「さて、新しいパフューム・ブランドの立ち上げに関わる興味深いお話の時間も、どうやらもうすぐ終わりを迎えなくてはいけないようです。最後に、Beth。あなた、このセクシーでキュートな香りを……最近ネットをお騒がせなボーイフレンドにはもう披露した?」
「ボーイフレンド?」
「とぼけないで?あなたのとってもホットなブロンドの彼!見たわ、凄く背が高くてクールな身体で、何よりハンサム。ね、本当のところはどう?彼との間にロマンスはある?あなたのこのパフュームやボディ・コロン……もしかして彼とベッドでプロデュースしたり?」
「ヘイ、ケイト。あなたの番組は深夜だからまだ許されてるのよ。これが夕方の番組なら、あなたは意図せず世の中のマミー達から大量の攻撃的なメッセージを貰うことになるわ。まさにあなたの話している私の友人のアカウントのようにね。つまり、何が言いたいかというと私と彼にそんなラブロマンスは無いの。同じマンションの住人で、休日が合えば時々ピザやワインでホームシアタータイムを楽しむだけ。あなたにだってそんな友人いるでしょう?」
「いないわよ!あなたと彼がパパラッチに撮られ始めてからもう三ヶ月。最初は近所のピザ屋。次はあなたのバイクの後ろに彼を乗せてタンデムデート。その次は彼の高級車であなたがカメオ出演したアクション映画を見にレイトショーに行った。さらにその次はイタリアでのファッションショーのあと、あなた、某ハイブランドのアクセサリー・ショップで何点かお買い上げ。ねぇみんな、このイベントの一週間後から彼のInstagramのアイコンが変わったの気付いてる?そう、あのブランドのピアスをしてるのよ!」
「友達だから。普通でしょ?遊びに行くのも、贈り物も。世間がどうしてそこまで騒ぐのか分からないわ」
「Beth!あなた本気で言ってるの?あなたもう27歳よ!」
「レディの年齢を絶叫しないで、ケイト。自分の歳は分かってるけど。私は世間が言うように、彼を自分の…なんて言うのかしら?セックス・トイ?にしたり?はしてない。逆に彼が私の知名度を利用しようとした事なんて一度もない。だって彼、仕事をもう引退するって言ってるのよ。知名度が欲しかったらそんなことしないでしょ?」
「それがあなたのためを思っての事なんでしょう?ねぇなんでこの子ったらこんなに鈍いのかしら。paparazziの皆さん、Bethを張り込むとまだまだ面白い写真が撮れるかもしれないわね」
「なんてこと言うの!ただでさえ腹立たしいのに!Hey, Paparazzi boys !! 次に隠し撮りしたらカメラぶっ壊すわよ!」
「Bethのパンチ!キュートでエロティックでビューティフルなこの笑顔。今夜のトークショーはここまで、紳士淑女の皆さんご視聴ありがとうございました。夜更かしはお肌の大敵……」
俺はソファにひっくり返ったまま、深夜のネット配信番組を消した。生配信じゃなくて収録番組だってことは知ってるから、無理して聞く必要なかったな。いつもと同じような、お決まりの私生活についての質問責め。可哀想に。
俺とエリザベスがこの世界で出会ってから三ヶ月と半分が経過した。あれから何も変わらない、なんてのは大嘘で。俺たち二人の関係が世間に騒がれ始めてからは毎日大変だった。まず、俺は燃えた。エリザベスのファン、特に男。そしてエリザベスを理解していると自己主張する同年代の女ファン。俺は「ボーイフレンドに相応しくない」と罵詈雑言のリプライやメッセージを全てのSNSで食らった。気にしてないが、エリザベスは怒り狂ったんだ。
___私の大切な友人を嘲り、傷付けるような人をファンとは呼ばない。応援して欲しいとは思わない。
そう発信したエリザベスは、何度も俺に謝った。私のファンがあなたを中傷している。ごめんなさい、ごめんなさい、と。別にいいって言ってるのにあいつは俺の手を握って言う。
「あなたがどんな仕事をしていようが、あなたがどんな過去を持っていようが、今ここで私と言葉を交わして同じソファに腰掛けている目の前の存在は、大切な大切な友人よ。何も知らない人に酷いことを言われたくない。あなたがどれだけ真っ直ぐな人間か、あなたがどれだけ脆くて壊れやすい人間か皆は知らない。あなたは世間が思うほど皮肉屋で適当でチャラついてる訳じゃないもの」
俺はその時、言葉を返せなかった。
