遥かの夜空を、六等星まで

うまれた青に祝福を

 冬場、昼間近に起床する事の素晴らしさを全国に広めたいと思う。嘘、自分だけの贅沢にしておきたい。太陽は真上に昇り、カーテンから差し込む光が眩しい。温い布団から足を出し、ひんやりした床に下ろすのは心地良かった。大きく伸びをすると肩が小気味よい音を立てる。歳だなぁ、と銀星は苦笑した。
 リビングには誰もいない。しかし、ソファにはボブが寝転がっているのでギィもそのうち戻ってくるか、と見当をつけて洗面所に向かおうとした銀星の頬に、冷たい風が触れた。振り向くと、ベランダに続くリビングの大きな窓が半分程開けられており、風に吹かれたカーテンが揺れている。
 銀星は首を傾げた。何故あんな所が開いているのだろうかと。
 誘われる様に、銀星はカーテンに手を伸ばす。布の向こうは、カラリとした晴天が広がっていて― ― ― ―

「は……?」

 まず目に飛び込んで来たのは、ベランダの柵に足を乗せて立つ同居人。どうやら、上階の柵を掴んで身体を支えている様だった。思いもよらぬ光景にぎょっとした銀星は大きな声を上げる。
 
「何してんだギィ! 危ないだろ! 早く降りろ!」
 
 残念ながら柵の向こうにご丁寧に木が植えられている事はなく、下は見事にコンクリートの駐車場。落ちたら骨折では済まないのは明らかである。それに、もし通行人に見られていたら何を思われるか。ギィが何故このような行動に出たのか全く分からないが、兎に角下ろさねばならなかった。下手に刺激をするのは憚られて銀星はギィに手を伸ばす。
 必死の形相の銀星を見てギィは何食わぬ顔で首を傾げた。
 
「おい、聞いてるのか!? 早く下りろって!」
「……鳥」
「鳥ィ!?」
 
 ギィが指し示す場所には、小さな鳥の巣が出来ていた。雀だろうか。銀星は全く気付かなかった。思わぬ解答に、先程の焦りは無くなって呆れがやってくる。
 
「そこに鳥がいるのか?」
「ううん。今は留守」
 
 そう言ってギィは再び鳥の巣に視線を戻してじっと見つめる。銀星はちらり、と道路を見やって通行人が居ない事を確かめた。
 
「……あんまり見てると、鳥が気まずくて帰って来れなくなるぞ」
「そっか」
 
 ギィはすんなりと手摺から手を離して銀星の前に降り立った。揺るがぬ体幹に、そういえば特技はパルクールがである事を思い出す。それでも、目立つ危険行動は止めて欲しかった。
 
「帰って来たら、一緒にご飯食べられるかな」

 真昼間の太陽の光が、ギィの色素の薄い髪を照らした。巣を見上げるギィの、長い睫毛が透けている。
 銀星は肩を竦めた。
 
「部屋の中には入れるなよ」
「ボクが外に行くよ」
 
 好きにしてくれ、と部屋の中に戻ろうとした時、銀星のスマートフォンが震える。電話だ。相手の名を見て訝しげな顔付きをした銀星はそのまま部屋とベランダの境に立ったまま直ぐに電話に出る。
 会話は、少ししか交わさなかった。
 わなわなと、スマートフォンを持つ手が震える。
 不思議そうに首を傾げるギィに、少し頬を上気させながら銀星は大きな声で告げた。
 
「お前は今から平山淳一だ!」
 
 途中で声のひっくり返った宣言に、訳が分からない、とギィは顔で語る。察しの悪い奴だ、と思うが今はそれどころでは無い。
 銀星は親切に教えてやった。
 
「パスポート作るんだよ!」




 バタバタと部屋に掛け戻り、忙しなく動き出した銀星を眺めるギィの肩に雀が停まった。
 
「ご飯は、また今度になるかも」
 
 雀は素知らぬ顔でギィの頬を軽く啄く。少し痛いが、止めさせるのは何だか忍びない。代わりにギィは雀の頭を撫でてやった。すると雀は翼をはためかせ空へ飛び立ってしまう。行先を見届けようと顔を上げると、眩しい太陽の光が目に突き刺さって顔を顰めた。
 遠くで銀星の呼ぶ声がする。
 小さくなった雀に手を振り、ギィは部屋の中へと戻った。銀星は部屋を行ったり来たりして、スマートフォンの画面を眺めている。
 ぱすぽーと、が何かは分からないが、銀星は何やら嬉しそうなのでまあ良いかと思う。しかし何が起きているかを把握しておく事位は許されるべきだと思った。
 ギィは銀星に問いかける。何があったの、と。
 銀星はスマートフォンを耳に押し当てながら、相手の事を一切配慮せず大声で教えてくれた。

「シューショクが決まったんだ!」


back