二人の未来

 額に汗してあくせく働くのは性に合わない。一人の人をずっと愛し続けることはなかなかに難しい。いつだって自由でいたい。夢を見ていたい。だから、囚われていたくない。
 わたしはぼんやりと、軽トラの助手席から外を眺めながら、かつての恋人全てに吐いてきた言葉を思い返していた。囚われていたくない。わたしの人生の邪魔をしないで。
 大抵の男は、その言葉にうんざりとした顔をして、ああそうかと離れていった。ごく稀に居残る輩もいたけれど、それもほんの少しの間だけだ。すぐにわたしが本気で興味を持っていないのだとわかると、去っていった。時にはたくさんの罵詈雑言を置き土産に。
 今、隣でハンドルを握り、真っ青な瞳で前を見つめる青年はどうだろうか。確か同じことを言った気がする。付き合うにあたり、わたしはおそらくきみに興味を持てない。これから先も期待はしないでほしい。そも、わたしは人間が好きだが、個人を対象に愛を持ち続けることが非常に難しいと思っている、と。そんなわたしに対して、彼はこう言って笑った。
「ぼくもだ。けれど、あなたは特別だ。そういう未来が視えるんだ」
 何を言っているのだこの男は、と思わずすごい顔をした記憶がある。自信満々にわたしの手を取った彼、イライ・クラークは、けれどもその宣言通り、わたしの心をしっかりと手に入れた。彼とともに生きる中で、文字通り、鷲掴みにしたのだ。
「そろそろ着くかな」
 運転席のイライくんがちらりとこちらを見遣った。青い瞳は優しそうで、疲れていないかい、とこちらを気遣う様子まで見せる。
「案外近いね。後ろの荷物落ちてない?」
「落ちていないよ。バックミラーで見えるし、そもそもしっかり括り付けたから、大丈夫」
 後ろの荷台に積んであるのは、二人分の荷物と一組の家具だ。今日は入居初日で、わたしたちは、本日付で同棲という形を取り始める。人との距離感に敏感なわたしが誰かと一緒に住むなんて、考えたこともなかったけれど、イライくんはわたしの「考えたこともなかった」ことを次々、簡単に実現していく。
「楽しみ?」
「もちろん」
 交差点を曲がり、住宅街を抜け、小さなアパートの前に車を止める。イライくんは、シートベルトを目一杯引き延ばして、大きな体をこちらに寄せて、額に口づけを落とした。
「これからは、夜の際にあっても、あなたをずっと感じていられる」
 わたしは思わず吹き出してしまった。だって、あんまりきざなことを言ったりしたりするのが似合いすぎるからだ。
「イライくん、かっこいいね」
「今更かい?」
「ふは、そういうところも好きだよ」
 すると突然、ぽ、と頬を染めて、イライくんはわたしの肩に顔をうずめてしまった。どうしたのだろう、とふわふわの頭を撫でながらその疑問を言葉に出せば、だって、と少し顔を上げる。
「あなたの口から、あまり、好きという言葉を聞いたことがないから」
 そうだったっけ、と思うと同時に、なんだかわたしまで恥ずかしくなってしまった。
「……ちゃんと好きだよ。これからよろしくね」
「ああ、う、うん。……よろしく、お願い、します」
 つけっぱなしのシートベルトに引っ張られて、ずるずると運転席に戻っていくイライくんを眺める。真っ青な瞳と真っ赤な頬っぺたがかわいいな、と思う。たぶん、もう少しすると引っ越しを手伝ってくれる彼の友人たちが到着する。それまでに、お互い心を落ち着けておかなければ。
「自販機あったよね、珈琲買ってくるよ。無糖でいいでしょ?」
「あ、うん、えっと」
「落ち着いてね。わたしは逃げないよ。それとも、イライくんが逃げちゃう?」
「に、逃げない! 逃げないし、雪之丞さんを逃がすつもりもない!」
 声大きい、と笑いながら車を降りて深呼吸を一つ、息を整えた。早歩きで近くの自販機に向かう途中、ちらりと後ろを振り返ると、運転席で体を丸めて顔を覆っているイライくんが見えた。普段はほとんど取り乱すことのない彼があんなにも感情をあらわにするなんて、おもしろい。これからの生活がより一層楽しみだ。
 春の風に熱く火照った頬を晒しながら、どこからか舞い散ってくる桜の花びらに、ふわふわとどこか夢見心地のまま二人の未来に想いを馳せた。