orpington


無記名の”彼”と出会うまで


祖父の故郷は東の大国シンであり、幼いころから錬丹術に触れる機会は多かった。しかし私はそのような類の勉学よりも、小高い山々を駆け巡り、時には夜の暗闇の中で、獣を撃つ方が好きだった。祖父は典型的な田舎の頑固爺といった感じで、小さいころは祖父が怖くて仕方なかった。祖父は私に錬丹術を覚えて欲しかったようだが、私はあまり乗り気じゃなかった。祖父に厳しく育てられた一方で、祖母は優しかった。獣を撃ち食糧を持って帰ると、祖母は「女の子なんだから」「危ない」と心配から小言を言いつつ、いつも最後にはほめてくれるのであった。私に狩りのいろはを教えてくれた近所のおじさん方は、銃の腕は大人顔負けもしくはそれ以上とほめてくれた。動きが素早ければ素早いほど、動物が強ければ強いほど、撃ちとれた時の充実感は計り知れない。周りの余計な景色には靄がかかり、動き回る動物だけがくっきりと、ゆっくりと見える。黄金色の瞳の軌道が、命を燃やす蛍の光のように見える。己の集中力がその境地に達する瞬間が興奮した。



一度だけ、猟の最中に大きなけがを負ったことがある。脚の、大きく深い傷からどくどくと鮮血があふれる。それでも私の身体は傷をふさごうとして、熱を帯びている。脚だけ鎧をまとったように重く、湯でぐらぐらと煮込まれているように熱い。血が足りない。視界が霞んできた。家に一刻も早く帰らねば。猟銃を杖のようにして、一歩ずつ前に進む。地を踏みしめる振動が伝わるだけで顔が歪む。だんだんと立っていることもままならず、ついには倒れ込んでしまった。腹ばいになって進む。もう、起き上がる気力も残っていない。ごろん、と天を仰げば、憎らしいほど明るい星々が私を見下ろしている。倒れ込んだ頭上から、がさがさと動物が動く音がした。血の匂いに誘われた熊だった。私は生まれて初めて死ぬのが怖いと思った。自分の腕に酔いしれた罰であろうか。人間なんてちっぽけな存在だ。銃を持たない私はただの肉片にすぎない。私は自分の愚かさに気づく。手負いの私は、あれだけ撃ってきた動物たちの餌になってしまうのか。死にたくない。最後の力を振り絞って猟銃を構え、逆さの熊に向かって引き金を引いた。弾は首をかすめ、それにひるんだ熊は去っていった。それを見送る前に、私は瞼が下りてくるのに抗えなかった。
次に目を覚ました時に見たのは見慣れた自分の家の天井だった。涙を流す祖母と、心配そうな顔をした祖父。祖父のそのような表情は見たことがなかった。傷を負っていたはずの脚は、痛みはあれど血は出ていなかった。目を覚ました私を見た後、祖父は外へと出ていった。祖母は私に、祖父が戻ってこない私を心配して家を飛び出し、血相を変えて戻ってきたこと、祖父が錬丹術で傷をふさいでくれたこと。そしておそらく安堵の涙を私に見られないように外へ出ていったということを教えてくれた。その出来事のあと、私は祖父から錬丹術を教えてもらうようになった。祖父が怖いと思うことはなくなった。



祖父母が亡くなった後、私は両親が住んでいたアメストリスへ引っ越した。物心ついた後に引っ越したのでシンが恋しかった。シンには祖父母との思い出や、友人、猟を教えてくれた人たちもいたので、アメストリスには愛着が湧かなかった。思い出も知り合いもないこの国に対し、私は地から湧き上がるような焦燥感を覚え気味が悪く感じていたほどだった。故郷にあったような遊び場の山などは多くなく、アメストリスは退屈だった。しかし、両親が研究していた錬金術には興味があった。時間を持て余すことも多く、両親の研究室に忍び込み研究書を読み漁った。研究書を読んでは試す。学校の勉強よりも錬金術の勉強の方が楽しかった。アメストリスの錬金術に魅了されていった。錬金術のことを考える時間が増えるにつれ、この国に対する辟易の感情は消え失せた。進路を決める年頃になると、銃の腕前と錬丹術や錬金術を活かせる仕事がしたいという割と安直な思いから、軍人を志すようになった。私は士官学校へ入った。



