遥かの夜空を、六等星まで

いつかの契を叶えたら

 青い空、白い雲、太陽の光を浴びてキラキラ輝く海……なんてものは当然なくて。視界に広がるのはどんより曇った空と濁った海。人一人もいない海岸に、銀星とギィ、藍と夜光の四人は降り立った。冷たい風が首の裏を撫でるように吹き、銀星はぶるりと震える。それは隣に立つ夜光も同じ様で、上着のポケットに手を突っ込んで身体を縮こませた。しかし、そんな二人とは対照的に藍は歓声を上げて海へと走り出す。その手にはギィの手首がしっかりと握られていて、巻き込まれたギィは困惑しながらも波打ち際へ連れ去られた。藍はその場で靴を脱ぎ、パンツの裾を捲る。ギィにも同じ事をしてやると、二人して海へ飛び込んで行った。藍の甲高い笑い声がよく響いている。

「おーい! 早く来いって!」
「…………」
 
 大きく手を振る藍に、ボブを抱えた銀星は静かに首を振って応えた。
 十一月の中間、ギリギリ秋だが気候は最早冬である。
 
 

 海に行きたい、と藍が突然言い出した。銀星は藍の発言を聞いていなかったので適当に返事をした。ギィに始めから決定権はなかった。夜光は当然の様に拉致された。鍋会ぶりの再会であった。
 例の鍋会の後は気付けば全員床で寝落ちしていた。皆より遅れて目を覚ました夜光は何処か気まずそうにしていたが銀星もギィも藍も素知らぬ顔で過ごした。変わらず賞味期限の怪しいパンを齧り、めざましテレビを観て帰っていった。
 それからしばらく夜光とは連絡を取っておらず、どう切り出そうか、と悩んでいた所に藍がやって来た。どこから持って来たのかは定かでないが、明らかにレンタカーではない、年季の入った外車。左の運転席でにこやかに笑う藍に、嫌な予感は的中した。しょっちゅう遊びにやって来る藍は当然銀星の働くバーの定休日を知っていて、ギィ直属の上司である為藍の休日とギィの休日はイコールである。何が何だかよく分かっていない銀星とギィ(ボブも忘れていない)を車に押しやって、そのまま向かった先は夜光宅。こちらも、どこで情報を得たのかは聞いていない。丁寧にインターフォンを鳴らし、リクルートスーツに身を包んだ夜光が出て来た所を問答無用で拉致。抵抗する間もなく後部座席に座らされた夜光は助けを求めて助手席の銀星を見たが、残念な事に銀星も同じく拉致被害者であった。
 狂犬代表の藍の事だから、運転を任せる事に一理の不安はあった。免許を持っているのか、と尋ねた時に笑顔で返されたのでつまりそういう事である。しかし、銀星も夜光もギィも運転免許は所持していないので身を任せる他に何も出来なかったのだ。
 突然のカーチェイスが始まったら、や事故ったらどうしよう等と緊張した面持ちでシートベルトを握りしめていた銀星であるが、思いの他藍の運転は丁寧であった。ちゃんとルールを守っていて、急ブレーキも急ハンドルもない。左折の時や車線変更できちんと後ろを確認する様を見て素直に感動した。
 
「どこで習ったんだ?」
「ハワイで親父に!」
 
 嘘をつけ。
 ラジオもCDもなく、ただただエンジンの音のみが響く車内であるが、不思議と居心地は悪くなかった。 
 市街地を抜け、高速に乗ると、平日の昼だからか車は幾分と少ない。気分の良い銀星は窓を開け、入り込んできた風の冷たさに速攻閉めた。肩を震わせて藍が笑った。
 
 

 海で遊ぶ季節はとうに過ぎ去っているので、当然の様に海岸に人はいない。
 水を掛け合って遊ぶ二人を、銀星と夜光は砂の上に座って眺めていた。大股で波打ち際を走る度に大きく水しぶきがあがり、服を濡らす。楽しそうなのは良いが、気候を考えて欲しかった。みている此方が寒くなる。せめて快晴の日だったらまだマシなのに。何故曇天の今日を選んだのか。
 夜光も、同じ事を思っているのか銀星の横でぶるりと震えた。
 結局、銀星と夜光は一度も海に入らなかった。はしゃぎすぎてびしょびしょに濡れた二人が近付いてくる。
 
「二人も遊べば良かったのに」
「寒いから嫌だよ」
「動けばあったまるのになァ。まあいいや。オレたち着替えてからちょっとコンビニ行ってくるー」
 
 裸足で砂浜をぺたぺたと歩く二人を見送って、銀星と夜光の二人きりになった。十一月の海、砂浜に座り込む男二人。片やスーツ、片やクマのぬいぐるみを抱えていて、中々に珍妙な光景であった。
 
「俺、何で連れてこられたんですか?」
 
 夜光は真っ当な問いを口にした。しかし、銀星にもそれは分からなかった。
 
「知らないよ。藍が海行きたいって言い出して」
「…………俺たちも遊びます?」
「無理するな」
 
 しかし、このまま砂浜で待ちぼうけしているのもやや退屈なのは事実であり、銀星は周りを見渡すが、何も無い。どうしたものか、と思案し、ふと脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。
 銀星は立ち上がり、上着を脱ぐとそこにボブを寝かせた。夜光が不審げに見上げてくる。

