どこにも辿り着けない






『どーしたA組!?』


 プレゼント・マイクの驚愕の声が、マイクに乗ってスタジアム中に響いた。ギャラリーにも思いがけない光景に動揺が広がり、一斉にカメラを向け始める。


「峰田さん上鳴さん! 騙しましたわね!?」

「むしろどうしてあの二人を信じようと思ったのよ……」

「そう言いつつ、両刃もちゃっかり着てんじゃん」

「あなた達が着せたんでしょーが!」


 昼休憩も終わりがけという頃に、私は芦戸さんを筆頭とする女子勢に連れられ、もとい強制連行され、女子更衣室へと押し込められた。聞けば「午後の部は女子全員チアガールの格好をして応援合戦をしなければならない」と、峰田君上鳴君の二人に言われたらしく、急ピッチで八百万さんが個性で衣装を作り上げたらしい。

 「確実に騙されてるわよそれ……」と進言したのだが、「相澤先生からの言伝」という形で伝えられたらしく完全にやる気スイッチが入ってしまっていた。あれよあれよと言う間にチアガール衣装に着替えさせられ、現在に至る。


「何故こうも峰田さんの策略にハマってしまうの私……」

「アホだろアイツら……」

「まあ本番まで時間空くし、張り詰めててもシンドイしさ……やったろ!」

「透ちゃん好きね」

「帰りたい……」


 落ち込む八百万さん、ポンポンを地面に叩きつける耳郎さん、逆にやる気を上げる葉隠さんとその場の空気に身を委ねる蛙吹さん、某先輩のような台詞を口からこぼす私。それぞれが違う反応を取る私たちを、元凶である峰田君と上鳴君が眺めてサムズアップしていた。


「はあ……とりあえず、次の種目始まるまではこの服着ておくしかないんじゃない?」

「あれ、意外。てっきり今すぐ更衣室戻るかと思ったのに」

「仕方ないでしょ……更衣室まで戻ったら、スタジアムに来る生徒達とすれ違っちゃうじゃない。この格好で校内歩くとか御免よ」


 私がそう言えば、耳郎さんが投げたポンポンを拾いつつこちらを見てきた。どうやら彼女も、さっさと通常の体操着に着替えに行こうと思っていたらしい。


『さァさァ皆楽しく競えよレクリエーション! それが終われば最終種目! 進出4チーム、計16名からなるトーナメント形式! 一対一のガチバトルだ!!』


 プレゼント・マイクのアナウンスで、会場にいる全ての人物がステージに再び視線を送った。先にくじ引きで最終種目のトーナメント表を作成するらしく、それからレクリエーションを挟んで本戦開始らしい。レクに関しては、最終種目出場者の参加は任意だ。


「んじゃ1位チームから順に……」

「あの……! すみません。俺、辞退します」

「!」


 ミッドナイト先生の言葉を遮って、尾白君が手を挙げた。同じ生徒や観客にも動揺が走り、せっかくプロに見てもらえる場なのにと理解に苦しむ者が見られた。


「騎馬戦の記憶……終盤ギリギリまでほぼボンヤリとしかないんだ。多分奴の"個性"で……」

「! 貴方も……?」


 私と全く同じだ。私も騎馬戦の記憶はなく、気づいたら最終種目出場が決まっていた。誰かの個性であるのは見当がついていたが、もしかして尾白君は、誰の仕業かも知っているのだろうか。


「チャンスの場だってのはわかってる。それをフイにするなんて愚かな事だってのも……!」

「尾白くん……」

「でもさ! 皆が力を出し合い争ってきた座なんだ。こんな……こんなわけわかんないままそこに並ぶなんて……俺は出来ない」


 ……尾白君が手をグッと握りしめるのを見て、心が騒いだ。本当は出たかっただろうに。この日の為に、日々研鑽を重ねてきた。それは、尾白君だけではない。緑谷君も、爆豪も、轟君も……ここに、この場に立っている全員が同じだ。

