「なまえ、お願い……私の仇取ってよぉ……」
放課後のファミレスで、人目もはばからず大声で咽び泣くリカを困った顔で見つめながら、なまえは小さくため息をつく。リカはなまえの幼なじみで、いわゆる腐れ縁の仲だ。枝毛一つない艶やかな栗色の髪も、長い睫毛に縁取られた黒目がちな大きな瞳も、人形みたいに小さな顔も、どれもなまえにはないもので。目の前でぽろぽろ大粒の涙を流しながら、咽び泣く姿ですら可愛いのだから、つくづく世の中不公平だ、となまえは思い知る。
「仇って言うけどさ、リカは私にどうして欲しいわけ?」
「そんなの、なまえが河田ナホヤと付き合って酷い目に合わせるに決まってるでしょ!」
「ねぇ、酷い目に合わせるもなにも、そもそも、どうやって河田ナホヤと付き合うのさ」
接点全くないし、できればあんまり関わりたくないんだけど、となまえが苦笑いする。
「なまえが告ればいいじゃない」
「ええっ!そんなの無理絶対無理!」
なまえは左右に思い切り頭を振った。好きでもなんでもない河田ナホヤに告白するとか、なんの罰ゲームかと思う。本当に好きな人にさえ告白した事もないのに。
「私がこんなに酷い目に合わされたの知ってるのに、なまえ……ひどい……!」
リカが恨みがましい目でなまえをじっと見る。とほぼ同時に、リカの瞳に涙がぶわっと溢れてくる。ああ、これは回避不可能、いつものパターンだ、となまえは心の中で深いため息をついた。
「あぁ、もう……わかったから、そんなに泣かないでよ」
「やってくれるの?あーん、なまえ、大好き……!」
泣いていたはずのリカの顔が一瞬にしてパァっと明るくなり、なまえはなんとも複雑な気持ちになる。子供の頃から何度も同じ目に遭っているにも関わらず、リカの涙になまえは逆らうことができない。
「けど、私が振られたら、もう無理だからね?」
「大丈夫、大丈夫。だって、あいつ絶対面食いじゃないもん」
「ねぇ、それフォローになってないから」
無邪気な顔で、無自覚に貶してくるリカに辟易しながら、なまえは今日何度目かのため息をついた。


河田ナホヤはなまえの高校の2歳上の先輩で、ちょっとした有名人である。しかも悪い意味で。地元では有名な不良で、中学生で暴走族の総長だったとか、渋谷の巨大暴走族チームの元幹部らしい、とか、今も反社会勢力から勧誘されてるとか、とにかく悪い噂が絶えない。とりわけ、ごく普通の一般人の家庭に育ったなまえには無縁の人、さらに言ってしまえば、今後も関わることのない別世界の人でしかない。だから、幼なじみのリカが河田ナホヤを好きになったと言われても、なまえは正直全く理解できなかった。リカ曰く、街でしつこいナンパ男から助けてもらった事がきっかけらしいが、ナンパ男と札付きの不良、目くそ鼻くそを笑うだとなまえは密かに思った。
そのリカが河田ナホヤに告って付き合い始めたのが、ちょうど一週間前。まさに有頂天とはこの事だとばかりに、リカはすこぶる上機嫌で、なまえに散々惚気話という未来の妄想を語り続けた。昔からすれ違う人が思わず振り返る美人であるリカを袖にする男は滅多にいないであろうから、付き合うことになったのはなんら不思議ではない。しかし、一週間足らずでリカが振られたのは想定外だった。それも、デートだとかカップルがするであろう事すら一切しないまま。
「河田ナホヤ、本当っ、ムカつく!許せないッ!」
思い出すだけで忌々しいとばかりに、お冷の入ったグラスを些か乱暴にテーブルに置いて、リカが毒づく。
「ねぇ、なんか思い当たる事ないの?」
なまえは思い切って、ずっと気になっていた事をリカに尋ねた。
「は?なによそれ。なまえは私が悪いって言いたいの?」
「そうじゃないけど、理由もなくリカを振るなんて普通ありえなくない?」
「普通じゃないのよ、アイツ……だって、私になんて言ったと思う?お前、つまんねぇな、つまんねぇから終わりにしようぜ、って……!」
「うわ、きっつ……」
「でしょ?本当、噂通り最低のクズよ。だから、なまえアイツに仕返しして?そうじゃなきゃ、あたしッ……ううッ」
リカの言い分が全てではないにしろ、あまりに自分勝手なナホヤの言動にドン引きしながら、なまえは顔を手で覆って泣くリカの肩にそっと手を置いた。


結局、なんやかんやでリカに押し切られ、なまえは河田ナホヤに告る事になった。とはいえ、どうやって河田ナホヤに接触すればいいか全く見当もつかない。リカはメールを交換しているが、まさかリカから聞いていきなりメールする訳にもいかない。あーでもないこーでもないと2人で話し合った結果、下駄箱に手紙を入れるというアナログな方法を取る事にした。
という流れで、なまえは今、待ち合わせ場所である体育館裏で河田ナホヤを待っている。昨日の放課後、河田ナホヤの下駄箱に入れた手紙は、今日昼休みに確認したときにはなくなっていた。その代わりそこには、河田ナホヤの履き慣らしたVANSの派手なスニーカーが鎮座していたので、授業に出ているかはともかく登校している事は間違いない。ただ、学校に来ているからと言って、今ここに来るとは限らない。むしろ、来ない可能性が高いとなまえは思う。さらに言うと、来ないでくれた方がありがたかった。河田ナホヤが来なければ、この傍迷惑な計画も頓挫するのだから。
体育館裏の階段に腰を下ろし、手元の腕時計を見る。時計の針は間もなく、手紙に書いた約束の時間になろうとしていた。


