そこの満月を頂戴しよう






 人と人は、生まれながらにして格差だらけなものだ。その最たる例が、家庭環境である。人は、生まれてくる家も、親も、兄弟も選べはしない。至極当然のことだ。よってこの状況も、言うなれば"運命"であったのだろう。

 ある日、両刃要が積み木で遊んでいると、家の扉が吹き飛んだ。外側からの圧力には耐えられなかった木製の扉はバラバラに砕け、大小まばらな破片が床に落ちる。

 要は目をまん丸にして、壊れた扉の前に立つ男を見上げた。男には、顔がなかった。本来顔面にあるはずの凹凸が一切なく、黒いマスクを被ったその姿からは底知れない恐怖が感じ取られた。


「君が、両刃要だね」


 テノールの声で名を呼ばれ、要はこくりと頷いた。この男が自分に危害を加えるつもりがないことは直感的に感じたが、しかし同時に、この男が自分にとって有益をもたらす存在ではないことも理解した。眉頭を中心によせ、男から距離をとるように後ずさる。

 そして後ずさった先で、こつりと指先が何かに触れた。要の小さな手が、それよりももっと小さな手に触れていた。その手の持ち主は不安げな表情で要を見上げ、きゅ、と要の袖を握った。大丈夫、とでも言うように、要は視線は男に注いだまま弟を抱きしめる。


「その子が君の弟だね。でも、僕が用があるのは君だけなんだ」


 男は一歩、また一歩と要達に近づき、手を伸ばした。その動作を見て要はさらに身を固くするが、いつまで経っても彼女の想像したような痛みは襲ってこなかった。代わりに、頭にずしりと、苦にならない程度の重みが加わって、ようやく頭を撫でられているのだと理解した。


「育児放棄、児童虐待……酷い人間だね、君の両親は」

「……パパとママは、どこにいるの?」

「死んだよ。ヒーローが殺した」


 両親が死んだ。そう聞いても、要の心には波一つ立たなかった。その理由は、要の体の至る所に残された傷跡が物語っている。両親は自分を愛さなかった。当然、要も両親に愛が芽ばえるわけもない。


「不憫な子だ。両親に暴力を振るわれ、ヒーローは助けに来ず、この先には苦難の道しか残されていない。生まれた時からはみ出しものの君には、蜘蛛の糸さえ垂らされることは無い」

「………………」

「けれど、それでこそ弔に相応しい」


 男の手が離れたと思うと、急に男の手から眩い閃光が生まれた。反射的に目を瞑り、弟を抱きしめていた手を離してしまう。そしてその隙を、男は見逃さない。


「っ……楓兎!」

「おねえちゃん、」

「君の中の憎悪が肥大化し、弔の傍に立てるようになるまで、この子は僕が預かろう。そうだ、要。君にも宿題を出しておかないとね」


 弟を抱き抱える男は、反対の手で再び要の額に触れた。しかしその手は先程の方に緩やかな力ではなく、絶対に逃がさないという意志のこもった、言わば拘束に近かった。要の口から苦痛の息が漏れるが、男は一向に構わない。


「君に、僕から一つだけ贈り物をしよう。君は確かに将来有望だが、その個性だけはあまりに凡庸だからね」


 なんとも言えない感覚だった。何かが自分の中に入ってくる感覚といえばいいのか。形容し難い感覚に戸惑うばかりで、要にはそれに抗うという選択肢はなかった。ただ襲いくる何かを、自分が壊れないように必死に受け入れるだけで精一杯だった。

 やがて意識を失い、要の体は床に倒れ込む。弟が必死に要の名を呼んでいたが、もはやその声さえ届いていない。


「じゃあね、要」


 男はそう言い残すと、音もなく空間を割いて、その中に弟とともに消えた。残された要は、ヒーローが到着する2時間後までずっとそのまま床に付した状態でいた。

 両刃要の弟、両刃楓兎が行方不明になった事、そして誘拐したのが敵の親玉、オール・フォー・ワンだと聞かされたのは、彼女が病院で目覚める約1週間後の事だった。当時、両刃要は七歳、弟は五歳であった。

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