2号館の花壇の前。
しゃがみこみひとり黙々と写真を撮っていた。ああでもないこうでもないと模索して、ときには周りの視線を気にしながらきょろきょろする様は周りからしたら不審がられているかもしれない。ただ純粋にお花を撮っているだけに映ってたらいいのだけど。
「···よしっ」
ひとりしきり撮って、写真をじっくりチェックしている最中だった。
「なにをしている」
びくっと肩が跳ねて、反射的に振り返る。声の主を理解できたのはそれからだった。
「校内で携帯電話を使用するのは原則禁止されている」
「も、申し訳ございません!」
深々と頭を下げて反省の意を示す。こんなことを思ってはいけないけど、最も見られてはいけないひとにバレてしまった。しどろもどろになる。キャップ帽から覗く視線がこと鋭くて、彼特有のこれはなかなか慣れない。
「も、もうこんなことはしません」
「花を撮っているのは風情があっていいとは思うが」
「花もだけど、どっちかというと、ぬいぐるみを撮ってたんだけどね? ···かわいいからつい止まらなくなっちゃって」
「なに?」
眉間の皺がいっそう濃くなる。あ、地雷踏んでしまった···! なぜ馬鹿正直に話してしまった、わたし。
「あ、え、その」
「学業に関係のないものまで持ち込んでいるのか?」
「えっ、えっと、」
とうとう真田君が両手を組み始めた。もし効果音をつけるとしたらゴゴゴなんて効果音が適しているに違いない。彼は私の後ろにあるちいさな影に目を凝らしている。
この子の命が危うい。まずい。危機感が一気に襲いかかって、花壇の上に置いてたものを慌てて拾い上げる。ぎゅっと両手で握りしめて胸の前にまで持ってくる。どこかのお偉い方に処刑を見逃してほしいと乞う下々の者はこんな心境だろうか。
「どうか許してくれませんか!? どうか、どうかこの子の命だけは······!」
「それはなんだ?」
「ゴンザレスあけみちゃんです!」
「そんなことは聞いておらん!」
「すすすすみません! ···この子は、その、ちいさいときから大事にしてて、友達というか家族というか···。ちょ、なに言ってんのこいつみたいな顔はやめて下さい···!」
険しいながらも若干引いてるような顔をしてなくもない気がする。
「ぬい撮りに最近ハマってて、ここの花壇好きだから、一緒に撮ってみたかっただけで···!」
「ぬいどり?」
「えっと、言葉そのままで、ぬいぐるみと一緒に写真を撮ることでして···こ、こういうのとか」
おずおずとスマホの画面を真田君に見せる。(ぬいは取られたくなかったので、片方の手はがっちりホールドしながら)
「···これがいいのか」
予想通りとはいえ、ぐさりと胸に刺さる。(多分)引いてはなそうだけど、なにがいいのかさっぱりといった反応だ。
「や、やっぱりあんまりだよね···でもね、こんな風に撮ってみると、この子も一緒に景色見てる感じがして、こう、ほっこりするの」
「そういうものか」
「ほ、ほら。うさいぬとかもこんなふうに撮ってみたら可愛いんじゃないかな?」
「うさいぬ?」眉がぴくりと動く。
「文化祭のは大きすぎるけど、普通サイズのぬいぐるみもあったよね?うさいぬって」
ブン太が海原祭で獲得したビッグうさいぬいぐるみは、あれから無事に真田君の手元に渡ったのだ。そのタイミングで真田君が実はうさいぬファンだったとテニス部みんなに知れ渡ったのは記憶に新しい。
『まさかおまんがこんな愛らしいのを好むとはのぅ』
『む···悪いか』
『好きなら最初っから言ってくりゃあいいのに。俺この前ゲーセンでも取ったことあるし、丁度よかったぜぃ』
『奴はゲーセンにもいるのか!?』
『って、食いつきよすぎだろぃ!』
『弦一郎の趣向は多岐に渡るようだ。これは傾向を分析し直す必要がある』
『多少は緩衝材になりそうだね』
『あれを入れても堅苦しいのがずっと勝っとるがの』
『うぅ···真田君····!よかったね····!やっと会えたね···!』
『苗字さんは相変わらず涙脆いですね』
『いや···最早なんで泣いてんのか分からねぇレベルだぞ』
うさいぬと真田君が対面できたことに感動したのも記憶に新しい。真田君の表情が緩んでいたのがとても微笑ましかった。
「私はまだしたことないんだけど、ご飯と一緒に撮るのも良さそうだよね」
「というと?」
「うさいぬって見た目がピンクでとにかくかわいい感じだから、スイーツとか···パンケーキとか似合いそうじゃない?」
「···そういう撮り方もあるのか」
「きっと、うさいぬがパンケーキ食べてるみたいに見えちゃうというか」
「···ふむ」
顎に手を当てて考える、というより想像している素振りを見せた。···これは手応えがありそう?
