orpington


太陽と月と星


戦によって階級にあちこち風穴が開けられた。私はイシュヴァール戦の最中、機械的に階級が上がった。何もめでたい話ではない。
ただ、イシュヴァール戦を闘い抜くために、中佐を護り抜くために。彼の自宅の鍵を首から下げる。文字通り重みを感じるそれは、私を鼓舞するには十分だった。

私の直属の上司であるキンブリー中佐と「どのような関係なのか」と他人から問われれば、簡潔に一言で言い表すことは不可能に近い。
私と中佐は「上司と部下」であり、錬金術の面では「師匠と弟子」である。私は彼を師と仰いで尊敬している。一方で、彼の自宅の鍵を渡された仲でもある。
だけど私は、尊敬の念を言葉で伝えたことはあれど、愛を囁いたことはない。彼もまた、私に信頼の念を向けることはあれど、甘い台詞を吐いたことはない。

陽が沈むと途端に気温が下がるこの厳しい地には似つかわしくない、カットソー1枚だけの己の姿。甘い技巧で意識を逸らし、女性の服を取り払うことなど彼には容易いらしい。肌を突き刺す寒さを感じないのは、きっとこの目の前にいる彼がそうさせているのだろう。

一つだけ言えるのは、現在「この状況」おいては、「上司と部下」と言う関係はふさわしくないということだ。しかし、この関係性を「恋人」と言うには、自分には青臭さが足りない。
だけど、首に鎮座する鉄の塊が、私の青臭さを擽った。「ひょっとしたら」。私は彼の中で人より特別な存在なのではないかという希望。戦場という特殊な場において、ある種悲劇的でドラマティックな状況に流されたと言えばそれだけなのかもしれない。ただ、鍵を受け取った時に、妙な焦燥感は感じたのだ。「もしかしたら」。その「もしかしたら」は、彼が死ぬかもしれないし、私が死ぬかもしれない。はたまた五体満足で戦場から帰れないかもしれない。もしかしたら、もっと別の形で。戦はもうすぐ終わるだろう。しかし、今までのように執務室で悪態をつきながら仕事をする日々はもう来ないと、私の第六感が叫んだのだ。「彼を焼き付けておけ」と。

いつもの私なら、テントに茶を飲みに来る上司に小言のひとつでも言っただろうに(あの日以来、私の故郷の茶が気に入ったらしい)、普段と違う妙にしおらしい私に中佐は「体調が悪いのですか」と問う。私は「いいえ」という。手を握ると、視線がかちあった。薄暗いテントの中、どちらからともなく、唇が引き寄せられる。彼の首筋に手を回す。私の手からするりと零れ落ちる黒髪を、彼の存在と重ねてしまった。

情事が進むにつれて快と不快とが深く入り混じる。この空間には、私と彼しかいないはずなのに。私のエゴに付き合わせてしまった罰だ。自責の念からか、とても気分が悪い。暗闇のどこからか視線を向けられているような。彼の綺麗な顎先を伝った汗が、私の胸元に落ちる。水面に急激に広がる波紋の如く、頭からつま先にかけて痛いほど寒さを感じた。

「中佐」

私の声に動きを止める。自分の声も身体も震えている。それに気づいた中佐は心配そうに見つめ、私に軍服を着せた。

「ごめんなさい…中佐、馬鹿な真似をしました。こんなこと、私らしくない。貴方を覚えておこうと、一瞬でも縋った私が馬鹿でした。その逆も然りで、貴方の中に私が刻まれるかもと、おこがましい自分に気づいた途端、気分が悪くなったようです。多くの人間から咎められているような、輪姦されているような気分になりました」

私が言葉を紡いだ刹那、中佐が空気を小刻みに揺らしたのが分かった。何が楽しいのか、彼は至極面白そうに笑っている。

「貴方はほんとうに、優秀な軍人です、くくっ…私は、貴方を部下に持って幸せですよ」

私が中佐の言葉の意味を怪訝な顔をして考えていたのが分かったのだろう。中佐は続けた。私の心を溶かすように、右手でゆっくりと頭を撫でた。

「気にしなくとも大丈夫です。…貴方はそのままで居なさい。貴方は私よりかよっぽど優秀な軍人です。きっと、すぐに私より偉くなるはずです。場の流れを読む力や、暗闇で光る眼は貴方の財産です。大事になさい――」

そして、奇しくも、私の勘はすぐに的中することになった。イシュヴァールの殲滅作戦後、彼は中央刑務所に長らく幽閉されることになる。

「――貴方はきっと、暗闇でも皆を導くような、夜を行く船乗りの道標のような、そんな軍人になりますよ。あの星のような」

あの日の暗闇に浮かんだ月は、ひと際明るい星を指さしていた。

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