廻り続ける歯車

 「あ、森さん? 今からでも契約解除(クーリングオフ)は」
 「駄目だよ」


 先日予告された運び屋の仕事がきた。依頼主は、もちろんポートマフィア首領の森鴎外。依頼、というよりも、情報提供料として、と云う方が正しいかもしれない。

 電話ごしに響くその単純かつ端的な一言に、桜坂は何度目かわからないため息をついた。……その手に握られた、ひとつの文を見つめて。

 森に対する暴言、愚痴の数々を内心吐きながら、黙って異能力を発動する。桜坂の足元の影はゆらりと揺れ、まるで沼に沈んで行くように、彼女は闇に飲まれた。かと思えば、今度は甲板の積荷の陰から現れる。言わずもがな、異能力「八咫烏」での移動である。


 「お、いたいた」


 物資の補給員の目を掻い潜り、桜坂は森から聞いた目標へと近づく。そして音もなく忍び寄り、


 「そんな怖い顔しなさんなって」


 瞬時に、桜坂の首に何かが掠った。大抵このような反応をされるのが普通なので、やはり身構えていて正解だったな、と思う。くるとわかった攻撃は避けるのも容易いが、そうでなければ今頃首を貫かれて即死だっただろう。


 「わ、タンマタンマ! あたしはただ、手紙を届けに来ただけだって」
 「……手紙?」


 目標のうちの一人、牧師の装いに身を包んだ男──桜坂に攻撃をした男でもある──が思わず声を漏らした。彼は桜坂の手から素早くそれを奪い取ると、慣れた様子で封を切る。きっと、普段から"紙"という媒体に慣れ親しんでいるのだろう。


 『──拝啓。時下益々ご清栄の事お慶び申し上げます。そきだく康大な北米の大地より来られし皆様人に於かれましては、目睫の如き本邦は嘸や困ずる所にあられるかと存じます』


 いかにも森らしい言葉の綴方ではあるが、何故かクレヨンで書かれている。大方エリス嬢の持ち物を拝借したのだろうが。


 『我が手児奈も"早く外で遊びたい"と蜂吹く様子は、嘆ずるほどに愛しきやく御座います』


 「これ……何て?」
 「"幼女がかわいい"と……」
 「〜〜っ!」


 この場ですぐに吹き出さなかったことを褒めていただきたい、と後に桜坂は語る。顔も知らぬ組合の構成員にすっかり「幼女趣味」と認識された元職場の上司に哀れみの念を密かに送った。


 『さて手前が筆を執りましたるは此度の兵革の折、僭越乍ら組合御所有の次なるを消やする旨申し伝えたく──』


 「我々は組合の持つ次のものを消す……」


 『一、豪華客船
  一、ナサニエル・ホーソーン様が御身命
  一、マーガレット・ミッチェル様が御身命
 以上、ポートマフィア首領森鴎外』


 その手紙の意味を理解した瞬間、牧師の男、ナサニエル・ホーソーンは桜坂に刃を向けた。これは正真正銘、ポートマフィアからの宣戦布告だ。となれば、その手紙を持ってきた人物が現段階で一番怪しい。ここで桜坂を敵視するのは道理である。


 「ちょ、その手紙の内容と私は関係ないんですけど!? そもそも職場違いますし!」
 「その言葉の真意はともかく、先程我々に近づいた時の貴女の身のこなし。それと同じものを、私は以前見たことがあります」
 「……へえ」


 張り付いた笑顔の裏で、こちらも異能を発動した。


 「確か、"陽炎"、と名乗っていましたか」


 ホーソーンが口を開くと同時に、桜坂は『八咫烏』で足元の影を自らの躯へのばした。しかし、


 「そう簡単に逃がすとお思いですか」
 「えー……逃がしてほしいんだけどなあ」


 彼は完全に、桜坂がポートマフィアの人間であると信じ込んでいる。それは非常に腹立たしいことではあるが、これで一応、探偵社に被害が及ぶことは無い。ここで失敗をして組織間の衝突になったとしても、それは全てポートマフィアに行くものだ。