銃の腕で右に出るものはいなかった。それもそのはずだ。止まっている的を撃ちぬくなど造作もない。模擬銃を使った実践的な訓練でも、成績は常に1位だった。野生動物に比べれば、人間の動きなど雲の動きのように見えた。教官に「暗殺業でもしていたのか」と冗談っぽくも半分本気で疑われたので、幼いころから猟をしていたことを伝えると納得した表情を浮かべていた。課題や友人との約束がない時は、士官学校の図書館に入り浸っていた。錬金術の研究書や蔵書が置いてあったからである。貴重な先人の研究や論文を無料で読むことができ、私はこの学生特権を使わない手はないと思った。通い詰める中で司書と仲良くなり、時には厳重に鍵がかけられた持ち出し厳禁の蔵書も見せていただいた。私はそこで「ゾルフ・J・キンブリー」という男の名を知ったのである。



私が彼と初めて顔を合わせたのは戦場であった。戦場と言っても、アメストリス軍が所有する軍事演習場である。軍部から視察をしに来ていた何名かの軍人の中に彼が居た。彼が名前を名乗る前からちらりと覗いた掌の刺青に目がいった。手中に鎮座するは錬成陣。彼は錬金術師だ。風になびく黒髪は太陽の光に照らされ金糸のように輝いていた。彼が己の名を発した時、「あぁ、この人が」と、記憶と視覚情報とが一致した。冷静な自分が居る一方で、全身が粟立つような、生命の息吹を含んだぬくい春風を体で受けた時のような高揚感。視察が終わった彼を不躾にも呼び止めた。

「突然呼び止めたご無礼お詫び申し上げます。貴方様の研究書を拝見しました。」

少々驚いた表情を浮かべ私を見つめる。その後、柔らかい笑みを浮かべた。

「そんなにかしこまらなくていいのですよ。貴方も錬金術師なのですか?」

そう話をつづけた彼に少し安堵し、敬礼の力が緩む。腕を下した時、肩の力もふっ、と一緒に抜けた。

「錬金術師と名乗るには未熟すぎますが。私は、貴方の研究は軍事国家アメストリスにとって無くてはならないものであると、研究書を一目見た時からそう確信致しました。お会いできて光栄です。」

そういった後、差し出された手をとり軽く握手を交わした。彼の手はすこしかさついていた。



私は士官学校を卒業して、配属先が決まる前、教官にどうにかキンブリー隊に入れてもらえるよう直談判した。すると教官は「お前のようなもの好きは初めてだ、人事も喜んで配属させるだろう」と言った。私は当初その言葉の裏側がよくわからなかったのだが、すぐに意味を知ることになる。根っからの仕事人間である彼は、一つのミスも見逃しはしなかった。指導は丁寧にしてくれるが、こちらがやらかしてしまった時は今にも殺しそうな勢いで静かにミスを追求するのだった。もちろん実際に殺しはしないが、一つの弁明も許してはくれない。弁明しようものなら、それを一言でねじ伏せてしまう正論が返ってくるのだ。先に配属されていた先輩方は蛇ににらまれた蛙のように萎縮し、精神的に参っているようだった。この際、極寒の北方司令部でもいいからと、異動を懇願する人が絶えなかった。



確かに怒らせると怖い人ではあるが、仕事について聞きたいことがあればどんなに忙しくとも時間を作ってくれる。それに、彼がいう言葉は、厳しくもあり正論だ。彼は、良くも悪くもいつも正しい。それが他の人間からすると突き放されたように、彼が冷酷な人物だと思うのだろう。私は、彼の研究に惚れた弱みだろうか。憎たらしくも憎めないというべきか、それでも尊敬の念の方が勝っていたのだ。彼は私を女だからと言って特別扱いはしない。私はその方が気楽だった。戦場という場所において、軍人に男も女もないからだ。力がなければ殺される。いたってシンプルな理論である。しかし、どこにでも「性」を持ち出して「女のくせに」という輩はいる。同じ隊のニコライ少尉があからさまに目の敵にしているのが分かった。面と向かってその感情を向けられることもあれば、間接的に向けられることもあった。そういう輩に限って己を顧みず怠惰で傲慢だ。自分自身は努力もせず、向上心もない。ある日、私の愛用している軍用ライフル銃に泥水がこれでもかと掛けられていた。大方、例の少尉だろう。私はふつふつと腹の底から湧き上がる怒りや悲しみをどうにか抑える。遅番だった私は、皆の終業時間を待った。一人になりそそくさと銃を自分のデスクへと持ってきて、パーツごとに分解して手入れをする。チャンバーまで泥が入っている。このまま使えばジャムってしまうだろう。私は机に思い切り握り拳をたたきつけた。銃は私のアイデンティティだ。それを汚された。強姦されたといっても過言ではないのだ、私にとっては。

