orpington


嘘つきの視線


「大体少佐はあの子らに対してちょっと厳しすぎなんですよ」

食事が進むにつれて回ってきたアルコールが、私を平生よりも饒舌にさせる。
私たちは大通りから一本路地へ入った所にある居酒屋にいた。豊富な種類の料理とお酒は、私よりはるかに舌の肥えた少佐にとっても及第点だった様で、牛頬肉の煮込みを品よく口に運んでいた。
もっとも、軍人たるもの食に頓着するようでは戦場で生きていけないから、思ったよりもこだわりはないのかもしれない。

食事に合うお酒を店員が勧めてくれるものだから、明日も仕事だというのに少しだけグラスを空けることになった。互いにグラスが空になると「次は何を飲みますか」と尋ねあう。私は立場上やはり少佐の飲み物を気にかけるが、少佐は私のグラスなんて気にかけなくていいのにと思うのだがそういった気遣いが出来るあたり紳士である。
司令部から離れた夕食の席とはいえ、仕事の話が話題に挙がるのは上司と部下という関係が根底にあるから止むを得ないだろう。「今日は仕事で何かトラブル等ありましたか?」と定型文のように少佐の口から発せられる。「特に問題はありませんでしたよ」と答えると「そうでしたか」と少佐は言う。

「…明日は私のデスクに書類が山ほど積まれていることでしょうね」

前菜の盛り合わせによく合う白ワインを眺めつつ軽くため息をついた。私はそのセリフを聞いて少しどきりとした。少佐がいない間にと部下が私に回してきた書類が文字通り山ほどあるからだ。
「非番明けは事務処理が溜まるから大変ですよね」と当たり障りのないことを言って様子を伺う。

「いつも1日で溜まる量の倍はある気がするのですけどね。さしずめ私が細かく指摘するから私がいない間に出したい、とかそういったことでしょうけど。…まぁ良いのです。貴方がしっかり精査してくれていることでしょうから」

私はただ乾いた笑いをするしかなかった。

「なんというか…一応細かいという自覚はおありなのですね。」

「えぇ。仕事は美しく完璧であるべきですから」

「…人間のやる仕事に完璧はないと思います。現に私もたまにミスがありますし。ですが…彼らが言っておりました。少佐は『私には』優しいと」

いつも作ったように上げられた口角を真一文字にして私を見つめる。そして顎に手をやって、考え事をするような仕草を見せる。

「ふむ、確かに傍から見ればそう感じられるかもしれません。しかしそれは貴方が出来るだけ完璧を目指し、完成度の高い仕事をなさるから、指摘される機会が少ないだけです。彼らはまだ努力も足りなければ完成度も低い」

「ありがとうございます。彼らに、精度の高い仕事を続ければいずれ少佐の信頼を得られるはずだと伝えました。」

そうですね、といつもの微笑を浮かべた表情に戻る。少佐はワイングラスを傾けた。

「だけど、あの子たちの可愛いところは素直さですね。私がフォローするからと焚きつけてみると仕事についてたくさん質問を投げかけてきます。」

「貴方の方が部下のマネジメントが上手なので助かっていますよ」

「…それについては、少佐は努力も足りなければ完成度も低いかと」

先ほど少佐が言った言葉を引用し、皮肉を込めてそう言ってみる。“貴方の方が”と自身と比較するように言っているが、少佐は私のように部下を扱う気はさらさらないはずだ。少佐は『ご名答』とばかりに浮かべた意味ありげな微笑をそのままに、ワインを口に含む。このワインは白身魚の香草焼きによく合う爽やかな味だ。
この方は、自分の信念を貫き通すが故に、たまに酷く冷たい表情をする時がある。人それぞれ自分の美学を持って生きているのだからそれを否定する気はない。しかし、私の美学とは相容れないだろうなと思う。和を大切にする自分は、少佐の個を重んじる姿勢にもはや憧れさえする。自分には一生かかっても真似出来ない。少佐は口を開く。

「えぇ、そうですね。私は部下を失っても残酷な言い方をすれば生存競争から淘汰されたとしか思いません。事実、そういう世界に私たちは生きているのです。死が私を襲う日は近いかもしれない。ですが、その状況はみなに言えることなのです。部下を助ける義理も、死を悲しむ義務もありません」

