「っ     


朝食の席で、アリアは思わず立ち上がった。
テーブルの上の皿がガチャンと音を立てて揺れ、カップが倒れて中身がテーブルの上に広がる。
興奮した様子で話し合っていたグリフィンドール生が視線を向けて、テーブルに広がる紅茶を見て一瞬眉間にしわを寄せた。
しかし、それどころではないという様に再び額を突き合わせてひそひそと話し出す。

グループの中心には、広げられた今日の日刊預言者新聞。大広間はその一面記事の話題で騒然としていた。
グリフィンドールのテーブルの隅で1人座っていたアリアも、開いた新聞をテーブルの上に広げて拳を握った。
紅茶がテーブルの端を伝って床に零れようとした瞬間、さっとその紅茶が消える。カップはひとりでに起き上がり、次の瞬間には中になみなみと新しい紅茶が注がれていたが、アリアが新聞から目を逸らすことはなかった。
一面に掲載された記事に大きく書かれた言葉を声に出さずに繰り返す。
再び腰を下ろすことも忘れて、アリアは新聞を捲った。二面も同じような内容だった。

「(名前を言ってはいけないあの人が復活    ハリー・ポッター孤独な真実の声    魔法省での乱闘    )」

これまでの日刊預言者新聞の嘘八百を考えれば、この記事がどこまで本当かなんてわからない。けれど、記事の中にはアリアの知る確かな真実もいくつかあった。
闇の帝王の復活。示し合わせたかのようなタイミングで現職復帰したダンブルドア。そして2日前から姿を見ていない、ポッター、グレンジャー、ウィーズリー兄妹と、ロングボトム。それにレイブンクローのルーナ・ラブグットを加えた6人は、事件の夜、魔法省に乗り込んだと噂される人物たちだ。
彼らは今医務室におり、内数名は重傷で入院中だと聞く。

今やホグワーツはこの話題で持ちきりだった。ちらりと視線を上げ、アリアはスリザリンのテーブルをざっと見まわした。けれど、その中に彼の姿は見あたらない。ゆっくり視線を新聞に戻して、再び腰を下ろす。

アリアは魔法省内で捕らえられ、アズカバン送りになったという死喰い人たちの名前を見つめた。
知った名前もいくつかある。その中に両親の名前はなかったが、それよりも更にショックを受ける人物の名前が、リストの一番上に記されていた。

「(ルシウスおじ様……)」

無意識のうちに、拳に力が入った。新聞の端がくしゃっと音を立てて皺を作る。
細かな真実は、何もわかっていない。
昨日何度かドラコの姿を目にしてはいたが、彼も事態をすべて掌握しているわけではないと、目を見てすぐに分かった。
戸惑いを含んだ視線を絡ませるだけで、昨日は話す時間も取れなかった。アリアは今朝この新聞を読むまで、ルシウスが捕まったと知らなかったのだ。
アリアは食べかけの朝食を放り出して新聞を掴むと席を立った。新聞がカップを掠め、テーブルの上を転がって再び紅茶が広がったが、それすら気づかずに、アリアは当てもなく走り出した。

玄関ホールへ差し掛かったところで、アリアは早くもその姿を見つけた。クラップとゴイルを従え、スリザリン寮へ続く扉を潜ろうとする後姿を見て、アリアは慌てて駆け出した。

「ドラコっ!」

ホールにアリアの声が響く。
素早く振り向いたドラコと同時に、クラップとゴイルもアリアを見つけて、そしてすぐに睨むような表情を作った。

「お前ら、先に帰ってろ」

アリアを庇うようにドラコが前に出て、走り寄ってきたアリアを自分の陰に隠した。そう言われた2人は少し顔を見合わせた後、不機嫌そうな声でアリアを指差して言った。

「ドラコ、こいつグリフィンドールだぞ?」
「知ってる。彼女はいいんだ」
「でもラジアルトは血を裏切る者だって、こいつの父親が    
「いいから行けよ!」

ドラコの怒鳴り声に押されて、クラップとゴイルは渋々と言った様子で扉の内側へ消える。けれどアリアは、2人が残した言葉に心臓の音が大きくなるのを感じていた。
ずっと感じてた不安が、確かなものへと変わってしまった。ぐらりと、視界が揺らいだ。
血を裏切る者。父様が、私をそう言ったのか。

