インモラル

※夢主が彼女持ち
※浮気

スマホから少し目を離しただけで、あっという間にメッセージアプリの通知が溜まっていく。今までは事前に予定を詳しく伝えてさえいればメッセージを連打してくることはなかったのに、今日は虫の居所が悪いようで、『どこにいるの』『なにしてるの』『返事して』『誰といるの?』『言えない相手といるの?』『返事しろ』などと言った内容のものがひっきりなしに叩きつけられてくる。しかもよりによって消音モードにするのを忘れていたせいで、通知音が辺りに響いてしまった。
「彼女さんからですか?」
 気の置けない友人である原田が私のスマホの画面を覗き込んでくる。あまり見られたくない内容だったので、私は反射的にサッとスマホを自分の胸元に当てるような形で画面を隠した。すると、原田はすんなりと引いてくれた。
「まあ…うん。原田くんと遊ぶって事前に言ってたはずなんだけど。心配性みたいでさ」
「聞いてましたけど、まさかここまでとは思いませんでした。すごいっすね」
 あはは、と乾いた笑いが思わず漏れた。燃え上がるような恋というわけではなかったが、付き合った頃はこうじゃなかった。互いに恋人ができるのは初めてで、色々模索しながら関係を作り上げていったはずなのに、気づけば彼女はひどく束縛してくるようになった。それが彼女の本性なのか、それともなにかきっかけがあって変わってしまったのかはうまく聞き出せていない。以前は家族ではない女性と過ごす時は必ず言ってね、くらいで済んでいた。それは私だって理解できたし、むしろこちらからもお願いしている部分もあった。しかし最近はエスカレートしていて、原田のような男友達と過ごす時でも必ず報告しろと言われるまでになった。流石にそこまでくると息苦しさを感じてしまう。私はいつしか彼女からメッセージが来るたびにため息をつくようになっていた。『原田くんと一緒にいるよ』と返信して、私はスマホの画面を伏せるようにして机に置いた。
「たまには息抜きした方がいいですよ」
 そう言いながら、原田は私の目の前に酒缶をドンと置いた。私が以前ハマっていると話したことのある種類の酒だった。彼の骨ばった大きい指がプルタブにかかり、柔らかい紙でも折るかのように開封した。プシュッという小気味の良い音が聴覚をくすぐってくる。
「ありがとう…」
 軽く喉を潤す程度の量を口に含んで飲み込むと、再び自然とため息が出た。そんなことを繰り返していると、身体がじんわりと温かくなってくる。ちびちび飲んでいる私に対して、彼の方は一口が大きい。原田は酒に強いが、酔う時はちゃんと酔うタイプだ。普段のクールさからは想像もつかない奇行に走ったり、なぜか腹筋を見るように強要してきたかと思えば突然スイッチが切れたかのように寝る。許容量を超えるとすぐ気持ち悪くなって飲みどころではなくなる私にとっては、見ているだけで楽しい存在だった。たまに抱き枕にしてくるのはちょっと勘弁してほしかったが。彼の力が強すぎて全く抜け出せないので、毎回そのまま一緒に寝ることになってしまうからだ。
「いい機会ですし、ここで色々ブチ撒けちゃいましょうや。どうせ俺しかいないんですから」
「言っていいのかな…なんか、悪いような気が…」
「言われずとも内密にしますよ」
「ん、んー…」
「聞かせてくださいよ。俺だってずっと気になってたんすよ?なのにあんたときたら、一切俺に会わせようとしないじゃないですか」
「だって、原田くんめちゃくちゃかっこいいからさあ…とられちゃうよ」
「取らないっすよ」
 頬をくっつけるようにして頭を机に置くと、ひんやりしていて心地いい。下から見上げる原田の顔は相変わらず腰が抜けそうなくらいに整っている。それだけでなくスタイルだって良い。単純に背が高いし筋肉だってものすごい。なんと言えばいいのか分からないが、鍛えられた筋肉の厚みと身体のしなやかさが見事に調和していて、本当に彫刻のようにしか思えない。いや、彫刻でもここまで盛ったら怒られるレベルだろう。私も初めて見た時は本当に自分と同じ人間なのか疑ってしまった。
「…好きなことは好きなんだけど、最近、ちょっときつくて…」
「さっきのやつですか」
「メッセージ連打もきついよ。その内鬼電になりそうで怖いし…まあでも、彼女と会うことが億劫になってる自分に気づいた時が一番辛かったかな…」