 私は、なぜここにいるのだろう。何の為に、何の目的で、そんな凄い人と肩を並べているのだろうか。──この日の為に何の努力もしてこなかった、私が。


「…………私も」

「!? 両刃さん!?」

「私も、辞退します」


 連れられるように、私も手を挙げていた。

 尾白君に注がれていた視線が、一斉に私に向けられるのを感じた。


「私も彼と同じ。騎馬戦の時の事を、何一つ覚えていないの。だから私も、辞退を、」

「……駄目だ!」


 今度は私の声を遮って、尾白君が言葉を吐き出した。シン、と静まり返った空気の中、尾白君の苦しそうな息遣いだけが聞こえる。


「なん、で」

「確かに、両刃さんも奴の個性に操られてた……けど、君は障害物競走で、あんなに必死に勝利を求めてたじゃないか……!」

「! あれは、そんな……」

「あれほど勝ちを望んでた君が、こんな所で立ち止まっちゃいけない。両刃さんは、先に進むべきだ」


 真っ直ぐに、本心からそう告げる尾白君に、私は何も言えなかった。

 ああ、違う。違うの尾白君。私は本当は負けなきゃいけないのに、挑発に乗って、約束を無視して勝手に進んだ結果がさっきの障害物競走。尾白君が言うように、純粋に勝ちを望んでいた訳じゃない。私は、負けたいの。ここから消えたいの。……そう言えたら、どんなに良かった事だろうか。


「そういう青臭い話はさァ……好み! 尾白の棄権を認め、両刃はそのまま最終種目出場よ!」


 ミッドナイト先生がそう宣言したことにより、尾白君は棄権、私の出場は確定してしまった。尾白君が抜けた枠には、B組の子が繰り上がりで入るらしい。

 トーナメント表が出来上がっても、顔を上げる気にはなれなかった。どうしたら上手くいくのだろう。はあ、とついたため息は、誰にも聞かれることなく空気の中に溶けて消えた。




***




 スタジアムの方では、もうレクリエーションが始まったようだ。湧き上がる歓声を背に会場から離れた私は、人気のない校舎裏にたどり着いた。そこでずっと握っていた携帯の画面をつけ、受話器のマークを押して耳に当てる。


『……何やってんだよ、お前』


 声の主は確認するまでもなく、昼休憩には件名だけのメールを送ってきた死柄木弔だ。


「…………本当にね。私もそう思うわ」

『だったらさっさと辞退するべきだったろ。意味わかんねえよ、お前。尻尾の奴に止められたからってそれがどうした。それくらい推し通せよ』


 やはり中継を見ていたらしい死柄木は終始イラついた様子で、私の話を聞く間もなく言葉をつらつらと並べていた。私はそれを無言で耳に入れ、押し黙る。彼の意見は至極正しい。間違っているのは私なのだから、私が口を挟む理由はない。

 大きなため息が聞こえたところで、死柄木の言葉が切れた。もう話す言葉も思いつかなくなったのだろうか。


「……ちゃんと、次こそは敗退するわよ」

『お前馬鹿かよ、トーナメント表見たか? お前の次の対戦相手、あの酸の奴だったよな。雄英襲撃で俺達相手に直接戦って生き残って、障害物競走は4位、操られていたとは言え最終種目まで勝ち残ってきた……そんな奴が、大して目立ちもしてねえ没個性にアッサリ負けてみろ。観客は騙せても、ヒーローの卵と教師は騙せねえぞ』


 絶対に、何か問題を抱えていると勘繰り始める。そうなれば、私を辿って死柄木の居場所まで警察にバレてしまう。それを彼は懸念しているらしいが……そこには若干の行き違いがあった。

 それこそ、雄英と敵連合の、私に関する情報の差だ。雄英は私を"二重スパイ"として認識し、敵との接点を持っていることをきちんと把握している。大して敵連合は、私を"雄英へのスパイ"としか認識していない。つまりは、私が雄英・警察と連絡を取りあっている事など知らずに、私を警察から隠すべき存在として扱っているのだ。

 それ故に、彼は私が目立つのを極端に嫌う。まるで普段クローゼットの奥底に仕舞ってある服が、外に放置されているのを嫌がるように。

 「それは……」と私が再び押し黙ると、死柄木はガリガリと体をかいた。彼の癖を知っていれば、見なくとも音でわかる。


『じゃあさ、お前いっそ優勝しろよ』

「……はあ?」


 ……一瞬、自分の耳を疑った。彼は今、「優勝しろ」と言ったか?


