薫くんの有無を言わさない空気にただただ従うしかなかった。
部屋の鍵を開けると、薫くんは当たり前とでも言うように俺より先に入った。
ああ、今からどうなるんだろう。
俺はもう薫くんは俺の存在なんか忘れていると思っていたのに…。ここまで来るってことは多分怒ってるんだろう…。薫くんに何か言われるのは分かってるけど、どんなひどい言葉も受け入れる覚悟をしないといけない。
それ相応の酷いことを俺はしたんだから…。
靴を脱いで入るのかと思いきや、薫くんは玄関でくるりと俺の方を向いた。
薫くんに続いて入った俺の後ろは締まりきった玄関のドア。
とりあえず中に入ろうと思ってずりずりと動いて立ち止まった薫くんの横を通ろうとしたけど無理だった。
俺の部屋の玄関は狭い。背の高い薫くんでほぼ埋め尽くされているそのスペースに肉付きのいい俺が通るのは無理だった。
壁に背中を這わせた状態で薫くんと対峙することになった。
無言の空気。
言わないといけないことはわかってる。
喉が震えそうになりながら、息を吸った。
「……薫くん……、ごめん…。」
「……。」
薫くんは無言のままだ。
「……怒ってる…よね」
俺は薫くんの目を見れなくて下を見つめた。視界に入っていた薫くんの手が動いた。
チラリと見たらサングラスを取っていた。
何を考えているのか分からない目で俺を見下ろしている。
玄関スペースが狭すぎて薫くんとの距離が近い。本当に、薫くんと俺の間は30cmもなくて顔を上げたらすぐそこに薫くんの顔があるような状態だ。
薫くんは背が高いから俺が上を見上げない限りは目も合うことはないけど視覚的攻撃と無言の空気という精神的攻撃で俺は大打撃を受けていた。
何か言ってくれれば…俺を思いっきり怒ってくれればいいのに…。
こんなに居心地が悪い思いをしたのは人生初かもしれない。下を向くばかりの俺に薫くんはやっと口を開いた。
「……怒ってるよ。」
…やっぱり。分かっていたけど声に出して言われると胸の痛みは増える。
「…ごめん…。」
「ムカついた。」
「ごめん…、」
「なまえが来てくれるから、頑張ろって思っていつも以上に頑張ったのに。」
「…ごめん」
「どこで見てくれてるのかな、って歌いながら探したし、いつもより動いてなまえ探したのにいないし、」
「……。」
「電話したら、見たって言うから見つけられなかったけど、それでも嬉しかったのに、……なまえ来てなかったんでしょ?ステージに立つ俺なんて見てなかったんでしょ?」
「………」
違う、本当は行ったよ。行ったんだよ。会場までは薫くんを見ようと思って行ったんだけど…やっぱり居られなくて…帰ってしまって…。
それでも俺は何も言えない。そんな俺を肯定と取ったのか薫くんの声はまた一段と俺を責めるように大きくなった。
「それで?怒ってるよね?って?怒ってるよ。怒らないわけないじゃん。」
薫くんの手が伸びて、俺の顔の横に手をついた。
さらに薫くんの迫力が増して俺はもう絶対に上を向けないと思った。
「どうでもよかったんでしょ?俺のことなんて。だから来なかったんだよね?こうやって自分の部屋にいるのが楽だもんね?」
「ち、ちがうよ…」
「何が違うの?来なかったじゃん。約束してたのに…。本気でムカついたし、俺今も怒ってる。」
「…ご、ごめん。」
薫くんの固く苛立った声に本当に怒ってるんだと思って俺は謝ることしかできない。
「こっち見て。」
薫くんが俺に顔を上げるように言ってきた。
無理だ。こんな怖い薫くん初めてで今顔上げたら俺は心臓が破裂するかもしれない。
無理無理無理と思っていたけど薫くんは許してくれない。
「ちゃんと、目、みて。」
ビシッと責めるような口調に俺はタジタジになりながらそろりと上を向いた。
薫くんの目は怒っていた。直視しにくいけど頑張って薫くんの目を見た。
「怒ったから連絡も取らなかったよ。いつもは俺から行くけど、連絡取らなかったらなまえも俺が怒ってるのが分かるかなって、俺のところに来るかなって、思ってたのに。全然来ないじゃん。俺のことなんか忘れたみたいに全然俺に連絡来ないし…!このままじゃ…このままじゃ…、なまえが俺から離れるって思ったら…、怒ってるけど俺がこうやって来るしかないじゃん!」