「会うの、嫌なんすか」
「嫌っていうか、うーん、嫌じゃないと言えば嘘になるし。でも会いたくないと言えばそれも嘘になるっていうか…なんだろう、負の感情と生の感情がせめぎ合ってる感じ?五分五分なんだよね」
「そりゃかなり面倒くさいですね」
「そうなんだよ。できたら前みたいに戻りたいけど、無理なのかなあ」
 伏せた画面の向こうではずっと変わらずメッセージが届いていることだろう。ここまで来たらきっぱり別れてしまえ、と言う人も少なくないと思う。それでも平和だったあの頃を思い返すとすごく幸せで、どうにも踏み切ることができなかった。
「結構我慢してたんですね。普通はもう嫌になってると思いますよ」
「え…私が我慢してたのかな?あの人にばっかり我慢させてると思ってた」
「根本にあるのは恋人への愛情かもしれません。でもそれで恋人を苦しめるのは話が違うと思いますがね」
 あくまで俺個人の意見ですが。原田はそう言うと、缶に残っていた酒をぐいっと一気に飲み干した。上を向いたことで彼の喉仏が上下しているのがよく見える。よく考えてみようとしたが、酒が回ってきた頭ではうまく考えられなかった。それでもなんとかぐるぐる頭を回転させていると、気づけば原田が距離を詰めてきていた。具体的に言えば、私のすぐ隣に座ってきている。
「なんなの、経験豊富な人みたいなこと言って。原田くんに恋人がいるところなんて見たことも聞いたこともないけど」
「あんたが気づいてないだけって言ったらどうしますか」
「えっ?ええ〜…!?結構ショックかもしれない…!!」
「やっと俺の気持ち分かりました?」
「分かったかも…ごめんね。え?本当にいるの?」
「いないですよ」
「本当に言ってる?『今は』とかそういう話じゃない?」
「違いますって。いるわけないでしょ」
 彼は笑った。いつもなら酒が入っていることも相俟って楽しそうにケラケラと笑うところだと思ったが、なんだか貼り付けたような笑みだった。目が笑っていないような気がする。根拠はないのにものすごく胸騒ぎがする。
「え、っと…変なこと言ったかな、今」
「言った自覚があるんですか?」
「ど、どういう意味?」
「いいえ?急にそんなこと言い出したんで、気になっただけです」
 今度は打って変わって心底おかしそうに笑みを浮かべている。なのに今までのどの笑顔とも違う、別の感情が混ざっているような気がしてならない。怖く感じたことを誤魔化すように、私は彼から目を逸らして酒を飲んだ。
「俺だったらそんな思いさせませんけどね」
 まるで大したことなんて言っていないかのように、原田は新しい缶を開けて口をつけた。
 それは一体どういう意味なのだろうか。『だから彼女の束縛行為は度が過ぎている』と言いたいのか、『そんな女はやめて俺を選ぶべき』と言いたいのか。どちらかといえば後者だと思うが、自意識過剰のような気がしてしまう。
 だって彼はとんでもなくモテるのだ。原田左之助を紹介してほしい、仲を取り持ってほしいと何度頼まれたかなんてもう覚えていない。私のような山も谷もないような人間をわざわざ選ぶ必要性は一切ない。どれほど選り好みしたって問題なく相手を見つけることができるに決まっている。やっぱり自意識過剰だ。そうに違いない。勘違いで無様を晒す前に気づくことができてよかった。一人胸を撫で下ろしていると、原田が音もなく私の至近距離に近づいて顔を覗き込んできた。ほんのり甘い彼の匂いと酒の匂いが混ざったもののせいで頭がぐらついた。
「いつまで気づかないフリするんですか?」
「だ、だって…君がそうなんて、そんな」
「多少気付いてはいたんですね。よかったです」
 原田はふっと笑う。自嘲するような笑みだった。
「自分でも迂闊だったと思ってますよ。慎重になりすぎました。あんたが今苦しい思いをしてるのも、元を辿れば俺が頃合いを見誤ったからです」
「え、いや、それは違うと思う…」
「違いません。俺がもう少し早くしておけばよかったんだ」
 彼の腕が私の腰を捉えてくる。あっ、と聞くに堪えない声が漏れてしまった。
 私の心臓はすっかり早鐘を打っていた。このままでは彼女に顔向けできないことが起こってしまうだろう。今の状態なら私はただの被害者で、ひどい束縛に苦しめられるかわいそうな恋人で終われるのに。