第一日
一万円札が1枚と、千円札2枚、ちょっとした小銭。そして残り5パーセントのスマートフォン。
*
例えば、花火のような男であった。
見てくれは派手で、色鮮やかである。両眼のマゼンタは常に光を絶やさず、人の懐にするりと入っては次々に起こる問題を引っ掻き回して遊ぶ愉快犯。自分が楽しければ何があろうとそれでいい。良くいえば無邪気、オブラートを取り払ったなら我儘。しかし、持ち前の世渡りの上手さによって事を荒立てずに自分の意向を突き通す強かさを持っていた。とても、生きるのに特化した奴であった。
正直なところ、苦手とするタイプの人間である。
しかし、花火はその見た目と相反して存外に静かな現象だ。立ち上る時だけに僅かな音を立て、誰に気付かれる事なく空へ昇り、大輪の花を咲かせた後は呆気なく姿を消してしまう。歓声が上がった頃にはもう手遅れなのだ。瞬きする間にこちらの感動など知らぬ顔して、未練も何も無く去ってしまう様な、無情な存在。
「ヒース、イイモンやるよ」
ぽん、と胸に押し付けられたのは掌サイズのメモ用紙。半分に折り畳まれたそれには、幾つかの数字の羅列が記されていた。
「なに、これ」
「オレのケータイ番号。何かあったら連絡して、助けてやるから」
そう言って、藍はヒースの顔を見ることなく背を向けて走り出してしまう。その先にはリコがいて、恐らくヒースと同様に紙切れを押し付けられていた。迷惑そうな顔を隠しもしないリコの唇の動きを読み取ると、使う用はない、とでも言っているのだろう。同感だ。いくら社会不適合者と罵られようと、底辺でしか生きられぬ者だと謳われようと、得体の知れぬ未成年を頼る程落ちぶれてはいなかった。それに、どうせあの藍の事だ。気紛れで渡したに決まっているし、二週間も経てば番号も変わっているだろう。そう思っていた。
ワンコール明けに、記憶よりも少しだけ硬い声が耳に届く。
「はい」
「オレ、ヒース。頼みがあるんだけど」
「いーよ。なに?」
「一週間泊めて」
*
玄関の扉を開けた藍は、間抜けな顔をして目の前に立つヒースを見た。予想以上に困惑した反応をしてもらったので、ヒースはしてやったりと心の奥底でほくそ笑む。呆けた声でマジで、と聞かれたので真面目腐った顔で頷いてやった。藍は唇を歪めて片眉を吊り上げる。訝しげな顔だ。しかし流石と言うべきか、すぐに表情を切り替えると一週間の泊まりにしては荷物が少な過ぎではないか、と至極真っ当な指摘をヒースにぶつけた。全くの図星ではあるが、ヒースは臆することなく適当を言って流し、家主を無視して部屋へと入る。歯ブラシと下着さえあれば何とだってなるのだ。後ろからぶつくさ文句を言われているが気にしない。どうせ、どれも本音ではないのだから。
リビングに入ってすぐ目に入ったソファに座り、ちょうど放送されているニュース番組を眺める振りをして部屋を見渡す。派手好きにしては随分とシンプルな内装であった。テレビとソファの間のローテーブルも、左手にあるダイニングのテーブルと椅子も、シックな色合いで統一されており無駄なものはない。心の片隅で、虎柄のカーペットが敷かれていたり蛍光色のカーテンだったらどうしようと思っていたのが杞憂に終わった。
ヒースの後頭部に声が降り掛かってくる。
「2年とちょっとぶりのダイシンユーに何か言う事はないん?」
振り向くと、マグカップを手渡す藍が不貞腐れた顔をしていた。
突然家に泊めて欲しい。それも1日2日の話ではない。1週間、7日間、時間に換算すると168時間。そんな突拍子のないお願いをした相手は、そして受理したのは2年前の職場の同僚であった。スターレス、と言うまあまあ訳有りのアングラなショーレストランで、共にステージに立ったチームのメンバー。藍という、店の中で一番に若い男であった。ステージジャックに始まる問題行動だらけのチームの中でも、トップに負けず劣らずな狂犬。しかも頭の良い狂犬なので余計に質の悪い奴であった。軽率に他人の地雷を踏んだり知らぬ間に喧嘩騒ぎを起こしたり。同じチームのメンバーとして巻き込まれた事も、1度や2度ではない。それでも、藍には妙に人好きされる才能があったので、誰かと誰かの様にスタッフらと険悪になる事は一度もなかった気がする。
