指差しのよすが

ハーミットの4号室

23

 男子部と女子部の塀に築いた不格好なステージの上から、一人の少女が飛び降りた。

 その無謀とも呼べる勇姿をはるか遠く、男子部校舎の三階から眺めた時、七種茨は呟いた。なるほど、と。

自死
「処刑による退場と、自死――いえ、事故によるものとでは大きく変わりますからね。主に後世への語り継がれ方が」


 歴史上の偉人の逸話は、本人ではなくその周囲の者が記すものだ。その時、誰の目に、どう映ったかによって、暴君は名君に、名君は暴君だと後の世に語られる。ローマ帝国の歴史を綴る元老院が皇帝ネロと対立していたがために、ネロは史上最悪の暴君として名を残すことになったという説もあるほどだ。


「あのまま彼女が何もしなければ、虫のように潰されて終わりだったでしょうが。彼女は次が自分の番だと悟り、一足早く対策をした。結果的に、彼女は処刑台に乗ることなくアイドルの名を手放せたのです」


 その点で、来栖茜は自身のアイドル像に少しの泥も被せなかった。少なくとも表向きに見せる面は。扱いきれない不穏分子は積極的に切り捨てる方針のコズプロ上層部から、見事自身を守りきったと言える。事務所に見捨てられた彼女を、彼女に見捨てられたファンが見る目がなおも暖かいのがその証だ。


(最善策とは断言できないが、決して悪手ではない。少なくとも俺が彼女の立場でもそうした。――ああ、まったく。これもそういうことなんでしょうね)


 表情には出さず、茨は胸の内に広がる靄を感じ取る。つい数ヶ月前に茨も初めて知った事実は、至るところでそれが現実であると実感させた。忌々しい気持ちはあるが、それを唾と一緒に吐き捨てる気も起きない。こういう時の感情をどう形容すればよいのか茨自身もまだ分かっていなかった。

 たった数秒ではあったが茨が口を閉ざした隙に、向かいのソファに腰かけた日和はやれやれと嘆息した。


「そこまで彼女が追い込まれていたってことだね。正直、あの彼女がそうせざるを得ない状況を作り出したコズミックプロダクションへの印象はあまり良くないのだけど」
「殿下がそう思われるのは無理もありません。ですがご安心を。彼女の処遇を決めた上層部の人間は全員把握済みですし、そういう輩とEdenがなるべく接触しないよう自分の方で極力調整する予定です。Edenは全面的に自分がプロデュースをするという方針で決定済みですからね。この七種、万が一の場合でも来栖氏のような悲劇は防いでみせますとも!」


 敬礼、と茨が右手を挙手すると、日和は本当に分かっているのかと再度ため息をついた。彼の隣に座る凪砂は一連の日和と茨の会話には全く興味がないようで、渡された資料を黙々と目で追っている。

 コズミックプロダクションについてあれこれと語る二人だったが、彼らが今現在いる場所はまさにコズミックプロダクションの会議室のひとつだった。Eve、Adam、そして二つのユニットを合わせたEdenを結成するにあたり、それぞれのユニットリーダーの署名が必要な手続きがあるからと茨が日和と凪砂を呼び出したのだ。来栖茜に関わる話はその合間のほんの世間話に過ぎない。


「本当に、きみは茜ちゃんの件に関わっていないんだね? Edenを結成するにあたって一応きみに従ってあげてはいるけれど、もしもきみが彼女を追い込んだ側に少しでも加担していたとしたら、ユニットの話は即座に白紙に戻すね」
「とんでもない。コズプロ所属という以上関わりが皆無とは言えませんが、少なくとも来栖氏の事故とは無縁です」


 “事故”とは、無縁。真実も嘘も言わないのらりくらりとした態度に日和は苛立ちが募っていた。

 蛇のような男だ。夢ノ咲が革命を迎え、日和と凪砂がfineを脱退した直後のタイミングを見計らって声をかけてきたこの男が、同じ事務所で特異な立ち位置にいる茜を黙って放置していたとは日和も思っていない。

 それでも日和が茨の勧誘に乗ったのは、彼が嘘をつかない人物だとある程度の信用を寄せたからだ。より正確には、嘘自体は平然とつくものの嘘を嘘として述べる時はとても分かりやすい。本心と真実は言わないが、代わりに口に出したことは必ず守り抜く。なので茨が茜の件において上層部と関わっていないことはおそらく事実なのだろう。その裏側に隠した何かが、日和や凪砂にとって不都合なものなのか、あるいは茨個人に関わるものなのかは知らないが。


「ともかく、ややこしい書類へのサインはこれでもうおしまいだね! 終わったならもう行こうね、凪砂くん! 帰りに美味しいパンケーキでも食べようね!」
「構いませんが、摂取カロリーはこちらが提示した限度を守るようお願いしますね。健康管理もプロデュースの一環なので」
「もう! そんなこと言われなくても分かってるね!」


