「ワシの酒ーッ!!」

ボチャン。呆気ない音がして、その場にいる人間の視界から2人の子どもが消えた。
届く筈だった手は、一緒に落下していた高が一樽を諦めきれなかった酒造ブーデルの為に突き飛ばされ、掴む事は叶わなかった。
呆然として一瞬誰も悲鳴すら上げられないままだった中、ブーデルはさも大事そうに樽を抱えて、「ああ、良かった……無事だった」と何の被害もなく全て助け出せた安堵かのように息をついた。

手を伸ばしたまま放心していたアリババに当然のように「早く車を出せ」と声をかけたブーデルの声と、幼い子どもの母親の悲鳴とが重なった。
衝撃が強すぎて未だどちらにも反応できないままのアリババの隣を過ぎ、アリ地獄に自ら飛び込もうと走り出した母親を、間一髪今度は他の馬車の乗組員達が押さえ込んで引き止める。

「チャンスだ!砂漠ヒヤシンスはエサを食っとる間は動かん。あんな子ども2人ではそう長くもたんぞ。今の内に、ワシの酒を逃がそう!早く!」

結構な興奮状態らしく大きめの声は、近くにいた人にはその一通りが聞こえていた。信じられない。誰もがそんな顔をして一瞬振り返った。
呆れて声も出ない、もしくはそんな場合じゃない事を分かっているからの自制なのか、誰も今その言葉を咎めようとはしない。

「運転手、お前は働きが良いから、特別に金を多くやるぞ。2倍が良いか?3倍か?ん!?」

自分が手を伸ばしていたのに助けられなかったショックが大きかったのか、顔を青くして未だ動けずにいるアリババにブーデルはいかにも悪い事を考えているのが分かる顔で近付いた。興奮状態から少しだけ声のトーンを戻して、アリババに取引を持ちかける。
人として、持ちかけるべきでも引き受けるべきでもない、そういう取引だった。
その言葉が聞こえたのかより一層悲愴な声を上げた母親。アリババが迷っているとでも思ったのか、一度それを離れて今度はそっと救いの手を差し伸べるような口調で、泣き続ける女性に近付いた。

「泣くな女よ。あの子どもの代金なら、ワシがいくらでも払ってやるから」



「はぁぁっ!?」

突然上がった大声に、アラジンとアリババは話途中で体をビクつかせた。

「代金?言うに事欠いて代金だ?泣いてる母親にお金なんてなんの意味があるってのよ!」

お金がなきゃ人の望む多くの欲は満たされないかもしれない。でも、欲を満たす事だけが幸せじゃない筈だ。欲が叶わない中でも、至福を感じられる事はある筈だ。だからお金の有無が必ずしも幸せとは限らない。
少なくとも、あの母親が望んだのは裕福な生活じゃなく、お腹を痛めて産んだ我が子との日々だった筈なんだから。

「人をゴミ屑みたいにしか見てないあのオッサンが、一っ番クズなんじゃんか!」
「どうどう」
「まあまあ」
「私は動物じゃない」

馬でも相手取るようにふたりから両手のひらを向けられて私の怒りは“制止”された。何のコントだこれ。
面白くないコント劇場に怒りが静まったというより冷めた感じだが、それでもついさっきの失言を振り返るには十分だった。
小学生がバカと言われて「バカって言った方がバカだ」とか反論するのはよくある話だけど、それは結構当たってるのかもしれない。きっと本当に賢い人ならむやみやたら人をバカ呼ばわりしない筈だ。何が言いたいかって、どういう理由だろうと、人様の事そう言った時点で私もクズ決定かなぁ。

「言った意味が違うだろ」
「そうだよ。おねえさん優しい人だね!」

勝手に落ち込んでただけなのに、2人は今度は私を気遣ってくれた。思いがけない優しさにちょっと今更涙腺が緩みかける。

「ちょっと口は悪いけど」

この一言で私の中でのアラジン君イイ子ポイントが台無しだ。緩みかけていた涙腺は全然別の意味で涙が出そう。
アラジン君ってば、笑顔で言う辺り相当タチが悪い。

「今の……アリババ君が言ってたらシメてたと思う」
「俺は言ってねーからな!」
「あははー分かってる分かってる」
「なんでそこ棒読みだよ」

いや、別段深い意味はないんだよ。差別とかじゃないって。仮にも命の恩人にそんな冷たい態度とりませんってやだな。あ、また棒読みになってたなんて気のせい気のせい。


「命をかけて同じ敵と戦ったんだ、もう友達だろ?」そんなやけに調子の良い事を言って、アラジン君と私を家に泊めてくれたアリババ君。
助かるのは勿論だけど、アラジン君はその微妙な違和感に気付く気配もなく、友達ができた事を大変素直に喜んでいた。
砂漠での事件翌日の昼頃になってようやく辿り着いた場所はアリババ君の住まいのある、チーシャンという都市だった。家に着くなり気前よく瑞々しい色をしたリンゴとお茶を振る舞ってくれたアリババ君に、お茶をしながら私は私が知らない空白の時間の事を聞いていたのだった。

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