 「銀星?」
「トンネル作ろうよ」
「は?」
「トンネルだよトンネル。作った事ない?」
 
 砂を水で固めて山を作り、二人で山の麓を掘って作るアレだ。本当は城を作りたかったが、残念ながら銀星はそれ程器用でない。スニーカーを脱ぎ、ズボンの裾を折って波打ち際まで進む。夜光も、困惑しながら銀星に倣った。
 砂山にトンネルを上手く作るには、砂山が崩れぬ様にしっかり固めなければならない。まず、山を作る前に砂に混じった小石や貝殻を除く。砂の粒が均等な程、丈夫な山が出来るのだ。
 
「あと、トンネル作る時に掘りやすくなる」
 
 砂が乾燥していると崩れやすくなるので、砂山の材料にする砂たちに海水を撒いて濡らす。湿らせた砂を掬い、少しずつ、土台部分は特にしっかり海水で固めながら砂を集めていく。乾いてきたら適度に濡らして、掌で叩く様に押し固め、二人がかりで大きな山を完成させた。しゃがんだ銀星の胸辺りまでの高さを有する山は、左右対称の美しい形を誇っていた。しかし、二人が作るのは山ではなくトンネル。ここで終わりではないのである。特に大きい山になると、双方均等に掘り進めなければならない。
 慎重に、少しずつ手で砂を掘る二人の間に、しばらく会話はなかったのだが、不意に夜光が口を開いた。
 
「なんでそんなに砂山に詳しい訳」
「いや、小さい時はよく海で遊んでたから」
 
 幼い頃の銀星は、運動が少し苦手であった。なので海に入って遊ぶ姉達とは離れて砂浜で時間を潰すしかなかったのだ。幼き銀星は泳げない事を馬鹿にされながらも、大きな大きな砂山を作った。山が大きければ大きい程、よく頑張ったね、凄いねと褒めて貰えたものだ。
目線は手元に向けたまま、夜光は口を開く。
 
「俺が昔アイドル目指してたのは知ってるよね」
「ああ。真珠と同じ所だったんだっけ?」
「そうそう。俺、もう少しでデビューする筈だったんです。でもコンセプトと合わないメンバーが居るから結局その話は無しになって……そのまま俺も事務所辞めて」
 
 トンネルは手が全部入る位まで掘り進められた。時折、海水で砂山を強化するのも忘れない。
 
「俺は一応そのままデビューしてアイドルとして生きていくつもりだったから就職とか他の職業なんて何も考えてなくってさ」
 
 パンパンと、夜光が山を叩く。言葉の端に含ませた尖りを埋めていくようだと思った。
 
「それにアイドルもスターレスも忙しいから交友関係も悪くて。でもアイドル候補生ですとか、アングラな店でバイトしてますとか言えないじゃん? しかもアイドルの道は絶たれたも同然だったから余計に。黒曜とか銀星みたいにさ、スターレス一本で働くのも有りかなって就活しながら思ってた矢先に無くなるし……本当に散々」
 
 休日は殆どレッスンに当てていたから、遊ぶ事なんてほんの僅かで、気付けば友人も離れて行った、と夜光は語る。自分がスターレスのステージに立っている頃にはもう既にスーツを着て走り回る友人が殆どであったと。完全に出遅れていたし、追いつく気もなかった、と夜光は笑った。
 そんな、遊ばないから、足並みが揃わないからという理由で無くなってしまう関係なら初めから無かった方がいい、と銀星は思った。しかし、学生時代の友情など所詮その程度なのだろう。幾度となく周囲が交わし合っていた、卒業しても遊ぼうね、とかいうのは妄言に過ぎない。余程気の合う者同士しか、実現出来ない。
 夜光の話に耳を傾けながらトンネルを掘る銀星に言える事は何も無かった。そもそもの土俵が違うのだ。端から就職に手を出さなかった銀星と、今現在戦う夜光は。紹介出来る働き口なら、無い事は無い。なんなら、今自分が働いているバーを紹介しても良い位だ。夜光ならきっと銀星以上の働きを見せてくれるに違いない。けれど、それが夜光の助けになるかと聞かれたらそうではないのだ。それは、本当に働き口が無い時にしか行使してやれない。
 諦め、と言うのを夜光はよく知っている、と思う。幾ら自分が許せなくとも、妥協しなければならない場面はいくつもあって、そうしなければ、何も出来ない。
 ちゃんと、分かってる。もう子供ではないのだから。
 
「まあ、就職しないと生きてけないのは分かってるから、続けるけどさ」
 
 砂の中で、二人の指同士が触れ合った。トンネルの完成である。
 ぽつり、と銀星が呟いた。
 
「夜光が無事就職出来たら俺が何でも言う事一個聞いてやるよ」
 
 思いがけぬ言葉に顔を上げた夜光は、瞬きを繰り返す。
 
「何でも?」 
「何でも」 
 
 深く頷いてやると、夜光は暫く思案して、破顔した。
 
「じゃあ、ヨーロッパに行きたいな」
 
 全く可愛くないお願いだった。だが、銀星は笑って応えてやる。
 
「任せろ」
「サグラダ・ファミリアね」
「分かった分かった」
 
 銀星と夜光は、冷たい砂の中で拳をぶつけ合った。
 十一月の風が髪を撫でる。柔く迫った波が二人の素足を浸した。