御琴のいた世界は、残酷だった。

《迷宮病》。最悪の病気。少女だけがかかる、謎の奇病。世界は、正体不明のウイルスに満ち溢れていた。

《迷宮病》にかかった少女は、二度と元には戻らない。少女が《永久迷宮化》をしてしまったら、取り込まれた人々も二度と元には戻らない。だから、一秒でも早く少女を殺すべきだ。それが、御琴のいた世界での常識だった。

でも、そんな少女を助けたいと願う、馬鹿がいたはずだ。


「! 敵が前方から10……いえ、15体来ます!」
「くそっ、何だってこんなときに!」


有栖真之介。世界最高難易度の迷宮、《黙示録666》ーー通称《黙示録アリス》を生み出した、有栖咲の兄。

彼は、自分の妹を助けるためだけに動いていた。誰も味方をつけず、誰も信用せず、たった一人で。ガキの言うことだと大人達に嘲笑われながらも、妹が発病してからずっと世界中を飛び回り続けていた。最近になってやっと仲間を見つけ、日々少女を殺すことに力を注いでいる憐れな青年だ。


「……あたしが行く」
「無茶だ! おまえ一人で倒せるわけ……」
「倒せる。15体くらい余裕だね」


御琴はにやりと口元をつり上げると、集団で走る仲間達の前を走った。
いよいよ、敵が視界に入る。


「加速スイッチ」


一瞬だけ、御琴の全ての速度が速まった。たったの一瞬で御琴は仲間の集団から飛び出し、敵の集団の中心へと移動する。

敵はターゲットを御琴に決め、襲いかかってきた。左手に生えた爪が、御琴の手を、足を、心臓を、貫こうとする。


「百花繚乱風切スイッチ」


その時、御琴の周辺に大量の花びらが咲き乱れた。宙を舞う花びらのその一つ一つが、刃のように敵を切り刻む。範囲は広く、上手く弱点に当たっていれば10程度なら倒せているだろう。


「行け、有栖真之介っ!」


出せるだけの声を出して、御琴は精一杯叫んだ。

真之介は舌打ちをして、他のみんなは悔しそうに顔を歪ませながら、御琴の隣を通りすぎる。花びらはもう、やんでいた。みんなが奥のフロアに行くのがわかる。

このあとは、真之介。あんたに託そう。


「やあやあ人間君、時間だよ」
「……なんの?」


突然現れた兎に、御琴は聞く。


「死ぬ時間だ」


だが、瞬殺だった。弱点さえわかっていれば、一瞬で勝敗は決まる。だが、


「……あ、あ……ぁあ……」


トン、と音がした。それは、御琴の胸から。御琴の胸から飛び出したのは、爪だ。兎の、爪。

続いて、ガタン、と音がした。今度は、御琴の足元から。床が、崩壊する。ヒュッと落ちる感覚が、全身に伝わる。何も見えない。

走馬灯すら見る暇もない、自分がどうなったのかもわからないまま、御琴の人生は終わった。迷宮とは、そういう場所なのだ。

油断した瞬間に、死ぬ。


ーーだがそこから、その日から、彼女の世界は大きく変わってしまったのだ。
少女だけのプロローグ



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