「だ、だから、その子がほんとに生きてるみたいに見えるし、うさいぬだって生きてるみたいに見えて、ぬい撮りも悪いことばかりじゃないというか···」
「たわけ!! なにを言うか!!」
「ごごごごめんなさい! やっぱダメなものはダメですよね! 反抗するつもりはなかったんですけど···!」
「うさいぬは生きておるに決まってるだろう!!」
「そっちですか!?」
なんかもういろいろテンパってる私の前で「みたいなどではない」至極真剣に真田君は続けた。「そ、そうだよね、うさいぬはちゃんと生きてるもんね」それらしく返すしかなく、萎縮した体が途端にへなへな抜け切ってしまった。どうやら斜め上の地雷を踏んでしまったらしい。もしもだけど、うさいぬランドみたいなのが出来たら彼は本気でグリーティングに通いつめそうだ。
「なにはともあれ校内に持ち込むのは見過ごせんな」
「すみません···」
「だが、外でする分には趣がある」
「そ、そうですか」
「···俺も機会があれば、試さんこともない」
「ほんとに?」
「あぁ」
「···よかったら、私のと一緒に撮ってみない?」
「なに?」
声の低さの割には、表情は興味津々そうだった。この時点ではもうかなりの手応えを感じていた。
「明日の放課後とかどうかな?」
「しかし、そういうものを持ち込むのは、」
「えっと、キーホルダーとかは?それならその、鞄につけるつもりのていで持ち込めるというか···」
「···ある」
「ほんとにっ?」
渋々なのか、そわそわなのか判別がつかないけれど、真田君はなんともいえない表情をしながら明日の放課後の約束を了承してくれた。私はというと、その日の帰り道は明日のことで頭がいっぱいになってた。
パンケーキ屋さんは彼にとってまだ抵抗があったらしく、初日はお見送りとなった。
どんな背景と一緒に撮りたいか聞いてみたけれど、勝手が分からないらしく「お前がいつもしている通りでいい」とのこと。私が一方的にはしゃいでるだけなので、いきなり聞かれて答えられないのも当たり前かもしれない。とはいえ、自分からリードするといった行為自体があまりないので、私自身も少々しどろもどろになってしまう。
「海岸で撮るのは、どうかな?」
「どうすればいいのだ」
「こうやって二匹並べてね···」
「ほう」
海岸沿いにあるコンクリートの塀にぬいを置いてみる。ふたりで互いのぬいを持ちながら、こつんとくっついて寄り添うように並べてみる。
「真田君のもいい感じだね」
「そうか?···お前のは背景がぼやけているようだが」
「あえてこの子に焦点合わせてみたの」
「なるほど。そういう撮り方もあるのだな」
「あ、うさいぬピンで撮ってみる?」
「こうか?」と真田君が聞いてきて、私も彼の画面を通してうんうんと相槌をうつ。時折「こっちのほうもいいよ」と角度を変えるように助言すれば、彼はすんなり聞き入れてくれる。そういえば初めて彼と話したときも、(某SNSのアカウント開設方法について)こんなふうにあれこれ教えたんだっけ。意外にも、なんて言いかたは失礼かもしれないけれど、彼はなんでもかんでも突っぱねるわけでもなく、柔軟な一面もあるのだろう。しかめっ面をしながら画面とぬいと向き合ってる姿を隣で見ながら、そんなことを思った。···もしかして、うさいぬにまつわること限定かもしれないけれど。
「これでいいのか?」
「うん。うさいぬ、かわいいねっ」
「うむ、たまらんな」
「···どう?楽しい、かな?」
「あぁ、良さが分かってきた」
「ほ、ほんとのほんとに?」
真田君はとにかく真っ直ぐだからこそ遠慮も一切ない。その分、それがそのまま言葉にも反映されていると分かるから安心しきれた。友達とぬい撮りって、想像だともっときゃぴきゃぴしながらするものだと思ってたけれど、こうも真剣に撮りあうことになるなんて。あの彼がしゃがみこみながら黙々と撮ってる様子はシュールに見えなくもない。