けれど朧気になった視界は、すぐにドラコのローブに埋もれて消えた。首と肩に暖かさを感じる。それがドラコの腕だとアリアはすぐに理解した。

「……心配するな」

頭の上からドラコの声が聞こえる。その声が優しくて、アリアは彼の服をギュッと握った。
不安にうるさく鳴る心臓を抑えて、アリアは小さく頷いた。…そうだ、こんなことを話しに来たんじゃない。
アリアは新聞を握って、ドラコの肩から頭を上げた。

「ここで話そう。大丈夫か?」
「……うん」

階段下の、小さな空き部屋の扉を開けてドラコがアリアを促した。人影は少なかったが、玄関ホールのような声の響く場所で話せる様な話でも、人目に付く様な所で堂々と会える間柄でもない。
アリアは熱くなる目頭を手の甲で冷やしながら、さっと空き部屋へ入った。手近にあったベンチに腰かけて、アリアはドラコが扉を閉めて傍へ来るのを見つめていた。
その表情はいつもと変わりなく見えるが、いつもの余裕や自信は感じられない。

「……新聞、に」

そう言ってアリアが手に持った日刊預言者新聞に視線を下ろすと、ドラコは目を細めてその新聞を奪い、再びアリアを抱きしめた。
視界はまた彼のローブで遮られ、彼の表情は見えない。けれど込めたその腕の力強さで、アリアは記事が事実であることを理解した。

「知ってる。ついさっき、母上から手紙が来た」
「じゃあ本当に、おじ様……」
「吸魂鬼はもうアズカバンにいない。父上たちはすぐに出てくるさ」

言いながらも、ドラコの腕の力は更に強くなった。
それはまるで自分に言い聞かせるような言い方で、アリアはただ彼を抱き返して頷く以外になかった。

「手紙に、君のことも書いてあった」
「……私の?」

しばらく沈黙が続いた後、ドラコはローブのポケットから手紙を取り出して、アリアに渡した。
宛名はドラコ、差出人の名前はナルシッサと記されている。アリアは手紙を受け取ってドラコを見上げた。ドラコは眉間にしわを寄せたまま、心配そうな目でアリアを見つめるばかりだ。
戸惑いながらもアリアが手紙を開くと、綺麗に折りたたまれた手紙の内側から、大きさも紙質も違う別の手紙が一枚零れ落ちた。アリアの膝に落ちたそれをドラコが拾い、そしてアリアに差し出す。

「……これを、君に渡すようにと」

受け取って、アリアがその紙を開く。
短い手紙だった。けれど数秒経っても、アリアの視線は1行目から離れることはなかった。
流れるような癖のない文字で、最初に書かれた名前に、アリアはただ息を呑んだ。

「……父様、から…?」


レイバン・ラジアルト

その文字ばかりを何度も見返して、アリアは手紙の先を読む前に視線をドラコへ戻した。
膝の上で手紙を畳んで、震える両手でそれを包んだ。まるで、その紙さえ視界に入ることを拒むように。
アリアはドラコを見て、力なく彼の腕に手を伸ばした。

「ドラコは……もう読んだ?」
「ああ」
「教えて」

アリアはその手紙を膝に押し付けた。一度その手紙と向き合うことから逃げてしまった後では、もう一度手紙を開く勇気が出なかった。
懇願するようにそう言ったアリアに、ドラコはアリアの手の下に隠れた手紙をちらっと見たが、それ以上何も言わずに頷いた。

「休暇中に、僕と君でラジアルト家の屋敷へ行くことになった」
「…ドラコも?」
「ああ、僕も行く」

ドラコも一緒だと聞いてアリアは少しだけ緊張を緩めたが、その表情は依然恐怖で満ちていた。
「あの方はいつかきっと戻って来られる」
繰り返し繰り返し、アリアの頭の中を支配してきた言葉が響く。その言葉を理由に、5年もの間アリアをラジアルトの名前から遠ざけてきた父。そんな人が、今になってどうしてアリアを呼び戻すのだろうか。
あの時、ダンブルドアの部屋でその言葉を口にした父の侮蔑の目は、未だアリアにとって恐怖の対象だった。

「……大丈夫だ」

震えるアリアの頭をそっと撫でて、ドラコはそう言った。
彼の手の中で、日刊預言者新聞がくしゃりと音を立てた。





===2011.10.30