前の俺は皮肉屋で、自分勝手で、適当で、チャラついてて、最低最悪の差別主義者だった。エリザベスが死んでもなお、その好意と愛情はエリザベスにしか向けられなかった。罰を下されるように俺はエリザベスの娘の前で死んだ。お前が思うような純粋な奴じゃないんだ、俺は。この世に生まれ直してからは、思想こそ過激ではなくなったものの…真っ当だとされる生き方からは今度も外れた。ヤッてるだけで大金を稼ぐ男、なんて貶されても文句は言わねぇ。
エリザベスは、人を「良く」見てやろうとする。例えそれが過激思想の差別主義にのめり込んでいく若き少年たちであろうとも。例えそれが金の為に世間から鼻で笑われる生き方を選んだ男であっても。いつも友人に手を差し伸べようとする。
「………………何年惚れてんだろうな、馬鹿みてぇだ」
前の人生であいつが死ぬまでの二年と、そこからの二十年。この人生で、二十七年。足したら約半世紀。この先もきっと永久に琥珀の柔らかい輝きに惹かれ続けるのだと思うと人間の恋愛感情は厄介だ。
俺はだらりと起き上がって、スマホの眩しいディスプレイで時刻を確認する。真夜中三時。ロック画面は、少し前にあいつが撮った俺とあいつのセルフィー。同じブランドのフェイスパックを貼り付けた俺達は本当に何も知らない奴らが見たら彼氏と彼女で______
と、その時。
手の中で振動するスマホ、表示されるのはBethの文字。何時だと思ってんだ、アイツ。でも直ぐに出たら「シュヴァリエ、私からの電話を待ってたの?」なんて言われそうで、それはソレで恥ずかしい。俺は十秒くらい百面相したあと、ようやくその電話を受けた。
「Hi」
「今すぐ来て!シュヴァリエ!!!」
「うるっせ、何事だよ」
「良いから!!!!!」
絶対にロクな事じゃない。
俺は溜息と共にソファから立ち上がり、寝室からエリザベスの部屋のカードキーを掴んだ。
「俺はカマキリ駆除業者か?」
「助かった……私、本当に虫がダメなの。眠ろうと思ったら真横にあんな大きなカマキリがいるんだもの。暫く睨み合いをしていたんだけど、どうにもならなくて」
好きな女のベッドに呼ばれた理由はクソでけぇマンティス一匹だった。俺は適当に雑誌にソイツを乗せてベランダに置いておくことにした。窓閉めてりゃ今夜もう一回枕の横で寝顔を監視してくる、なんてことはねぇだろうよ。
「本当にありがとう。何か飲んでく?」
「今。27時」
「夜行性の人間なのに気にするの?そんなこと。あ、私……明日から二週間ニュージーランドでドラマのロケなの。此処には居ないから、把握よろしくね」
「旅立つ前夜にカマキリしかベッドに居ねぇなんて可哀想だな」
俺が冗談でそう言うと、エリザベスは固まった。そして……ぎこちなく口元を上げた。
「…………寂しい女だって、笑う?」
「俺だってお前と同じ歳でシングルだぜ?人のことは言えない。ま、気にすんな。恋人なんてお前なら本気出せば五秒で作れんだから」
ひらりと手を振って、持って来ていた自分の部屋のカードキーとスマホを回収。無駄に長い廊下を歩く。いつもロボット掃除機とハウスキーパーが磨き上げるこの家は、ホテルのように美しく保たれているのに何処か寂しげだ。俺の部屋と似ている。金はあるのに、望んだ「人の温もり」が無い部屋だ。
そんな俺の腕は、唐突に柔らかな指先に掴まれた。
「ねぇ……………………行かないで、シュヴァリエ」
「…………エリザベス、」
あぁ、来ちまったのか。この時が。
俺だって馬鹿じゃない。童貞のガキじゃない。夜中に去ろうとする男を部屋に引き止める女。それがどういう意味を持つかは分かってる。前の世界の十六歳の俺なら高笑いして、かつての相棒に自慢しただろう。あのエリザベスが俺を求めてる!ってな。でも…俺は、まずはじめに肉体関係を持とうとして失敗した。全てが悪い方へと転がり続けてエリザベスは死んだんだ。あの時と同じ失敗は繰り返したくない。
「…………行かないで、朝まで、傍にいて」
「…………無理だ」
「どうして?あなたも私も恋人はいない」
「……お前を大切にしたい。お前とは、このままが良い」
エリザベスは俺の腕を痛いくらいに掴む。
止めてくれ、お前は俺じゃない男を心から愛して死んだ。本当はお前は母親なんだ。お前のことを思い続ける男達がいたんだ。お前そっくりな娘がいるんだ。俺はお前のことを愛しているが、お前は俺に縋り付くべきじゃない。今度こそ幸せになれるように、何処かの誰か……まともな奴と恋をしろ。そう思うから俺は振り返らない。
「…………私があなたの…憧れだから?偶像だから?理想を壊したくないの?だから抱けないの?」
