現実は漫画みたいに都合のいい話があるわけじゃない。
例えば、久しぶりに再開して、笑って頭を撫でてもらえるとか、名前を呼んで話しかけてくれるとかそんなものは夢物語でしかない。
現実は冷たい言葉と感情の読めない目。
俺はその言葉に簡単に背中を刺されて倒れた。
愛や情が欲しいわけじゃない。そんなもの。もういらないから、せめてだれかに肯定してほしかった。
肯定して、上書きして、忘れられたら。
忘れられたらいいのに。
制服を着ていると少し汗ばむほどに日差しが照り注ぐ昼。噴水の前を通りかかると呼び止められた。
「なまえ〜、みずあびしていきますか?」
制服のまま噴水に入っている深海先輩に呼ばれて立ち止まった。
「みず、冷たくないですか?」
「つめたくてきもちいいですよぉ〜。」
深海先輩とは過去に朔間先輩を通じて話すようになった。たまに、こうして雑談をするだけの関係。
噴水に近づいて、気持ちよさそうに濡れている深海先輩を見つめた。
「れいがかえってきましたね〜」
「………そう、らしいですね…」
確かに深海先輩と共通の話題といえばあの人のことになるだろうけどまさかこんな話を振られるとは思っていなくて反応が遅くなった。
「あれ〜?はなしてないんですかぁ…?」
「……元々あんまり話してなかったですし…」
早く終わってほしい、この話題。胸がちくちくして痛い。いつの間にか深海先輩の目が見れなくて揺れる水面を見ていた。
「……みずあびしましょう〜」
「え、」
特に身構えていなかった俺は深海先輩に引っ張られて呆気なく噴水の中にダイブした。
ぼしゃん、という水しぶきと一緒に水が服にしみ込んで、慌てて立ち上がった頃には重たくなっていた。
「し、深海先輩…っ」
「びっくりしたら、もやもやしたこともとんでいきますよ〜」
くすくすと笑う深海先輩が言わんとしていることが分からない。俺は深海先輩と違って普通の人間なんですからね…と呟きながら制服を脱いだ。
ぎゅ、と絞るとビシャビシャと水が落ちた。
うわぁ、タオルは今持ってないし友達に連絡して教室から体操服でも持ってきてもらうしかないか、と考えていると深海先輩の手が俺のシャツに触れていた。
「なまえ、こういうときはですねぇ。ぜんぶぬいでしぼっちゃえばいいんですよぉ」
「えっ?ちょ、し、深海先輩っ」
シャツのボタンを開けていく先輩に戸惑いながらも、あくまで先輩だから強く出れなくてされるがままだった。
ボタンを全て外されて前ははだけた状態で脱がされようとしたのでシャツを掴んで抵抗した。
「だ、っ、大丈夫です、濡れてても!」
「しぼってパッと、やるとちがうらしいですよぉ」
ニコニコと笑う深海先輩にどうしようかと困っていると後ろから声が聞こえた。
「水浴びとは元気じゃのう深海くん。」
…あの人だ。
後ろから聞こえる声に反応して目の前の深海先輩が俺の後ろに目をやった。
「なまえとなかよくみずあびちゅうです〜」
「っ…」
なまえを言わないでほしかった。
「し、深海先輩、俺もう行かないと…」
髪の毛から滴り落ちる水滴が肩を濡らす。シャツははだけたまま、制服を手にして噴水から外に出ると、足元に水たまりが出来た。
早くここから離れないと。顔を見せる前に逃げようとしたのに、俺の腕を掴む手がそうさせなかった。
「まあ、待て。」
朔間先輩の声がすぐ後ろから聞こえたけど、俺は振り向かなかった。
「…あの…離してください…」
小さい声は聞こえなかったのか何も返されなかった。
その代わり、俺の肩にかけられたのは濡れていない俺のものより少し大きい制服だった。
ふわりと朔間先輩の匂いが鼻を掠めた。
あの時みたいに、包まれる感覚。
思い出して足が竦んだ。
何をしているんだ、と勢いよく後ろを振り向いた。
その赤い目は俺を見ていた。目が合ったことに一瞬戸惑って体が動かなかったけど、すぐに制服を引っ掴んで突き出した。
「……いりません。」
「…風邪でもひいたら困るじゃろう。」
「…関係ないです」
何で俺に話しかけるんだ。あれだけ冷たくしておいて、捨てておいて何がしたいんだあなたは。
俺が風邪をひこうとひかまいと関係ないじゃないか。
それは優しさ?戸惑う俺の反応を面白がっているだけ?
「年寄りの言うことは聞くものじゃよ」
俺が突き出した制服を受け取ろうとしない朔間先輩にしびれを切らして俺は口を開いた。
「…あの、ほんとに必要ないので。」
痛い、傷口が痛い。早くここから逃げ出したい。これ以上話したくない。
「…可愛くないのう。そこは先輩の良心を「…嘘つき。」 」
俺の口から咄嗟に出た言葉。
もやりと生まれた感情はすぐに腹の底から這い上がって留めることもなく喉から出てしまった。
可愛くない、の言葉に俺は歪んでしまった。
可愛いと言ったのは、あれは嘘なんだろう?
ただその場しのぎの言葉だったんだろう?
抱かれて、可愛いと言われて少しでも嬉しいと感じた俺を笑っているんだ。
嘘つきだ。あなたは嘘つきだ。
嘘つき、と言った時、朔間先輩は開いていた口を閉じてじっと俺を見ていた。
何を考えているか分からない目。その顔も視界がゆがんでどんな表情に変わったのかさえ分からなかった。
泣いてたまるか。
それなのに、どんどん視界はぼやけた。
こぼれ落ちる前に制服を朔間先輩の胸に押し付けて走り出した。
制服が地面に落ちる音が後ろで聞こえた。
きっと俺が押し付けた制服を最後まで取ろうとしなかったのかもしれない。
地面に落ちた制服なんてどうでもいい。
古傷に塩水をかけたのは自分か、それともあの人か。
滲みる痛みに顔を歪めた。
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