 異能で動きを封じられた桜坂にはこれ以上なす術はなく、ただホーソーンの注意が逸れるのを待つのみになってしまった。

 組合としても、この船が沈められるのは痛いだろう。なんでも、その船は本国とここを繋ぐ、云わば生命線だ。そこを落とされては、ヨコハマに滞在できる時間も限られてくる。あと数刻でここが激戦区になることは間違いない。その前に、ここを脱出しなければ。

 そして予想通り。


 「ホーソーン様! 不審な男を発見しました!」









 何で君が来たんだよ。心の底からそう思った。

 ……え、あたし、この宇宙だの科学だの云ってる男と同列に見られてるの?宇宙大元帥もとい、ポートマフィア構成員梶井基次郎と並んで座らされていることが非常に、この上ない屈辱である。どうせなら中也先輩連れてきて欲しかったのに。


 「あー……月雲さん、もう帰っていい? あたしこの男と何も関係ないんだけど?」
 「良いわけないでしょ、貴方もこの男と一緒に処分よ」
 「む、無罪だ……ただ手紙を届けただけなのに……」


 ホーソーンの隣で手紙を読んでいたマーガレット・ミッチェルがピシャリと言い切る。

 ホーソーンは既に、梶井を殺すことにしているらしい。となれば必然的に、桜坂の危険性も高まる。幸いなことに、拘束力はほんの少しだけ弱まっているので、なんとか隙をついて逃げ出すこともできるだろう。

 と、その時。ホーソーンが梶井の檸檬型爆弾を奪い、栓を抜いて梶井に投げた。


 「っ!? やばっ、」


 桜坂の至近距離から、爆発音が響く。煙に巻かれてどのような状況になっているのか確認出来ないが、至急異能で作ったバリケードはどうやら役に立ってくれたらしい。

 それならば今のうちに、と自分を拘束していた異能を『八咫烏』で引きちぎり、積荷の陰へと隠れる。そこで移動を使えれば良かったのだが、異能発動条件に問題があった。

 桜坂の異能発動条件。それは、操れるのは視界に入っている影のみだと云うこと。そして現在、桜坂の瞳には一面の砂煙しか映っていない。この状況下では、『八咫烏』はほぼ無力なのだ。


 「……はぁ〜〜……何やっちゃってんのあの糞サイエンティスト……」


 砂煙が落ち着くまで、この場を離れるべきではない。そう考えた桜坂は目だけをあちらに向け、状況を把握しようと試みた。当然だが、この距離では会話までは聞き取れない。


 「……何、あのサイエンティスト」


 「傷ひとつないんだけど……!」思わず、額に汗が滲む。

 かろうじて見えたその姿は、檸檬型爆弾を投げられる前と何ひとつ変わっていなかった。服がボロボロなのは元からとして、外傷等は見受けられない。

 もちろん、このような行為は人間には不可能だ。あの熱風と衝撃に、耐えられる人物など存在しない。

 ──異能力でもなければ。


 「まさか、あれが梶井の異能ってこと……? 檸檬型爆弾をつくる異能じゃなくて……?」


 "檸檬型爆弾で毀傷を受けない"。あの檸檬型爆弾が異能で作り出したものなのかそうでないのかは判別できないが、少なくとも爆弾を大量生産するだけの異能でないことは判明した。

 しかし地味ではあるが、十分に脅威ではある。一番の問題は、探偵社の要である太宰との相性だろう。

 梶井の異能が"作り出す"異能であれば、太宰の『人間失格』で製造を止めることもできただろう。しかし"毀傷を受けない"異能であれば話は別だ。太宰の異能をもってしても、爆弾は止められない。梶井にも毀傷が通るようにするのが関の山で、せいぜい"我々だけで死ぬ"が"梶井も巻き込んで死ぬ"に変わるだけだ。

 そしてポートマフィアは、構成員が一人死んだ程度では揺らがない。むしろ探偵社が消えた事による利の方を取るだろう。

 それは、非常に、まずい。


 「疾く、太宰さんに……っ!?」


 そう思って顔をあげた時、空には檸檬が舞っていた。もちろん、本物の水菓子がこのような場所に、しかも空から落ちてくるはずがない。つまり頭上のヘリが落としているあれは、檸檬型の。