『俺はさ、要。何時だって自分の人形が一番じゃないと気が済まないんだ』

「あんた、人形遊びやる趣味なんてあったの……?」

『例え話だ殺すぞ』


 数段低くなった声色に、これは地雷を踏み抜きそうだと追求はやめた。


『だから、もういい。お前がそれ以上うだうだ悩んで使い物にならないなら、いっそ勝ちに行けよ。他のお仲間と同じくな』


 静かなトーンで告げられた台詞が、頭の中で木霊した。どうして、今頃になって言うのだろう。どうして、何もかも終わってしまった頃に言うのだろう。どうして、今。


「…………私は、」


 気づけば、口から飛び出していた。



「私は、あんたが負けろって言うから、今までッ……!!」

『……は? 人に擦り付けてんじゃねえよ。敗退するって最初に決めたのはお前だろ』



 電話越しの声に言い当てられ、泣きそうになった。本当はわかっている。これがただの八つ当たりで、死柄木の方が正しいことも。

 最初に体育祭の話を聞いた時、私は自分の意思で・・・・・・敗退しようと決めた。その後死柄木にも敗退するように言われたが、それはあくまで、そうする理由がひとつ付け加えられただけにすぎない。

 死柄木が何と言おうと、結局のところ始まりは私なのだ。私が選び、私が決め、私が招いた結果がこれだ。それを後から死柄木に向かって文句を言うのはお門違いである。


「……っ、私は…………!」

「──ピーピーピーピー、雑魚がくだらねェ話してるなオイ」


 突如聞こえた第三者の声に、私は咄嗟にスマホを耳から離し振り向いた。「……いつからいたの、爆豪」と絞り出すような声で問えば、「んなこたァどうだっていいんだよ」と一蹴されて終わる。スマホの画面をチラリと確認すれば、既に電話は切れていた。


「だから何。誰と何の話をしてようと、貴方には関係ない」

「関係ねぇだァ……? てめーの意見なんざ知ったこっちゃねぇんだよ。言っただろーが。てめーの全力を、俺が上から捩じ伏せるってよォ……」


 それは、障害物競走が始まる直前に爆豪に言われた言葉だった。正直何故彼にそんな言葉をかけられたのかは分からないが、その言葉自体は本物らしい。


「……次の最終種目。順当に行きゃ俺とお前がぶつかるのは準決だ」

「…………随分な自信ね」

「ったりめーだ。……精々てめーも這い上がってこいや」


 爆豪はそう吐き捨てると、踵を返し背を向けた。「ちょ、それだけ言いにわざわざ来たの!?」と声をかけたが、彼の背中は無言で遠くなっていく。いてもたってもいられなくて「待ってよ!」と声を張り上げると、彼の足は止まった。


「あんた、なんでそんなに私に突っかかって来るの……? あんたにとって、私なんてモブの一人にすぎないでしょ! 私が敗退しようが勝ち進もうが、あんたには何も関係ないじゃない!」

「……言いてぇのはそれだけかよ」


 静かに、爆豪の声が響いた。遠くで観客の声援が聞こえるだけで、私と彼の間には閑散とした空気だけが吹き抜けている。暫く無音の時間が続き……口を開いたのは爆豪の方だった。


「俺が目指すのは、完膚無きまでの1位だ。クソデクも、クソデクに宣戦布告しやがった半分野郎もてめーも、ムカつく奴ら全員の全力を俺が捻じ伏せなきゃ意味がねェ」

「…………だから、なんで私」

「……チッ」


 爆豪はそれ以上を語ろうとはしなかった。

 やはり、彼の考えていることは私には理解の範疇にない。問いただそうとしても、障害物競走直前に言い放った以上の事は喋りそうもない。彼の背中が遠くなる度に、胸の中で黒い泥が蠢くのをただただ感じていた。

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