「真田君とこういうことできるって思ってなかった」
「俺も初めてだ」
「一緒だね。こうやって並べて撮ると···ほんとうに友達同士みたい」
「ほんとうもなにも、俺達は友人だろう」
「えっ」
ぬいぐるみのことを指していたつもりが、彼はそうではなかったらしい。ぱちぱちと瞬きをすれば、彼は訝しげな表情を見せた。
へらっとして、情けなく口元が緩んでしまう。当然だと言わんばかりに、彼の言葉には嘘偽りの片鱗も無さすぎるから、余計にだ。
メインの被写体を置かず、海にカメラを向けて一枚撮る。あの夏とは違い、水面がきらきら反射しているわけではない。どことなく寂しく、どんよりとした青色。
いついかなる時もこころが和らぐ。海は不思議だ。哀しさを漂わせているこの青と波音に、永遠に浸っていられるような気さえする。
「海を撮っているのか」
「うん。真田君はずっとここの辺りに住んでるの?」
「あぁ」
「昔からこんな近くにあるなんて羨ましいな」
「海が好きなのか」
「とても素敵でしょう」
「俺にとっては当たり前の景色だからな。その感覚が分からんのだ」
「贅沢だね」
「お前もいつか、見慣れる日がくる」
「私もね、もうそろそろ飽きるのかなって思ったけど、そうでもないみたい。いつ来ても、違ってみえる」
「そういうものか」
「いまも真田君と来てるから、今日だって特別」
ぶわっと風の吹き荒ぶ音がする。髪の毛が目に入って、反射的に目を瞑る。それと同時になにか彼が言っていた、ような気がする。すべて風に紛れてしまったので曖昧だ。
瞼を開けた頃には、既に彼は前を向いていた。真っ直ぐな横顔。どこまでも真っ直ぐだけど、射抜くというほどの表現も当てはまらなかった。
彼のお気に入りの場所でも撮ってみないか尋ねてみた。少し考えた素振りを見せて「好きというほどでもないが」と、彼が連れてくれたのは神社だった。
境内には石畳の階段を登りきってようやく辿り着ける。ここの階段はなかなかに長いことで有名だ。
彼が余裕の表情で最後の石畳の段差に足を踏み入れた頃には、私はというと息を切らしていた。
「真田君は平気そうだね」ぜぇはぁ言えば、「鍛錬が足りん」一蹴される。
彼のなかであしらっているつもりはない。柳生君のようにとても丁寧に気遣ってくれるのも素晴らしいけど、ここまでくるといっそ清々しく、結構好きだったりする。
見下ろした先。
遠くに水平線が見える。やや錆びれた鳥居越しの、さらに向こうに存在する潮の揺らめき。赤いフレームと、そのなかに映る青とがコントラストになっていて、一枚の絵画みたいだ。
彼は静かに見つめていた。
「ここにはよく来るのか」
「もっと近くで見たいから、そんなには。でも、ここから見える海もすごく好きだよ」
「そうか」
彼の瞳はひたすら海だけに向けられていた。目に全て焼きつけようとしているような、そんな視線だった。
彼の横顔は凛としていて、とても端正だ。
境内のお社を背景にして撮ることになった。二匹を並べて持ち上げて、写真を一枚。
「二匹でお参りしてるみたいだね」
「これも可愛いというやつだな」
「うんっ。あ、せっかくだからうさいぬと真田君だけでツーショットで撮ってみる?」
「いや···俺はいい」
「は、恥ずかしいなら、私と一緒とかでもいいよ?ふたり一緒なら怖くないよ!」
「たわけ!恐れてなどおらん!」
「はい。すみませんでした。」
「······写真は好かんのだ」
「え?」
無理やりこんなのに誘ってしまって不味かっただろうかと不安が過ぎる。私の心境を察したのか「すまない、語弊があったな」彼がひと言置く。
「俺自身を撮られるのが、好きではない」