「確かに一理あります。が、少佐は度が過ぎていつか部下に寝首を搔かれそうですけどね。」

「ふふ、確かにそうかもしれません。夜道には十分注意することとしましょう。」

信念を突き通すのと、敵を作りながら生きていくのとは似て非なるものだ。本人にそのつもりはないのだろうが、少佐にはそのきらいがあるように思えて仕方なかった。

「貴方の軍人として、また錬金術師としての精神はとても尊敬しておりますが、少佐の基準で物事を考えると部下とのギャップが生まれやすいかと。そしてあの子たちは何より経験が不足しています…まぁ、だから私がフォローするのですが。」

そして冒頭の台詞だ。深い赤茶に染まった牛肉を頬張る。

「貴方、いい具合に酔っぱらってきましたね。中尉は私と部下の扱い方をよく理解っているので、いつも感謝しているんですよ、これでも」

この人は冷酷な顔をしておきながら、ここぞというところで私に飴を与えてくる。不意に訪れるそれは、私の意思と反して胸を高鳴らせるが、いつも気付かない振りをしてやり過ごすのだった。



「すみませんでした。ご馳走になっちゃって」

「いえ。私がお誘いしたんですから。美味しかったですねえあのお店」

「ええ。そうですね…では、また明日。夜道にはお気をつけ、と」

店を出て大通りへとつながる細い路地、あと2メートルのところでいかにも柄の悪い筋骨隆々な男に囲まれた。大通り側に一人、路地側に二人だ。少佐の後ろでニヤニヤと気色悪く笑っている男たちは見覚えがあった。あの店にいた客だ。

「おたくらの話聞いてたぜ。そっちの男は錬金術師で、しかもそれ。銀時計だろう。」

大男の推理は当たっている。少佐は私服のスーツのベストから銀時計のチェーンをのぞかせていた。今日部下が回してきた書類の中に国家錬金術師を狙った金品の強奪事件が多発しており、捜査に係る途中経過の報告書を確認していた。あぁ、こいつらかと一人納得した。

「すみません少佐、迂闊でした。こいつらは国家錬金術師専門の強盗集団です。なるべく拳銃は使わないようにしますが、万一は撃ちます。」

私は誰が聞いているともわからない場で少佐の地位が分かるような話をした落ち度を詫びる。そして簡潔に伝えるべきことだけ伝えると、少佐は「書類がただでさえ多いのに…やれやれですね」と笑う。少佐が手を合わせ、細い路地裏に乾いた音がこだまする。それを合図に私は目の前の大男を捕らえに掛かった。



さすがは国家錬金術師専門としているだけあって、一筋縄ではいかないようだ。力では勝てないから、間合いを詰められないように気を付ける。大木のように太い体から繰り出される突きをまともに食らえば、一発で伸びてしまうだろう。大柄な体躯からは考えられない素早さである。こいつは厄介だ。錬成陣を描く暇も与えてくれない。少佐も民家が近くにある路地裏だからか大規模な爆発は起こしていない。このままでは埒が明かない。

「少佐!!」

私は少佐に目配せをする。男たちの動きを鈍らせ、かつ私の有利な状況にし、一瞬で片を付けるためには。少佐は私の視線の先を見据え、手を合わせる。紅蓮色の錬成反応が目に眩しい。私には明るすぎるーーーそんなことを考えた刹那、地面が揺れ、ばつん、と大きな音を立てた。私たちを微かに照らしていた街灯も、街の通りのネオンも、光は失せあたり一帯が暗闇に包まれた。突然の異変に「なんだ!?」と口々に声を上げ、動揺を隠せない様子の男たちは、怯みその場で動きを止める。その怯えた表情まで私には手に取るようにわかる。急所は外して、少佐に当たらないように。銃声と、肉を貫く鈍い音が3発響く。全て当たった。手早く錬成陣を描き、縄を生成し男たちを確保した。