「……それもあるが。お前は俺に夢を見ている。俺は…元は悪人で、お前が嫌うクズのような人間だ。全てを知った時、お前は…そんな俺に抱かれたことを後悔する」
「職業のことは理解してるわ。私はあなたが何人もの女と仕事をしてきたことを理解した上で、今夜…あなたと一緒にいたいのに。それもダメなの?」
「仕事のことじゃない。俺はお前の友人になれただけでも幸せなんだ。だからこの関係が壊れるのが怖い。お前の笑顔が、ぎこちないものになって、こうして気軽に話し合える関係じゃなくなっていくのが怖い。ほら、もう寝ろ。明日のフライトに寝坊するぞ」
振り返らないままに俺は彼女の指先をそっと解いた。ぺたりと床に座り込む哀れな音がする。好きな女、愛してる女、一生傍で笑顔を眺めていたい女。だからこそ俺はエリザベス本人に誘惑されたとしても、抱かない。女になんて酷いことをさせてるんだろうな、俺は。でもずっとここに居たら本当に狂っちまいそうだ。早めに逃げよう、そう思ってドアに手を掛けた時。か細い声が聞こえた。
「………………私、ずっと、シングル」
唐突に、エリザベスが俺の背中に語る。
「でも私…………プロデューサーの、不倫相手。マンハッタン・ナイトでデビューした時には、もう、既にね」
「は?」
十六歳のエリザベスが、一躍トップスターの仲間入りをした作品。俺がその存在を知った、運命の作品。そのプロデューサー兼映画監督は今でもエリザベスと仲が良いと様々なインタビューで語っているはずだ。
「恋人なんて居たことない。パパラッチは沢山いたけど皆…本質を掴めなかった。私が売れるためにあのプロデューサーに全てを売り渡したってことをね。彼が奥さんに出来ない、痛いことや苦しいことは全部私がやってきた。セックスは拷問だった。気持ちいいなんて思ったことはない。今だって、彼と会うと私は泣いてしまう。痛いだけ、恥ずかしいだけ、苦しいだけ。ちゃんとしたキスすらしたことないの。でも逃げられない。十六の私の、文字通り全てを彼は撮ったから」
「エリザベス、」
つい振り返ると、エリザベスは琥珀の瞳から大粒の涙を零しながら俺を見上げていた。ほんの少し癖のある長い黒髪、過去を語って悔しさに震える唇。全てが愛らしく美しいものなのに、これを力で捩じ伏せ続けた男がいると知って俺の頭は沸騰しそうだ。
「でもね、シュヴァリエ。私、あなたのことを調べて、初めてセックスが女の子にとって…気持ち良かったり、リラックスしたり、恋人や夫と気持ちを確かめるものだって知ったの。ねぇ、シュヴァリエ。私のことをエリザベスと呼ぶあなたは…エリザベスのことを愛しているんでしょう?私は……あなたが創り出す快楽と幸せな夜に憧れているのよ」
泣く女は、あまりにも寂しげだった。
レギュラスを失い、娘もいない。18で愛を知りながら死んだエリザベスは、この世界ではそれより10年近く長く生きることが出来たものの愛を知らない。権力者の暴力的なセックスに全てを支配され、金と知名度だけを手に入れて、中身は永遠に満たされない女になってしまった。
「……シュヴァリエ。あなたが、欲しい」
どこかの誰かが言っていた気がする。俺がまだポールに掴まってネオンの下で緩やかに回転していた時代の同僚か、カメラの前で女を抱くようになってからの先輩か。「男は結局、好きな女の誘惑には絶対に勝てない」と。どれだけ前の世界の地獄のような過去を知っていても、俺に伸ばされる白い指先は心に火を点けてしまう。きっとこれがレギュラスなら、レギュラスの兄のアイツなら自制出来るんだろうが。俺はやっぱり中途半端で、悪人で、誘惑に弱く、愛しい女の真っ直ぐな未来よりも、一晩だけの幸せの虚像に惹かれてしまうんだ。
俺は馬鹿だ。
やっぱり俺は、お前に相応しい男じゃないよ、エリザベス。
「…………怖かったら言え。直ぐに止める」
「ありがとう、シュヴァリエ」
座り込んだエリザベスを抱え上げる。
その瞬間、俺達はもうただの友人ではなくなった。
寝室へと戻る時間すら惜しい。俺の腰にしっかりと膝を回す軽い女の肉体は、今まで抱いたどんな女優よりも清らかなのに艶かしい。俺達はそのまま激しく口付けを交わした。星々が冷たい眼差しで幻に縋り合う馬鹿な二人を見下ろして、それでも何かが欠けた俺達は止まれない。リビングのソファに縺れ込むように倒れて、互いの後頭部を抱え込むような無我夢中のキス。荒くなっていく呼吸が生命としての本能を表している。
世界一、憧れたはずなのに。
世界一、抱きたかった女のはずなのに。
こんなにも、切ない。
溢れる感情に蓋をして、白く滑らかな肌質を誇る太腿に顔を埋めた。