砂丘 更新
砂丘 2話 更新しました
喪服の女神 ※ほんのりグロテスク描写
Only we will remain
あとがきは 本編読了後に。
歴史・宗教オタクの、長過ぎあとがき。
・喪服の女神
砂丘は信仰・歴史・政治のお話です。これからもガッツリこの3成分が出てきます。というかこれしかありません。
姉上への民の愛が、「悲劇の死」という言わばイベントによって「信仰」へと変化しているというお話です。政治的な話になりますが人類が歴史を文字に残し始めてから、特にこの三千年ほどでも「陵辱された女、彼女らの無念を果たせ」という事柄はよく発生しています。しかも、誰かが乙女を穢したという文句は扇動にも利用しやすい。はたしてこの事件はまことか否か。今回のエピソードでは明らかにポールの指示のもとでドクター・ユエが偽装しました。すると予想外にも弱者を救済するという神話への帰結的な感情が民に発生し始めるのです。ポールが犯した罪への償いをする姿が民には慈母のように映ってしまったのですが、修道女会はそんなことは望んでいません。彼らが流布する救世主伝説、預言者は必ず「男」であるので、予期せずカラダンに生き神が発生することは彼女らには好ましくないのです。
・Only we will remain
映画版レト公爵の辞世の句、
Here I am , Here I remain
これから続いたのが、
Only I will remain
映画版パート2のエンドロールの曲。
公式YouTubeにて聞くことが出来ます。
そして、今回。姉上が自害せよと父から毒を渡された時。視点はポールでした。斬首でもなく絞首刑でもなく毒で死になさい。これはレトの弱さです。己自身で娘の首を撥ねることも吊るすことも出来ない。娘を母親と同じ死に方に向かわせる。それでもやはり愛しているから娘を失いたくはない。そんなレト公爵の最後は皆さん知っての通り。優しい男なんです、彼は。だから弱い。シャッダム四世のお墨付き。
我ここにあり、我ここに留まる。そしてこの言葉を知らないはずのポールの統治を開始する曲が「我だけが留まるだろう」レトの遺体は実際アラキスに留まることになり、彼の意志はポールの血を伝い数千年間アラキスを支配します。まさにアトレイデス家の運命を表す素晴らしいエンドロールなのです。そこで今回姉上が死ぬか、生きるかというシーンを執筆している時。この曲をヘッドセットに流していました。親子三人が夜の霊廟で向かい合うシーンに激しさはありません。ただこの曲が流れている。そんなイメージなのです。
サブタイトルは「我ら」に変えました。もちろん、ポールの視点エピだったから。彼は永遠に姉上と共にアラキスを統治しようと考えるでしょう。もし、このお話の最終話、フェイドとの決闘あたりで一区切りするとしたならば。ポールの口から出るのはこの言葉で間違いありません。宇宙を支配するのはポールではなく、ポールと姉上の二人だという彼の絶対に変えられない強い信念。それを登場人物にではなく、読者の方に知ってもらうためのサブタイトルです。
ちなみに、「此処におります」Here I am という表現はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教典に多用されています。砂丘は明らかにイスラム教とその成り立ちを意識して作られたお話です。至る所にその名残が見られます。私がこのお話を書く時に一番重要視していることは、【ポールは砂漠の唯一神の預言者になること】と【姉上は恵まれた星の、多神教の女神と同一視されること】です。つまり、ポールの上にはシャイー・フルードのような人知の及ばない唯一神がいて、ポールはただのメッセンジャーに過ぎないということ。でも姉上は生きている姉上自身が神と同一の存在として信仰を受けるということです。何やら姉上の信奉者がムアディブのジハードとは比べ物にならないジハードを引き起こして大虐殺を起こしているらしいことの違いはここから生まれます。
【唯一神教】と【多神教】
【預言者】と【女神そのもの】
この姉弟は彼らが思うよりも厄介なんです。
長くなってしまいました。
纏めると、
Only I will remain は まさに 文字通り、ポールのための【神曲】だということなのです。
喪服の女神 ※ほんのりグロテスク描写
Only we will remain