そう言って、気まずそうに視線を逸らした。
いつだって真っ直ぐな彼でも、こんな顔をするんだ。
迷いつつ、だがしかし好奇心の勝った私は「やっぱり、恥ずかしいの?」と恐る恐る伺う。「そういうわけではないが、」ひと睨みされるけど、不思議と怖くない。彼の弱点を知り得そうな予感がして、少々いい気になっている気分だった。
「カメラの前で笑えん。なにもないときに笑えというのが無理がある」
ちいさい頃からそれは苦手で、意識すればするほど引き攣ったような笑みになってしまうらしい。「もう少し愛想良くてもいいんじゃないか」と(きっとからかい気味に)幸村君に言われたこともあったが、あいつのようにずっとにこやかにできるわけがないと。
ふと、幸村君とふたり並ぶ姿を思い浮かべる。幸村君の穏やかな佇まいや笑みは、彼が隣に立つことで際立っているように見える。その逆も然りだった。積極的に幸村君にアプローチしたり、そういった他意を抜いても話しかけようとしている女の子は、幸村君の隣に彼がいるときに限っては現れない。さながら専属のボディーガードみたいだ。
もったいないと思う。
強面な彼に対してではない。
「じゃあ一緒に撮ろうよ」
「さっきの話を聞いていたのか」眉間の皺が濃くなった。
「ほ、ほらっ。ね?」怯まない私は我ながら強いと思う。
「む、おいっ」
まぁまぁと無理やり宥めながら真田君の腕を取り、海を背中にして隣同士で並んでみる。彼は背が高いこともあって、なんとか腕を伸ばして鳥居ごと画面のなかに収めようと努める。もっと抵抗されるものかと思ったけど、彼はしゃんと立って微々たる動きもなく、レンズに向かい焦点を合わせてくれた。
「すごくいい感じじゃない?」
スマホの画面を見せれば、彼のしかめっ面がいっそう色濃くなった。
「真田君の表情も素敵だよ」
「どこがだ。褒めてもなにも出んぞ」
「私はこの真田君···好きだけどな。笑ってなくても、楽しそうだって伝わるもん」
「違うかな?」おずおずと見上げてみる。ちょっとだけ、胸を弾ませながら。彼は見開いてしばらく固まっていた。
「違ってたらごめんね」と続けると
「それで構わん」ふいっと視線を逸らして、腕を組んだだけだった。
くすぐったくて、思わず目を細めた。
彼にだって、穏やかな表情をみせる瞬間もあるのだ。そんな彼を知らない大勢がもったいないと思うのは、上からすぎるだろうか。もしかしたら誰もが知らないところで、明らかに頬を緩ませる瞬間だってあるのかもしらない。きっとそのときをたくさん知っているであろうあのひとが、少々羨ましくもなった。
「お前は写真を好むようだな」
「夢みたいなことばかりだから、たくさん形にしておきたいの」
「···もういちど、撮り直したほうがいいか?」
「いいの?また撮ってくれるの?」
「いや、やはりいい」
「そっか···」
「また次の機会にな」
「またなら、いいの?」
「ああ」
「こうしてみると、友達同士みたい」
「みたい、ではないだろう。俺達は友だ」
「···えへへ」
「なにが可笑しい」
「もういっかい···真田君にそう言ってほしかったんだよね」
「さっぱり分からん」ため息混じりに返される。
「ごめんね」上辺ではそう言うけれど、頬はゆるゆるで頼りなく、口元を手で覆ってみる。
「お前というやつは」
彼はとことん呆れていた。だけど、顰めているわけではなくて、なにからなにまで全部がやわらかかった。目下がほんのり赤い彼を見て、きっと怒られてしまうからとても言えないけれど、いまの私と同じようだと思った。
潮の香りも、冷たい空気も、荒れる風も、くすぐったい想いも、すべて思い出して、しばらくはこの写真をなんども見返すのだろう。
画面を眺めていたら、そんなこと私の考えがありありと漏れてしまったのか、また彼が呆れていた。