七つ下がりの雨

スーパーで買い物をするのは久しぶりだ。あの日以来食欲も失せてしまったし、自分の為に料理をする気になんてなれなかった。しばらく開けていなかった野菜室の中身を思い浮かべたが、使えるものはあまりないだろう。入口の近くにあったものから適当に手に取りながら考えてみたものの、一から買い物をするとなると、何から手を付けていいのかわからなくなってしまった。こんな時、あの人といたら「今日は何食べたい?」なんて雑談をしながら買うものを選定していたのにな。ふと思い出してしまった楽しい時間が私の心の穴を広げていった。

「おい、ずっとそのニンジンを見つめているが大丈夫か?」

すっかり嫌な感情に飲み込まれてしまった気持ちが彼の問いかけによって引き戻され、咄嗟に出てきた言葉はスーパーでしていたいつもの会話である「今日は何が食べたい?」だった。
は、と思った時にはもう遅く、「そうだな…」と思案している声が耳に届いた。

「そのニンジンを買うのであれば、カレーが食べたいな」
「カレーですか」
「シチューも好きなんだが、今日は気温が高いからな」

小さく笑いながらそう言った彼は、一緒に歩いてきた中で一番親しみやすい表情をしていた。そうと決まれば買うものも決まり、私たちはスーパーを後にした。途中買い物かごを持ってくれたり、買ったものの袋詰めを手伝ってくれ、そのまま荷物を持ってくれたりする彼はとても紳士的だと思う。こうして誰かと並んで歩いていると、あの人と買い物に行った帰り道にふざけて一つの買い物袋の持ち手をそれぞれ持ち、並んで歩いて笑いあった思い出が蘇る。もうあの日々が戻ってくることがないのだと思うと視線がどんどん下に落ちていき、ついには足元のパンプスを捉えた。そんな私をみた隣を歩く彼は、最初に会った時と同じように大きくて優しい手で私の髪をひと撫でし、「前を見ないと危ないぞ」と言った。言われるがままに前方を見ると、急に雨が降り出した。日傘は持っているが、流石に二人は入れないだろう。

「家、もうすぐそこです」

パンプスをちらりと見ながら「走れるか?」と聞かれたので頷いたのを合図に、小走りで自宅へ向かった。

「七つ下がりの雨ですね…」
「ああ、これは長引きそうだ」

すぐそことはいえ、結構濡れてしまった。この時間から降り出した雨だ、すぐには止まないだろう。結果的に買い物にまで付き合わせてしまった彼をこのまま帰すのは流石に心が痛むので、ひとまず雨が止むまで上がってもらうことになったが、如何せん部屋は散らかり放題だ。雨に濡れない位置でしばらく待っていてもらい、人を招ける状況を作らなければなるまい。寒い季節ではないが、濡れていると冷えるだろう。なるべく早く片付けてしまわないと。雨とともに吹き込んだ風が小さくピアスを揺らした。

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