きみはきっと魔法使い
爆豪が立ち去って行った方向をぼうっと見つめたままでいると、どこからやって来たのかいつの間にか葉隠さんが目の前にいた。彼女は透明の個性で常に姿が見えないため、他の人よりも気づきにくい。宙に浮いたチア衣装というのも、中々に妙なものだ。
「いたいた、要ちゃん!」
「葉隠さん? 私に何か用……?」
「そう、用事用事ー! ちょっとこっち来て!」
そう言うと葉隠さんは見えない手で私の背中を押し、来た道を引き返し始めた。その方向は、言うまでもなくスタジアムだ。一体何事かと尋ねるが、「いいからいいから」とはぐらかされてしまう。やがてスタジアムに着いた私を、芦戸さん達A組女子勢が迎え入れた。
「おっ来た来た! おつかれ葉隠!」
「え……? 本当に、何事……?」
「えっとね、せっかくだからレクの間A組女子で応援合戦やろうって話になったんだけど、両刃もどうかなって!」
「応援、合戦……?」
確かに、現在私も含めA組女子は皆チアガールの装いをしている。大方芦戸さんか葉隠さんの発案であろうことは予想着いた。が、私のこれまでの短い人生を振り返ってみても、チアの応援など経験したことは無い。第一、この衣装で人前に出るのは少々気恥しさも感じる。できれば遠慮したいイベントだ。そうだ、断ろう。
「えっと……私、そういうのはあまり……」
「なら、要ちゃんもレク出よレク! レクリエーション! 絶対楽しいよ〜!」
「ちょ、葉隠さん!? 私出るなんて一言も……ひ、引っ張らないでってば!」
どうしてそうなったのか。葉隠さんの強引な誘いに、私は半ば引き摺られるようにスタジアムの中央に連れて行かれる。それを目にした切島君が「おっ両刃もレクリエーション出んのか!」と激励を飛ばしてきたので、「見てないで助けなさいよ切島!」と勢いに乗って返せば「そうやってすぐキレるの、ホント爆豪に似てきたな……」と上鳴君がぼそりと口にした。つい呼び捨てで呼んでしまった事に後から気づいたが、口から出てしまったものは仕方ない。
周囲の雰囲気に身を任せたままでいると、いつの間にか借り物競争のスタート地点へと立たされていた。ここまで手を引っ張ってきた葉隠さんをじとりと睨もうとするも、彼女の顔は私の視覚には捉えられないためただ宙を睨みつけるだけになってしまう。視線が合わないという事のなんと悲しいことか。
ああ、もう、こうなってしまっては仕方ない。恐らくテレビの向こう側で私を馬鹿にしているであろう彼の事は一旦頭の隅に追いやり、今はなるべく早くにレクを終わらせることに集中する事にした。
借り物競争。スタートと共にお題の書かれた紙を掴み取り、そのお題の品を会場にいる生徒、観客から借りてゴールまで走る競技。いかに早く借り物を見つけられるかが鍵になるが、そればかりは運だ。あとは出題者の性格にもよる。
「皆スタート地点に着いたわね! それじゃあ……スタート!」
主審は引き続きミッドナイト先生だ。彼女の一声により、一斉に駆け出す。「両刃ー! ガンバー!」と芦戸さんの応援が届き、そちらを見ると女子勢が楽しげにポンポンを振っていた。……私を無理矢理出場させた葉隠さんがちゃっかりチアの中に混ざっていたのは納得いかなかったが──まあ、これはこれで有りかもしれない。小さく手を振り返すと皆一様にピタ、と動きが止まり、そして嬉しそうに笑顔を咲かせた。この反応は何だろう、私は皇族か何かだろうか。
サイコキネシスで紙を拾うと、小さくお題を読み上げる。
「"鳥の羽"……?」
この会場に鳥がいただろうか、と空を見上げたが、運悪く鳥は一匹も飛んでいない。ならば鳥の個性だろうか。鳥と言われて第一に思いつくのは常闇君だが、彼の個性は