 「……っ梶井〜〜!」


 爆弾だ。あの男は、この船を奪うのでもなく、大破させる気だ。その大量の爆弾をもってして。

 桜坂が探偵社に降りかかるのではないかと危惧した事が、実際にこの場で起こったのだ。


 「あんの糞サイコパス! 絶対殺す!」


 ほぼ直感、本能のようなもので走り出す。ただひたすらに陸へ、陸へと足を動かす。手すりに足をかけ飛び降りた時、背後でおそらく最大であろう爆発音と熱風、そして炎が燃え上がった。

 火の粉がブラウスを、スカァトを掠り黒く跡を残す。ブロンドの髪も先端は焦げていて、いかにも戦火から逃れてきた、という格好だ。正直、みっともなさすぎて探偵社に帰れない。そして何より、この状態で帰ると何か事件に巻き込まれたのだと心配をかけるだろう。

 せめて何処かで服を見繕ってから帰りたいのだが、と思ったその時。


 「っ!? 痛っ!」


 強い衝撃が、桜坂の脇腹に走った。予想外の背後からの攻撃に、蹌踉めきながらも後方を確認する。


 「やはり貴方もあの場で断罪するべきでした」


 そう述べたホーソーンの周囲にはミッチェル、その他組合構成員が立っており、皆桜坂に銃口を向けている。少しでも動けば蜂の巣ということは、桜坂にも理解できた。


 「貴方が現れてからすぐに部下に調べさせました。貴方はポートマフィアの前にとある組織に所属、そこからポートマフィアに貸与された経歴がありますね」
 「……!」
 「資料によると貸与期間はまだ終了していない様ですので、貴方がポートマフィアである証明になりますが……如何ですか?」
 「……参ったよ。そこまでバレちゃしょうがない」


 はあ、とひとつため息をつくと、両手先を空に向け、"降参"の意を示した。


 「ひとついい? ポートマフィアの目的がまだ二つ残ってるんだけど……それについてはどうする心算?」
 「貴方が死んだ後、ここで敵を迎え撃ちます」
 「……へー、ふーん、そういうこと……」


 「じゃ、質問時間終ーわり。さくっとやっちゃってー」桜坂は静かに瞼を落とす。

 しかし、この女の行動には不自然な点が所々存在する。現に今がそうだ。先程までは「殺さないでくれ」と云い、そして今は「殺してくれ」と云う。これが罠であることは、ホーソーンやその他皆が見抜いていた。だからこそ、ここですぐに殺すことを迷っているのだ。

 ここで彼女を始末することによって、何かポートマフィアにとって有益な事態が発生するのではないか、と。

 しかし思いつく限りの言動を振り返ってみても、彼女がここで死ぬメリットがポートマフィアにはない。むしろ異能力者と云う貴重な戦力を失い、デメリットであるはずなのだ。

 ならば、自分がここで異能を発動すると同時に、反撃の機会を伺っているのか。いづれにせよ、彼女は大人しく死ぬような人物ではない。そうすると、自分は防御、マーガレット・ミッチェルの風化能力で仕留めるのが、どの場合でも対応が可能だろう。


 「ミ──」


 ミッチェル。その言葉が最後まで口から出ることはなかった。


 「あはは……」


 桜坂の口から、乾いた笑いがこぼれる。

 振り返ったホーソーンが見たものは、ミッチェルを、仲間を貫く黒い何か。鮮血は溢れかえり、言葉を発する者は誰一人として存在しない。そして最後に、その黒い何かはホーソーンの胸を貫いた。


 「潮風が──胸に毒だ」


 そこから、一人の男が現れる。男は桜坂の前に立ち、組合一同を見据える。その瞳はただひたすらに冷酷であり、男にとってその行為はただ単に任務の一環である。

 その時、ホーソーンは初めて気づいた。桜坂の不自然な行動は、ポートマフィアの戦闘員が到着するまでの時間稼ぎであったことに。

 来るはずがない。そう思っていた桜坂は男の名前を呟いた。


 「手早く済ませよう」


 芥川龍之介、と。
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