だか私の辞書を要らないと言われる事で、私自身を否定された気がするなんてそんなのはただの自信過剰の被害妄想なのだろうけど。
何度も何度も長い間ごめんね、ありがとう、とくだらないお喋りの端で繰り返しながら笑うツナが帰ったのは夕方の事だった。別にもうすぐ高校生だし、今は春休み期間だから多少帰宅がいつもより遅れてもあの優しいツナの母親なら怒られる心配もないだろう。
その翌日、私は重大な聞き逃しをしている事に気付いた。そういえばツナがどこの高校へ行くのかを聞いていない。確かあっちは私の進学先を知ってて、でもどうしてかツナの進路を聞いた事はなかった。どうしてなのかが思い出せない。でもまぁ別に焦る必要もないし、ちょうど今日は辞書を持っていこうかと考えてた所だったから、話題にすればちょうど良い。
昨日私の元に戻ってきた国語辞典は、付箋があちこちに貼られていて、至るところにマーカーで線が引かれて、ツナの字で説明が書き込まれていた。
これは私の元にあっても仕方ないなと瞬時理解した私は、今日ツナに再び渡そうと考えていたのだ。
「あら依泉ちゃん、久しぶりね!」
ポカポカの中途半端な昼間の時間帯には住宅街の道路に人の気はなく、ピンポンとツナ宅の明るい呼び出し音がただひとつ鳴る。間もなく出てきた女性はもうすぐ息子が高校生だなんて思わせない若々しさで、いつ見てもおばさんは綺麗だなと思わされた。少女の様な人懐こい笑顔が、ツナは在宅かと何気なく聞いた言葉で崩れた。
ツナから聞いてない?何も?と質問をしたおばさんに、何がなんなのか分からなかった。その通り返答すれば向けられた、困ったように笑う表情が少しだけツナと被ったように思えた。
「ツナはね、今朝早くの便でイタリアへ行っちゃったのよ」
どうして?そんな疑問しか生まれて来なかった。単なる旅行にしては突然だし、勉強が不得意なツナが留学なんてする訳もない。
じゃあ何?どうして前日にこれを返しにきたのよ。返せないじゃん。
ぼうっと手の中の重たい本に視線が移る。風がヒュウっと吹いて知識を詰め込んだページ達が踊った。パラパラと捲れ終わった場所は偶然か、たくさんある付箋紙のついたページのひとつだった。
そこには他より何度も何度もマーカーが重ねられた部分があって、その下の単語はもう見え辛くなってしまっている。
「――!」
目を凝らして見えた単語に私はおばさんに礼をして、途端走り出した。5分もせずに自分の家が見えて、1分もしない内に私は自室へ飛び込んだ。もう一度きつく握りしめた辞典を開ける。
「ボス」
そこにはそう書かれていた。そこから矢印が引っ張られていて、余白には男の子の字で付け足しがされていた。
“何でオレがならなきゃいけないのか今でも分からない”
そうか、ツナはマフィアのボスになったんだね。そうすんなりと理解できた自分に気が付いて、そして嫌悪した。
前に例のリボーン君に言われた事がある。ツナの無知はお前が原因だと。その時私はむしろ知識を与えてるのに?と首をかしげるのみだったけれど、今分かった。ツナを無知にしたのは確かに私だった。子供の浅はかな判断で疑問を消し去り、好奇心や意欲や興味を私が潰した。
もし昔に最低限の知識としてでもそれらを教えていたなら、少しはツナも警戒できて、未来も変わっただろうか。
私はとても無知だ。だからリボーン君は私を嫌ったんだろう。
もう無意味な後悔達の代わりに涙がぼたぼたと辞典を濡らす。それからも付箋を追ってはたくさんの言葉に出会った。それらは他のメモと違ってまるで私が読む事を見越して書かれたようで、ツナの3年間を知った。
一番大きな付箋が貼られたページを開いてようやく涙が引っ込んだ。許されているような気がした。
「親友」
最初の親友は依泉だよ!でも2番目の山本とは違う、もっと変でね、安心するのにドキドキする感じ?よく分かんないや
欠如
それをヒトは と呼ぶのか。
2009.10.21.wed
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