「…お疲れ様でした。流石です。お互いに接近戦には向いてないですね」

「はは。意図を汲み取っていただきありがとうございました。配電管を壊したんですね」

「ええ。電流と爆弾は相性がいいですから…しかし、この月明りだけでよく見えますね、本当に」

「人よりも少し夜目が利くだけです。あとは気配と空気の流れを察知して分かるだけですよ…で。これからどうします?」

爆破の振動でぽっかりと下水道が見えるほど穴が空いた道。闇に包まれた街中。電気も通っていないので司令部に電話も掛けられない。もがき苦しむ実行犯の大男3人。さてこの状況をどうしたものか。私には少佐が苦笑いをしている顔がはっきりと確認できた。



「非番でしたのにすみません」

「それを言うなら中尉も。早く上がったのに災難でしたね」

結局、諸々の手続きを終えて司令部を後にしたのは日付が変わってからだった。破壊した配電管を少佐が修復し、電気が復旧したことで連絡を司令部に入れることができた(地面にしゃがみ込みいそいそと錬成陣を描く少佐が珍しくてなんだか笑ってしまった)。即席で錬成した牢屋に放り込まれていた男たちを軍部に引き渡した。
司令部に行き上層部に簡単な報告をしたが、煩雑な手続きは明日に回してしまおうと私服のコートと鞄を手に取る。少佐も同じ考えだったようでそれを見て早々に執務室の明かりを落とした。闇夜に煌々と浮かぶ星と、よく熟れた月が少佐の白い肌を照らす。自宅近くまで送ると申し出た少佐へ丁重に断ろうとしたが、また押し問答になるのが目に見えたので、仕方なく聞き入れることにした。

「丁重にお断りしたとしても、少佐は送ってくださるんでしょう?」

「えぇ。良く分かっていらっしゃる。」

「…では断り文句を並べるだけ野暮ですね。ご足労をおかけしますが宜しくお願い致します。」

月夜の中、私はふと浮かんだ矛盾について少佐に尋ねる。

「…失礼を承知で申し上げるのですが。少佐は、案外、仰る言葉に矛盾がありますよね」

「矛盾?」

「…部下がどうなろうが構わないと言いつつ、私を送ってくださるところとか」

「…そういう貴方は案外、恐れを知らない。」

少佐のその言葉が誉め言葉ではなく皮肉を交えたものだということは分かっている。
私は少佐に女性として特別扱いしてほしいわけじゃない。だが、少佐の中で私という存在が少しでも失い難いと思われる部下でありたい。上司に認められたいという承認欲求は軍人には不要だろうか。

「ふふふ、爆弾狂に『恐れ知らず』と、そう言われるのも悪くないですねぇ」

恐れを知らないと言われたものの、人並みに恐怖という感情は持ち合わせている。私の一番の恐怖は死ぬことよりも少佐に『必要ない』と言われることかもしれない。

「私は、ほかの部下と同じように、貴方が生きようがどうしようが構いません」

少佐は、私たちの右上に浮かぶ月を見ながら残酷に言う。しかし、こちらを向いた少佐の表情は柔らかかった。

「ですが…貴方は優秀ですよ。」

それが彼の処世術であろうがなかろうが、どちらでも良かった。今はその言葉の額縁だけを受け止めていたい。

「…その言葉がいただけただけで、ありがたいです。少佐。」

あとは曲がり角を曲がれば自宅というところ。

「少佐。こちらまでで大丈夫です。送っていただき有難うございました」

「いえ。お疲れさまでした。あと、こちらをどうぞ」

今まで渡されなかった研究書が私の腕にどさりと乗せられる。

「少佐、こちらはまだお読みになっていないのでは?」

「いや、いいのです。お先にどうぞ」

火薬や爆弾に関する研究書のほかに、錬金術と心理学・哲学の書が混じっていた。私は書から視線を移し少佐の背中を見送った。

私は少佐からお借りした書の中で、錬金術よりもなぜか心理学・哲学の書に興味をそそられた。少佐の振る舞いや言動を少しでも理解出来たらというおこがましい発想がなかったとは言い切れない。しかし、すべて読み切ったところで人の心など分かるわけがなかった。だが、私は人間の興味深い行動をひとつ知った。今宵の月の位置を思い出しては、顔が緩んでしまうのを止めることが出来なかった。

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