「穏やかではないご様子ですね」

後ろから声をかけられた。そこにはにこりと微笑む上司。誰かが近づいてくる気配はしていた。私は敬礼をする気力もなく「お疲れ様です」とだけ挨拶を返す。

「銃の整備ですか、お疲れ様です、と言いたいところですが。『貴方にしては』粗末な使い方をしたようですね」

「…」

「そういえば。そうそう、聞いてください。ニコライ少尉が、軍事演習もないのに靴に泥を付けていたので洗ってきなさいと、今朝がたそんな話をしたのですよ。雨も降っていないのに、おかしな人です。貴方もそう思いませんか?」

わざとらしい、ミュージカル俳優のような大げさな話し方だった。私は疑惑が確信にかわり、ただの金属片となり果てた銃の一部を強く握りしめる。

「もうすぐ人事査定だというのに、持ち場を離れて…勤務態度に物申したいところです」

「もしもの話ですが。とある怠惰で傲慢な部下が一人、不幸な事故で…例えば整備不良の銃が暴発して、貴方の隊から去ることになってしまったら、如何いたしますか?」

銃を組み立てながら問う。

「貴方も意外と血気盛んですね。しかし、貴方の仕事が増えてしまうのではないですか?」

「もともと怠惰な軍人ですから、仕事量はそんなに変わらないでしょう」

「ははは!確かに一理あります。」

普段口角を少しだけ上げて面のように笑う目の前の冷酷な人間が、口をぱかっと開けて楽しそうに笑うものだから拍子抜けしてしまった。長い溜息をひとつつく。

「はぁ。ネガティブな感情に冷静さを奪われて時間を無駄にしてしまう方がもったいないですね。あの足手まといはさっさと階級追い抜かしてこき使ってやるとしましょう」

「普段は男女関係なく、入隊してからの年数も関係なく、平等に接しているつもりですが…貴方が人一倍努力をしていることは存じ上げていますよ。」

「それでこんな仕打ちを受けるなんてフェアじゃないですけどね。次、もしこんなことされたら、現行犯でとっちめて拷問です。私の愛おしい相棒を穢したのですから。それに、武器を粗末に扱う軍人など言語道断です」

「貴方も仕事人間ですねえ」

どこか嬉しそうに笑うのであった。



数日後、人事査定のフィードバックがなされた。社会人になっても、成績を数値化されて評価されるのは気分の良いことではない。しかし、今日、見方が変わった。数字で客観的に評価されるのも悪くない。評価基準が明確かつ段階的に設けられていて、それを満たしていればそれにふさわしい数字がもらえる。実に単純明快だ。私はそこに鎮座する数字と、それに伴い、前回よりも格段に増えた賞与の金額と、あの、憎たらしくも憎めない上司のサイン。それらを眺めてしばらく口元を緩ませていた。少しだけ、涙で視界がゆがんだ。



そうそう、あのニコライ少尉。勤務態度の悪さには変わりないのだが、他の隊の女性兵士や、女性事務次官に手当たりしだいちょっかいを出していたらしい。素行の悪さで有名で、叩けば埃だらけの人間だったのだ。これを好機と言わんばかりに、わが上官はさっさと手を切ったらしい。北の、聞いたこともないような軍事施設付けに配属となっていた。いわば左遷だ。ただのいち少尉のセクハラの左遷にしては、ずいぶんと重い罰に思えた。しかし彼は、とある女性が、大総統の奥様の遠い親戚にあたるとは知らず、執拗に声をかけていたようだ。彼の節操のなさに呆れて声も出なかった。

「全てご存じだったんですか?」

「女性陣から告発があったのですよ。私自身も前々から小耳にはさんではいたのですがね。少尉も最初は否定していたのですけど、あまりにも証言が多すぎたので、認めざるを得なかったのでしょう。そうなれば、上司としてしかるべき対応を取らなければなりません。」

ことの発端は、総務に一通の告発文が無記名で届いたところからだそうだ。内容はニコライ少尉の度重なるハラスメント行為が記されていた。普段ならば、ただのいたずらと処理されてゴミ箱行きだろう。しかし、それを見た女性陣が次々と声を上げたのだ。その声の多さが告発文に信ぴょう性を持たせる要因となった。「女のくせに」と言っていた人間が、女がらみで左遷されるなんて滑稽だ。

それにしても、先陣を切った勇気ある人物はいったい誰なのだろう。


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