曇ったガラス瓶の中に


 春というのは、どうしてこうも眠りを誘うのだろうか。ライノの花がひらりと舞うのを遠目に見ながら、アスティはあくびを噛み殺した。周りでは彼女と同じ制服に身を包んだ同じ年代の男女が、皆これから起こる出来事に期待半分、不安半分にそわそわと辺り一帯を見渡している。

 今年新たに発足したここ《トールズ士官学院・第U分校》は、言わば曰く付きの学院だ。歴史に名を遺す重鎮となった人物を数々輩出し、つい最近皇太子が入学したことで本格的な軍事学校へと変革を遂げた《トールズ士官学院》……その分校である本学は、本校や各地の学院で受け入れられない訳ありの生徒の寄せ集めに過ぎない。だからこそ、“彼”はアスティをここに入学させたのだろうか、と思案する。素性の知れない記憶喪失の小娘を受け入れてくれる学校など、エレボニア中を探してもこの学院位なものだ。

 顔を上げると、分校の教師陣であろう人物が六名校舎内から姿を現した。軍人の装いをした男性を筆頭に、二列に整列するアスティ達の前に対面した。彼らの姿を見た瞬間に、アスティ以外の生徒がざわりと各々動揺を口にした。聞こえてくる単語を並べると《黄金の羅刹》《灰色の騎士》あたりが多いように感じたが、どちらもアスティには聞き覚えのない二つ名だった。どうやら、世間的にはかなり有名な人物らしい。


「静粛に! 許可なくさえずるな! ――これより、トールズ士官学院《第U分校》の入学式を執り行う!」


 軍服に身を包んだ教師がそう宣言すると、生徒たちは皆一斉に口を閉じる。しかし視線だけはそれぞれの方向に泳いでいて、それはアスティも例外ではなかった。彼の後ろに並ぶ教師の顔をさらりと見る。たった今《灰色の騎士》と話題になったのは、一番端にいる黒髪の青年だろうか。黒縁の眼鏡をかけており、顔立ちはまだ幼さを残している。いかにも新米といった出で立ちだ。


「……?」


 黒髪の青年の顔を見た瞬間、ずきりと頭部に痛みが走った気がした。僅かな一瞬のことだが、どうにも気になって彼から目が離せなくなる。

 そして……不意に、視線が合った。青年はアスティの顔を見た瞬間これでもかと目を見開き、彼女を凝視する。それに気づいた青年の隣の女性教官も、アスティに気づいて息を飲んだ。

 ……え。なんだろう。どういうことだろうこの状況は。

 こうも凝視される覚えがアスティには全くない。記憶の限りでは、二人とは今日が初対面のはずだ。きょとんとしたまま視線を外すのも失礼な気がしたので、軽く微笑んでから前を向きなおす。その間も略式の入学式は続いており、式辞答辞等は省略のままクラス分けと担当教官が発表され、《[組・戦術科》担任のランドルフ・オルランド教官によって該当生徒が呼び出されていた。八名が移動を完了すると、次は《\組・主計科》だ。こちらの担任はたった今目が合った女性教官で、トワ・ハーシェル教官という名らしい。随分と小柄でアスティよりも年下に見えるが、教官と名乗っている以上これでも成人は迎えているのだろう。彼女によって九名の生徒が呼び出され……この場に残ったのは、アスティを含めて四名のみとなった。

 どちらの組にも呼ばれず、自然と四人は身を寄せる形で中央に集まることとなった。桃色の髪を高く結い上げた少女を目が合い、互いに首をかしげる。もしや、教官たちは自分達のことを把握していない? 入学手続きに不備でもあったのか? いやいや、そんなまさか。様々な不安がこみ上げる中、分校長が口を開いた。


「――《第U》の分校長となった、オーレリア・ルグィンである。外国人もいるゆえ、この名を知る者、知らぬ者はそれぞれだろうが、一つだけしかと言える事がある。――薄々気づいている通り、この第U分校は“捨石”だ」


 彼女がそう述べた瞬間、生徒教師含めて皆驚愕の表情を浮かべた。アスティにとっては大方予想通り、というか、聞いていた通りの話だった。《トールズ本校》で扱いきれない生徒を一ヵ所に集めて、使い潰す。そのために設立された学院なのだと聞いた。正直今でも“使い潰す”という意味はよく分かっていないが、ここにいる人間は、エレボニア帝国にとってはあまり歓迎されない人物ばかりだというのは間違いない。……生徒教師も含めて。


「――だが、常在戦場という言葉がある。平時で得難きその気風を学ぶには、絶好の場所であるとも言えるだろう。自らを高める覚悟なき者は今、この場で去れ。教練中に気を緩ませ、女神の元へ行きたくなければな」


 分校長の気迫に、圧倒される。彼女が持つ天性のカリスマ性故か、はたまた彼女自身の血肉となっている経験故か。

 ……しかし、この場で動こうとする者は誰一人としていなかった。アスティには、アスティ自身の目的があって今この場に立っている。掴んだチャンスを自ら離す気などさらさらない。それは他の生徒も同じだ。ここに立っているというからには、皆それなりの事情や思惑があって当然だ。多少の警告程度でそれを溝に捨てるほど、この分校に集まった生徒は弱くない。


「フフ――ならば、ようこそ《トールズ士官学院・第U分校》へ! 『若者よ、世の礎たれ――』かのドライケルス帝の言葉をもって、諸君を歓迎させてもらおう!」









「……って、なんか気迫に呑み込まれちゃったけど……」
「ああ……結局のところ、僕たちはどうすれば――」
「なんか、私たち置いてけぼり食らっちゃってる……?」
「……………………………」


 略式の入学式もオーレリア分校長の言葉をもって終了し、《[組》《\組》の面々が担当教官に連れられ校舎内へと戻っていく背中を見つめながら、桃色の髪の少女と淡い群青色の髪の青年が口を開いた。続けてアスティも困惑を浮かべつつ状況を口に出してみるが、この動揺を収める方法を彼女らは知らない。まさか、入学式が終わるまで放置されるとは思わなかったのだ。


「………………」
「……? どうかした?」


 ふと、自分を見つめる視線を感じてアスティは見つめ返した。同じくどちらのクラスにも呼ばれずに残ってしまった銀髪の少女が、ペリドットの瞳を揺らしながらじっとアスティの顔に見入っている。


「貴方は……」
「……?」
「……いえ、何でもありません」


 彼女はそう呟くと、プイッと視線を外してしまった。明らかにアスティや他の生徒よりも幼い年齢だが、どうして彼女が士官学院に居るのだろうと疑問に思ったが、それこそこの学院が“捨石”である所以である。誰にだって事情はあるはずだ。

 ……それにしても、今日はやけに他人に見られることが多い気がする。


「……将軍、いえ分校長。そろそろ“クラス分け”の続きを発表していただけませんか?」


 放置されておろおろと慌てる四名をさすがに哀れに思ったのか、黒髪の男性教官が助け舟を出した。え、とそちらを振り向く中、分校長はよかろうと優雅に笑う。


「――本分校の編成は、本校のT〜Y組に続く、Z〜\組の三クラスとなる。そなたら四名の所属は《Z組・特務科》――担当教官はその者、リィン・シュバルツァーとなる」





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