黒影であり、一応くちばしは着いているものの鳥かと問われれば間違いなく否である。そもそも彼は羽が生えているのだろうか。少なくとも首から下は普通の人間と変わらないため、生えていると仮定するならば顔周辺しかない。流石にその部位の羽を毟るのははばかられた。
常闇君が候補から消されると、残るは観客席の中から鳥の個性の人物を探し出して羽を貰う事になるが……。
「……この中から探せって事……?」
雄英高校体育祭。かつてのオリンピックに代わる催し物であるが故に、その観客数は数え切れるものではない。前方の席はなんとか視認できるものの、後方の席となると一人一人姿を視認するのは視力補助の個性持ちでない限り厳しい。ぱっと見渡してみても、鳥の個性を持っている人物は見当たらなかった。
手詰まりだ。まさか観客席をウロウロと歩き回る訳にもいかないが、どうするべきか。そうして悩む私にかけられた一言は、私にとって蜘蛛の糸にも等しかった。
「おーい、要ちゃん!」
「! 通形先輩に、天喰先輩……!」
通形先輩が天喰先輩を連れて、観客席の最前列までやって来た。天喰先輩と一瞬目が合うが、ふいと逸らされてしまう。まあ、いつもの事だ。
「先輩方は、3年の方の種目があるんじゃ……」
「俺らはレク出ないからさ、ちょっと1年の方の体育祭も覗いて見ようかなって思ってね! 環も見たいって言ってたし!」
「! ミリオ、俺は別に……」
「って、要ちゃんなんでチアガール!? そういうプレイか何か?」
「プレイってやめてもらっていいですか通形先輩。この服はまあ……少し、事情があって」
峰田君上鳴君の策略から話しても良いのだが、あくまで今は競技中である。長々と話をしている時間ではない上に、まだお題すら見つかっていないのだ。私の事情を察してか、通形先輩は「そういえば、要ちゃんのお題は?」と話を振ってくれた。
「"鳥の羽"なんですけど……見た感じ、この周辺の観客にそういう個性の人がいなくて……」
「鳥の羽か………………あ」
通形先輩は何か思いついたのか、ニカリと笑いながら天喰先輩を指さした。突然白羽の矢が立った当の天喰先輩は訳が分からないといった顔で通形先輩を見ている。
「ほら、環の個性って何だっけ」
「天喰先輩の個性……確か、"再現"でしたよね。その日食べた物の特徴を再現できるっていう………………あっ」
通形先輩の意図に気づき、私は顔を上げた。
「天喰先輩……今日、鶏肉か何か食べました?」
「両刃さん……? あ、ああ……一応さっきフライドチキン食べたけど……」
天喰先輩はそこまで言ってやっと真意が分かったのか、数秒固まった後に顔をサッと青く染めた。
「なら、出せますよね……? 鳥の羽」
「……つまりそれ、俺の翼から羽を毟り取るって事じゃ……」
「………………できる限り、一瞬で済ませます」
「い、嫌だ……! あれかなり痛いんだ……!」
命の危険を感じる、と後ずさる天喰先輩だったが、この機会を逃すわけにはいかない。私は個性で観客席まで上昇し、天喰先輩を追いかける。
「天喰先輩が羽出してくれないと私ビリなんです! 一瞬! ほんの一瞬ですから!」
「ぐっ……眩しい……! けどやっぱり嫌なものは嫌だ……! あと、頼むから何か上に着てくれないか……! 色々と、困る……!」
断固拒否する先輩と、詰寄る私。それを見て後ろでゲラゲラ笑う通形先輩。先日の食堂の時のように天喰先輩に頼み込んでも、やはり2度は通用しないらしい。
「なら、環と一緒にゴールするのが一番簡単だと思うんだよね!」
「「………………は?」」
「だって、別に羽単体で持ってこなきゃいけない条件はないっぽいしね。環が翼出した状態で一緒にゴールすれば、まあ大雑把に鳥の羽持ってきたってことでカウントされるんじゃないかなって!」
「なるほど……それは、妙案ですね先輩……」
ならば実行は早い方がいい。「どうですか、天喰先輩!」と食い気味に尋ねれば、渋々だが了承の意を示してくれた。