さっきまで静かに怒ってた薫くんとは違って、今はぷりぷり怒っているという表現が正しいかもしれない。
確かに…薫くんが言うように無理やり忘れようとしていたのは否めない。そう考えたら俺はなんてひどいことをしていたんだと改めて思った。
薫くんにちゃんと説明をしないと…。
「か、薫くん…ごめん。本当は…ほんとは会場までは行ったんだ…。薫くんを見ようと思ってた…。」
ぽつりぽつりと薫くんの目の前で話す俺に薫くんは無言で聞いていた。
「で、でも会場についたら…たくさん人がいて…何か…皆と俺は違うっていうか…場違いだな、って思って…1人でずっとそこには居られなくて…」
俺の情けないこの話を薫くんに聞いてもらうのは少し恥ずかしい。己の醜態を全部暴露するわけだ。
「結局…会場の中に入れずに…帰ってしまって…ごめん…嘘ついて…。」
「……何で嘘ついたの。」
「………なくて」
「なに?」
「薫くんに、幻滅されたくなくて…、……き、嫌われ、っ、たく、なくて…っ」
途中から何か声が震えて嗚咽が漏れた。
やめろ、何で泣きそうになってるんだよ。悲しいのは辛い思いしてるのは薫くんのはずなのに、何で自分が…。
「か、かお、かおる、くんに…っ、行く、って、やっ、約束したのに…ぅ、お、おれ、…」
ついには涙までポロポロ出始めた。ああ、俺が泣いたら悲惨どころじゃない目も当てられないひどさなのに、薫くんの目の前でそんな醜態を晒すなんて。
「ご、ごめっ…。も、もうかお、るくん…俺のこと…嫌って…忘れられて…もう、連絡っ、なんて…来ない、だろう、ておもっ、て…っ、だから俺もっ…忘れようとして…っ」
必死で手の甲で涙を拭うのに涙を頬に塗りたくってるだけで全然涙は止まらない。薫くんの顔なんか涙でぼやけた視界じゃ見えなくてどんな顔してるかも分からない。
いい歳した男が泣くなんて、なにこいつ、って思ってるかもしれない。
必死に顔を見せまいと下を向いて鼻を啜っていると、薫くんは俺の顔の横についていた手を離して、それから俺の背中に手を回した。
引き寄せられた俺は薫くんの腕の中で、ヒクヒクと泣く。
「……なにそれ。」
薫くんの声は未だにムスッとしていた。
「はぁ…。…俺がここに来なかったら…忘れてたんだ。俺のこと。」
「……ぅ、ごめん…っ」
「危ないなぁ…。ねえなまえ。何で俺がここまでするか分かる?」
「……っ、ぅ、?」
「誰かにライブ来てって言って、その人が来なくても別に俺はどうでもいいし、いつも気まぐれだから…そんなの気にしないけど…なまえだから気になるし、俺のこと見てほしいって思う。
…なまえじゃなきゃ、ライブとか呼ばないし、家にも呼ばないし…」
「……。」
「これ、意味わかる?」
「……幼なじみだから…」
「違う。」
「ご、ごめん…」
ズバッと言い捨てられて思わず謝る。
薫くんの綺麗な目が俺を見てる。真っ直ぐに。
いつになく真剣なその表情に俺は目を逸らせない。
「なまえが…好きだからだよ。」
「………、すき…?」
「そ、好き。」
「あ、ありがとう…。」
「分かってないでしょ。」
「え、え、」
ムッとしたように薫くんは顔を近づけてきた。元から近距離にあったその顔はすぐに俺に近づいてきて、俺は後ろの壁に頭をコツンと打ちつけて、もうあとが無いことを知った。
ふに、と唇に柔らかい感触が走った。
薫くんが、俺に、キスを、した。
ふにふにした感触、呆気に取られた俺の口は半開き。そんな俺の唇を二度三度啄まれて、薫くんの唇は離れた。
俺はというと、もう訳が分からなくてとにかく顔に血が集まるのはわかった。多分、真っ赤。階段上がる時よりも心拍は急上昇して汗が滲み出た。
だって生まれてこのかた、彼女も出来たことない俺はキスなんてのも初めてで…。
初めてで…。
「こういうこと。」
思考停止した頭で、ぺろりと唇を舐めた薫くんの色気がカンストしてることだけは把握できた。
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