あとがきは 本編読了後に。
歴史・宗教オタクの、長過ぎあとがき。
・喪服の女神
砂丘は信仰・歴史・政治のお話です。これからもガッツリこの3成分が出てきます。というかこれしかありません。
姉上への民の愛が、「悲劇の死」という言わばイベントによって「信仰」へと変化しているというお話です。政治的な話になりますが人類が歴史を文字に残し始めてから、特にこの三千年ほどでも「陵辱された女、彼女らの無念を果たせ」という事柄はよく発生しています。しかも、誰かが乙女を穢したという文句は扇動にも利用しやすい。はたしてこの事件はまことか否か。今回のエピソードでは明らかにポールの指示のもとでドクター・ユエが偽装しました。すると予想外にも弱者を救済するという神話への帰結的な感情が民に発生し始めるのです。ポールが犯した罪への償いをする姿が民には慈母のように映ってしまったのですが、修道女会はそんなことは望んでいません。彼らが流布する救世主伝説、預言者は必ず「男」であるので、予期せずカラダンに生き神が発生することは彼女らには好ましくないのです。
・Only we will remain
映画版レト公爵の辞世の句、
Here I am , Here I remain
これから続いたのが、
Only I will remain
映画版パート2のエンドロールの曲。
公式YouTubeにて聞くことが出来ます。
そして、今回。姉上が自害せよと父から毒を渡された時。視点はポールでした。斬首でもなく絞首刑でもなく毒で死になさい。これはレトの弱さです。己自身で娘の首を撥ねることも吊るすことも出来ない。娘を母親と同じ死に方に向かわせる。それでもやはり愛しているから娘を失いたくはない。そんなレト公爵の最後は皆さん知っての通り。優しい男なんです、彼は。だから弱い。シャッダム四世のお墨付き。
我ここにあり、我ここに留まる。そしてこの言葉を知らないはずのポールの統治を開始する曲が「我だけが留まるだろう」レトの遺体は実際アラキスに留まることになり、彼の意志はポールの血を伝い数千年間アラキスを支配します。まさにアトレイデス家の運命を表す素晴らしいエンドロールなのです。そこで今回姉上が死ぬか、生きるかというシーンを執筆している時。この曲をヘッドセットに流していました。親子三人が夜の霊廟で向かい合うシーンに激しさはありません。ただこの曲が流れている。そんなイメージなのです。
サブタイトルは「我ら」に変えました。もちろん、ポールの視点エピだったから。彼は永遠に姉上と共にアラキスを統治しようと考えるでしょう。もし、このお話の最終話、フェイドとの決闘あたりで一区切りするとしたならば。ポールの口から出るのはこの言葉で間違いありません。宇宙を支配するのはポールではなく、ポールと姉上の二人だという彼の絶対に変えられない強い信念。それを登場人物にではなく、読者の方に知ってもらうためのサブタイトルです。
ちなみに、「此処におります」Here I am という表現はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教典に多用されています。砂丘は明らかにイスラム教とその成り立ちを意識して作られたお話です。至る所にその名残が見られます。私がこのお話を書く時に一番重要視していることは、【ポールは砂漠の唯一神の預言者になること】と【姉上は恵まれた星の、多神教の女神と同一視されること】です。つまり、ポールの上にはシャイー・フルードのような人知の及ばない唯一神がいて、ポールはただのメッセンジャーに過ぎないということ。でも姉上は生きている姉上自身が神と同一の存在として信仰を受けるということです。何やら姉上の信奉者がムアディブのジハードとは比べ物にならないジハードを引き起こして大虐殺を起こしているらしいことの違いはここから生まれます。
【唯一神教】と【多神教】
【預言者】と【女神そのもの】
この姉弟は彼らが思うよりも厄介なんです。
長くなってしまいました。
纏めると、
Only I will remain は まさに 文字通り、ポールのための【神曲】だということなのです。
2024/11/26/05:16
Category : 更新履歴(砂丘)
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