散った花弁


 声が、聞こえたような気がした。

 夢であるのかもしれない。あるいは、これは私の記憶であるのか。声が聞こえるとともに、徐々にその声の主の姿が浮かび上がった。はっきり言って、知らない男だ。銀髪で胸元に赤い染みを作ったその男は、その紅の瞳を力なく開きぼんやりと宙を見つめている。夜空のような黒髪の青年が男の上体を抱き上げ、瞳に涙を浮かべる。その周囲では、青年や男と同じような齢の男女が何人も彼と同じく涙を流していた。

 そんな中で私はたった一人、その集団からぽつんと外れたところで呆然と立っていた。中心で倒れた男が一言私の名前を呼ぶと、全身傷だらけでもう歩くことさえ精一杯なのに、私は必死に足を動かす。双眸からは止まることなく大粒の涙がぼろぼろと零れ、彼の元へたどり着くと弱弱しくその名を告げた。


「――」


 口から出たのは、やはり知らない名だった。知らない人。知らない名前。こうも訳のわからない状況が続いているのだから、きっとこれは夢なのだろう。そんな思考とは裏腹に、夢の中の私は男の手を両手で掬い上げた。


「死なないで」


 そう願いを口にすれば、男はそれは無理なことだと笑った。どうして。今までずっと、私の我が儘は何だって聞いてくれたのに。どうして大事なことだけ、いつも聞いてくれないの。一度溢れた言葉は止まることを知らず、私の目から落ちた雫が彼の頬を濡らす。

 彼の手が、私の涙を拭う。そして、生きろ、と告げた。痛みも苦しみも何もない世界で、自分のことは忘れて何処かの誰かと幸せになって、全て捨てて生きろと。それが、自分の願いだと。私は何も答えない。けれどずっと、胸が熱い。張り裂けそうなほどに、心臓が痛い。随分と現実味のある夢だった。彼は私から視線を外すと、自分を支えている青年へ情けない顔をするなと声をかける。


「……俺は……立…止ま………った……」


 突然、彼の顔が見えなくなった。ノイズがかかったようにジリ、と揺れ、やがて顔が真っ黒く塗り潰される。それは彼だけではなく、黒髪の青年や周りの人物達も同様だった。声もだんだん遠くなり、断片的に聞き取るだけが関の山だ。


「だが……は………お前………まっすぐ…………て……いけ――─」


 私の涙を拭っていた手を、上に伸ばす。力なく開かれていた瞳に、光がともったのが見えた。

 ……ああ、知っている。名前は知らない。顔も知らない。けれど私は、この男を知っている。知っているはずなのだ。彼は、私にとって何よりも大切な――。


「ただひたすらに……ひたむきに……前へ…………」


 ――刹那、全てがブラックアウトした。

 ああ、やっぱり夢だったんだと理解して……私は、意識を手放した。そこからは、もう何も聞こえなかった。





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