「あ、悪ィ。待たせたなぁ」
よし、あと5分待っても来なかったら帰ろう、そう思って座ったまま小さく伸びをしたなまえの耳に知らない男の声が入ってくる。その瞬間、どくん、と心臓が大きく脈打つ。と同時に、反射的に勢いよく声の方を向けば、視線の先にふわふわのピンクブラウンの髪が真っ先に映る。それも、思ったより近くに。
「で、誰に何を頼まれたァ?」
「ッ……!?」
認識したと思った瞬間、河田ナホヤはなまえの隣に座り込み、額がくっつきそうな距離でなまえの顔を覗き込む。突然距離を詰められて、吃驚したなまえは反射的に後退ってしまう。その上、何やら話が噛み合っていないような、変な感じがする。いきなりの急接近でバクバクする心臓を何とか落ち着かせ、なまえは恐る恐るナホヤにもう一度視線を合わせる。
「ビビんなくていいって。ゆっくりでいいから、全部話せ。な?誰に何を頼まれた?」
なまえのおかしな反応など気にしていないかのように、ナホヤは子供の描いた絵みたいな笑顔で再びなまえに尋ねる。その無垢な笑顔が何故かとてつもなく恐ろしくて、なまえは思わず生唾を飲み込む。
「ほら、やっぱ心当たりあんだろォ。川崎の××か?それとも、渋谷の△△か?女使って喧嘩の打診したクソ野郎はどこのどいつだぁ?」
誰に何を頼まれた、というナホヤの質問に、まさか、リカの事がバレているのかと思わずなまえがハッとした顔になったのを見て、笑顔のまま舌打ちしたナホヤが畳み掛ける。
「えっ、喧嘩?!ち、違います!」
「は?違ぇの?じゃあ、ボコして欲しい奴がいるとか?」
「それも違います!」
「なら、かちこみの依頼かぁ?」
「かちこみがよくわからないけど、多分それも違いますッ」
さっきからまるで見当違いなナホヤの質問に、なまえはひたすら首を横にばかり振った。ナホヤはどうやら盛大な勘違いをしているようだ。
「はぁ?じゃ、一体なんだよ?お前の用事ってのは」
わけわかんねぇ、と言わんばかりに、ナホヤが小さく舌打ちする。相変わらず表情は笑顔のままで。
「……す、……です……」
大分遠回りしてしまったが、リカとの約束である以上、後には引けない。なまえは小さく深呼吸すると、恐怖と緊張で震える声でどうにか話を切り出した。
「あン?なんだって?」
「だから、好き、ですッ!」
自分でも消え入りそうな声しか出なかったことを自覚しているので、当然さっきの言葉はナホヤの耳には届かない。聞き返すナホヤに、今度ははっきりわかる声でなまえは偽りの告白をした。
「……は?」
唐突ななまえの告白に、ナホヤは表情こそ変えることはなかったが、明らかに声に驚きが滲んでいた。てっきり喧嘩の相談で呼び出されたと思っていた相手にいきなり愛の告白をされたのだから、驚くのも無理はない。
「私、好き、なんです、先輩のことが」
自分でもびっくりするほど大根役者だと思いながら、なまえは棒読み同然に同じ台詞を繰り返した。先程から好き、と言葉にする度に心臓の音が勝手に大きくなる。正直、ナホヤに全く特別な感情は持っていないが、例えそういう相手でも、好きと伝えるのはやはり胸の奥がそわそわして落ち着かない気持ちになるんだ、となまえは頭の片隅で思った。
「はぁ……お前まさかあの手紙そういうやつだったわけ?」
「はい……一応」
「はぁ、マジかー。びっくりさせんなよォ……オレはてっきり、そっちの話だと思ってたわ」
そういう割にはさっきから表情一つ変えずに、ナホヤが空を仰ぐ。
「す……すみません……」
「だって、ふつーそういう手紙、ルーズリーフに書いて渡さねーよ?」
少し呆れたように言いながら、反射的に謝ってしまったなまえの顔をナホヤがじっと見る。
「うッ……」
ナホヤと接触することにばかり気を取られ、手紙のディテールなどまるで気にしていなかったが、言われてみれば確かにそうかもしれない、と今頃気づいた自分の女子力のなさになまえは心の中で頭を抱えた。
「ははッ、まぁいいや。お前面白そうだし、付き合おうぜ」
「え?」
これはもう、言われなくても結果は火を見るより明らかだ。そう思いながら、結果を聞いたら怒り狂うであろうリカをどうやって宥めようか、などと考えていたなまえに、ナホヤから予想外の返事が返ってきて、なまえは思わずナホヤの顔を見返した。
「えーと、お前、名前は?」
「みょうじなまえですけど……」
「ん。よろしくなぁ、なまえ」
相変わらずの笑顔でそう告げるナホヤに、若干引きつった愛想笑いを浮かべながら、なまえは心の中で今日一番の深いため息をついた。






01 sweet revenge


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