店が畳まれる時、チーム解散の時に、藍から連絡先のメモを貰っていた。しかし、一度も連絡を取った事はない。しばらく行動を共にしていたミズキに至っては、貰ったその場でメモを破いて捨てていた。どうせ役に立つものでは無いから、と。ヒースもそう思っていたのだが、何となくポケットに入れて、そして今の今まで保管していた。手帳に挟んだまま放置されていた連絡先が、まさか日の目を見るとはヒースも思っていなかった。半ば運試しの様な気持ちで番号を押し、そして藍は出た。
見た目は、余り変わっていない。向き合うと多少背が伸びたか位で、まろい頬の輪郭や口元に浮かべた笑みやなんかは記憶のままである。その事実に、そっと安堵する自分がいた。
「髪切った?」
誤魔化す為に巫山戯た事を言うと懐かしい、と藍は笑った。
ヒースがマグカップを受け取ると、藍はヒースの隣に腰掛ける。一人分空いた所で、目が合うと態とらしく微笑まれた。すかさず中指を立てて返してやると嬉しそうに笑う。
「てか、オレの番号よお持ってたな。今使ってないかもしれないのに」
「うん、まあ、使ってなかったら使ってなかったでどっちでも良かった」
「ふうん」
それだけ言うと藍は視線をテレビに戻す。アイドルが新曲をリリースし、その動画が大変人気であるという呑気なニュースであった。
「キンプリや」
「藍はアイドル好きだったね」
「大好き。まだシンデレラガール踊れる」
「あっそ」
「踊ってやろうか?」
「いらない」
何故今になって連絡してきたのか、何故一週間も泊めろと頼んだのか、藍は聞かない。興味が無いのだろう。聞かれたら答えるつもりでいたが、語って聞かせる程のものではないので、こうやって淡白な藍の距離は心地良かった。
切り替える様にして藍がこちらを向く。
「風呂、入るやろ。その間飯用意しとく。何食べたい?」
今度はヒースが驚く番であった。ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「なに」
「いや……なんでも、いいよ」
「んじゃテキトーに」
思いもよらぬ提案にたどたどしくなってしまった返答は、深く突っ込まれる事はなかった。こちとら、寝る場所さえ提供して貰えたならそれでよかったのに。
藍はヒースを風呂場に案内しようと立ち上がる。腕を引かれる力に任せてヒースも立ち上がると、改めてヒースの身体をじっくりと見られた。
「なに」
ヒースより小柄なくせして、肩幅や腕の太さは藍の方が上だ。常日頃から鍛えられていると分かる体格に、己の貧相な肉体を比べて辟易とする。隣に立つと互いの身体の厚みの差がよく分かった。筋肉の付き方、運動制限には個人差がありそして今からどうした所で解決出来る事柄ではないのだが、一人の男としては若干の悔しさもある訳で。
「いや、ヒースのが背デカいんだァ思ってな」
「あっそ」
冷たく返すヒースにも、藍は変わらずへらへらと笑いかけた。
浴室に通されると、ちょっと待ってろと言って藍が駆け出す。一分もかからぬ内に着替えと真新しいバスタオルを渡された。そういえば、着替えも何もなく衛生的に問題が生じない限りは全て貸せと自分は言ったのであった。幸い藍は懐の大きな奴なので惜しげなく貸してくれたが、一応礼の言葉を述べておく。
「今更やろ。それ」
確かに、と思ったので頷くと、軽い力で小突かれた。
浴室から戻ってくると、きちんと調理された品々がテーブルに並べてありヒースは素直に驚いた。てっきり出前だと思っていたのだ。まさかの手料理に言葉もなく突っ立っているヒースを、藍が座るように促した。
久々に食べる人が作った料理はしょっからかった。しかし、悪くはなかった。
「ヒース、寝る場所なんやけど」
「ソファ貸してくれたらいいよ」
「は? 何言ってんの?」
「いや、だからソファでいいって」
許さん、とヒースの着ているスウェットを掴んだ藍は、そのままヒースを片腕に抱え込むと引き摺るようにして歩みを進める。慌てたヒースがバタバタと手足を暴れさせても知らぬ顔だ。この馬鹿力が、と罵っても藍は鼻で笑うのみ。
「はなせよゴリラ野郎」
「オレの腕解けてから言えよ子猫ちゃん」
「……腹立つ」