「じゃあ、お手をどうぞ先輩」
「それは……なんとなく、役割が逆な気が……」
「いやエスコートする度量なんてあるんですか先輩」
「ぐうの音も出ないッ……! 帰りたいッ……!」
私が手を差し出すと、先輩が恐る恐る手を伸ばす。2人の手が触れた瞬間何故か天喰先輩が手を引っ込めたので、私はそれを追いかけてぎゅっと握った。「舌、噛まないでくださいね」と一言告げると、サイコキネシスで空高く上昇する。「うわっ」と声を漏らしつつも個性で翼を出した先輩を確認して、個性を上昇から下降へと切り替えた。
刹那、突風が私たちを襲った。
「きゃっ……!?」
「ぐっ……!」
どうやら私たちの真下にいた生徒が風を起こして加速をしたため、その巻き添えを食らってしまったらしい。風に煽られて私と天喰先輩の手は離れ、ついサイコキネシスの個性も解いてしまった。こうも強風に吹かれては、サイコキネシスを正常に作用させることができない。
自由落下を始めた私の視界は反転し、下を見ればみるみるうちに地面が迫っている。観客席から悲鳴が上がり、「要ちゃん!」と叫ぶ声が耳に届く。どうにか地面との激突だけは回避したいが、体の自由が利かない現状では非常に困難だ。
「両刃さん!」
──突如、私の膝裏と背中に熱が伝った。かと思えば、その熱に引っ張られるように強風の中を突っ切り、やがて風が止んだ。
「……大、丈夫?」
「……先輩?」
『おおっと、3年ヒーロー科の天喰が颯爽と現れ救出ー!! ヒュ〜、かっこ良すぎるだろ!!』
背の翼をはためかせ、私の体に両手を添えて地面に降り立った天喰先輩の姿が、私の目の前にあった。若干気後れしつつ尋ねる彼の顔に、マスコミが押し寄せた時の食堂での彼の姿が重なる。
「……あ、ありがとうございます。助かりました」
「いや……怪我がないならいい……むしろすまない。俺なんかが、また君相手に出しゃばってしまって……」
「そこでまたネガティブ発揮しないでください……別にこんな丁寧に救出しなくとも、腕持ち上げて引っ張るくらいで良かったのに……」
彼は私を地面に下ろすと、ぷいと後ろを向いてしまった。プレゼント・マイクの派手な実況のせいもあってか、会場中のカメラが自分に一斉に向けられているというのは、彼にとっては地獄でしかないだろう。そんな彼の心境を思うと、少し申し訳なくなってそう言ったが、「いや、」と控えめに否定された。
「あの急降下の中で君の腕だけを掴んでしまっては、地面に叩きつけられることは避けられても脱臼などの怪我を引き起こす可能性が高い。君はこの後も競技に出るみたいだし……ここで怪我をさせてしまうのは駄目だと判断した」
「本当はタコ足を伸ばせたら一番早かったんだけど……あの風の中じゃ満足に動かせなかったから……」と付け足す先輩に、瞳が揺れた。あの短時間の中で、あの一瞬で、私の"この先"の事まで考えて助けたというのか。先輩だって、この風を翼だけで進むのは困難で、一歩間違えれば自分も吹き飛ばされて怪我をしていたかもしれないのに。
自分の危険を顧みず、ただひたすらを私を救おうと手を伸ばしたのだ。
なんだか、背中を押されたような気持ちだ。
「先輩。……ありがとうございます。私を、助けてくれて」
そう口にすると、先輩はちらりとこちらを見て目を少し見開いた後、すぐに後ろを向いて俯いてしまった。尖った耳がほんのり赤く染っていたのは何故だろう。何か私は恥ずかしいことでも言ってしまっただろうか。「……俺も」先輩がぼそりと呟く。
「次の種目……応援、してる」
慌てて「ミリオも一緒に」と付け足した後ろ姿に、笑みがこぼれる。私が笑うと彼はビクリと肩を跳ね上げ、そそくさとカメラから逃れるように観客席側へと戻っていってしまった。
あ、鳥の羽……と気づいた頃にはもう遅く、見事私は借り物競争最下位という成績を残したのだった。