右腕を大きく振るい、背中に向かって拳を叩き込んでも藍はビクともしない。それどころかカワイイねェと猫撫で声で宥められ、ヒースは大きく舌打ちをすると大人しく身を任せた。
連れられた客用の部屋のベッドに、ヒースは投げられる形で落とされる。身構えも受け身も取れず仕舞いであったが、落とされたベッドレスが柔らかであったお陰で衝撃は殆どなかった。ベッドサイドからヒースを見下す藍はどこか得意気である。睨みつけても笑みを深めるばかりで呆れたヒースは大の字に寝転がってやった。
シーツや布団、枕は部屋の隅に畳まれており、自分で用意しろと藍は言う。ヒースは面倒だったのでむき出しのベッドレスに丸まって目を閉じた。別に、シーツや布団がなくとも寝られるならそれで良いし、雑に扱われた反撃でもあった。しかし、はあ、と呆れた声が聞こえてきたかと思うと、不意にヒースの身体が再び宙に浮き上がった。声を挙げる前に床にそっと降ろされると、衣擦れの音が聞こえてきて成程、藍がベッドメイキングまでやってくれるらしいと察する。客人とはいえたかが元同僚だし、半ば押しやりのような形で藍の自宅にやって来たというのに丁重な扱いである。反撃というのも、言ってみただけなのに。確かに、変に面倒見が良いというか、兄貴分気質を自称するだけあった。眠気は全くないが、ポーズとして今にも寝そうな振りをしているヒースを気遣って、藍は存外静かに、そして手早く動いた。こうやって世話を焼かれていると、どうしてもかつての記憶が蘇ってくる。虚弱なヒースの世話を率先してよく焼いていたのはチームのトップであるが、藍を始めとしメンバーにも気にかけてもらっていた。リハでバテていると水をくれたり、食事を面倒くさがっていると食べ終わるまで見張られたり。公演後、体力が尽きて動けずにいるヒースを運んで貰ったのも、数えきれない程ある。
半分落とした瞼の隙間から横目で藍の背を眺めていると、再び抱きかかえられてベッドに降ろされた。枕の位置を調節して、布団を掛けられる。そこまでされてしまうと流石のヒースも何だか気まずくて、もう寝ている事にしようとすぐに目を閉じた。
しかし、藍がその場から立ち去る気配はない。あろう事か、藍はベッドの端に座ったので体重分の傾きを感じた。
何をやっているんだと、動けないままどうにか早く去って欲しいと念を送るが当然のこと如く届きやしない。いや、寝た振りを止めてそう伝えたら解決するのだが、ヒースはどうしても寝た振りを貫いていた。そして、不意に頬を引っ張られる。
「ほんと、変わんないなァ」
それは穏やかな声であった。
ヒースは緊張を解いてそれはお前だよ、と心の中で返す。
くすくすと小さな笑い声が静かな室内にこぼれた。頬に触れる指先はひんやりと冷たかった。
しばらく遊ばれるままにしておくと、指が離れる。
「あ、サブ」
と藍が呟いた。誰か外国人の知り合いの名前だろうか。何の事か検討のつかないヒースは疑問に思いながらも静か次の言葉を待つ。
「ヒース、犬アレルギーとか持ってへんかなァ」
犬だった。
しかしそれを聞いてもサブの招待以外にヒースには何も分からなった。完全な独り言だったらしく、それっきり藍は何も言わない。沈黙の代わりに頭を雑に撫でられ、間を置かずに藍の立ち上がる気配がした。ベッドが軋み、人一人分余計であった傾きが直る。ほんの僅かな音のみを立て、静かに扉が閉められた。途端に静まり返った部屋で、ようやく一人になったヒースはほっと息を吐く。くっついていた瞼同士を離し、天井を見つめた。ずっと目を瞑っていたので、照明がついていなくとも夜目が充分に効いている。シミ一つない綺麗な天井であった。
奇妙な事になった。否、事を起こしたのは自分であるが。誤算で始まった一週間の同居生活である。あくまで予定である。延びる事はないが、短くなるかもしれないので。
寝返りをうち、枕元に置かれたボディバッグからスマートフォンを取り出す。最新の着信履歴に、藍の電話番号が刻まれていた。しばらくブルーライトの光線を浴び、満足したので画面を落とす。掛布団を掴んで身体をくるむと、ヒースは笑った。少しだけ余った袖から微かに柔軟剤の香りがする。何もない無機質な客間で、唯一藍の温度を感じた。
早く目が覚めて欲しいと思った。