 日和はそう言って頬を膨らませると、隣の凪砂の手を握って立ち上がった。特に抵抗する気のない凪砂は眺めていた書類を手放すと、彼に手を引かれて会議室の扉まで歩む。

 だがその部屋を出る直前、凪砂は茨を振り返った。


「さっきの……茜さんの話。茨と日和くんの話が本当なら、彼女が秘密裏にステージを建設した時点で学園側は気づけたし、彼女のライブを途中で中断させることもできたはずだけど」
「…………」
「それを見逃したのは、茨?」


 その真偽は凪砂にとってはどちらでもよかった。ただ論理的に巡らせた思考が、パズルのピースを見つけたようにそこに辿り着いてしまったから口にしただけの、ただの答え合わせだった。

 茨は相変わらず微笑んだまま、


「さて、どうでしょうね?」


 と白々しく述べた。









 やはりあの二人を誤魔化すのは骨が折れる。茨は静かになった会議室でタブレット端末を立ち上げた。部屋の使用時間はあと三十分ほど余裕を残しているので、急いでここを出る必要もない。


(来栖氏の件に関わった上層部と、マネージャーはリスト済み。マネージャーの彼は本当に何も知らされていなかったようで些か不憫ではありますが、担当アイドルの危機に最後まで気づけなかった程度の手腕で下手に関わってもらってはこちらが困りますからね。Edenに近づく不穏分子は積極的に排除しますよ。元々玲明……コズミックプロダクションはそういうやり方ですし)


 画面をスワイプし、上層部や関係スタッフの顔写真や経歴の載ったデータをそれぞれフォルダに振り分けていく。安全な方と、危険な方へ。玲明学園の卒業生で来栖茜のマネージャーだったという彼は、もちろん後者へ入れる。

 続々と現れるスタッフのデータを仕分け終えた後、最後に表情されたのは件の彼女だった。


(来栖茜――四月二日に児童養護施設に保護され、そこで十五年育つ。中学の頃に曾祖父の遺産相続権を全て放棄し、十六歳で玲明学園に入学。現在は休学中だが今後の退学はほぼ確定……)


 四月二日に保護されたのなら、彼女の本当の誕生日はそれ以前だ。手続き上の関係で茨と彼女は同学年ということになっているが、本来は彼女の方が一つ年上であり、日和や凪砂と同年齢となる。

 そして最も目を引くのは、中学の頃にあった遺産相続権の放棄だ。


(あなたは、そうしたんですね)


 彼女の選択は正しかったと茨は思う。あの遺産は単純な金額に目を奪われがちだが、その裏に膨大な負の遺産が残されていた。彼女とは違い、それらを丸ごと相続して人生を狂わせた茨が言うのだから間違いない。

 茨が灰色の青春の末に実業家としての立場を築くことができたのは、彼自身の努力と運の風向きがあったからだ。もう一度人生をやり直して同じことをしたとして、同じ結果になっていたかは分からない。それでも茨は二つ返事でリトライするだろうが、それは彼が七種茨であるからだ。常人が簡単に為せることではないと理解している。


(あ〜〜〜〜クソ、本っ当に世の中は何が起こるか分かったもんじゃありませんね! お陰で余計に気を遣いましたよ!)


 コズプロ上層部が茜をターゲットにしていることに気づいたのは随分前だった。

 担当もしていないアイドルの新曲の曲名を変えるなど、いくら茨が事務所の経営側に立つ人間だとしても難しいことだ。それを何とか説得して、ねじ込んで、思惑が露呈しないようにかなり遠回りな意味合いにして。そうまでしたにも関わらず、当の本人がその意味に気づいていなかった時は怒りで血管が切れそうだった。


(普通、自分の新曲のタイトルが変更されたら少しは調べたりしないものですかねぇ!? 無関心ってそんなことありますか!?)


 だが茜は恐ろしいほどに興味がなかった。自分が何を歌っているのかなどまるで気にも留めず、求められるがままにアイドルとして振舞った。その時点で、茨は来栖茜が自分に御せるタイプの人間なのか一抹の不安を感じていた。

 極めつけは風早巽とHiMERUの革命当日だ。当時、茜は誇張なしに女性アイドルの頂点に立っていた。その彼女が万が一あの革命の場に姿を現そうものなら、事態は女性アイドル界を巻き込んださらに複雑なものへと変容していた。その糸を裏で多少引いていたのが茨とはいえ、糸同士が絡まり合うのは非常に困る。なので地下墳墓との出入り口には常に目を光らせ、彼女が第三講堂へやってこないよう注意を払っていたのに、だ。

 彼女はやってきた。茨自身が巽とHiMERUの集会に気づくのが一足遅れたということもあるかもしれないが。彼女の出身施設は何か特別な組織の教育機関、それこそ茨のいた軍事施設のような場所であったのではと疑うほどの驚異的な野生の勘で、茨の手配した監視をするりと抜けてきた。万が一のためにと以前鞄に仕込んだまま放置していたスタンガンがまさか茜で役に立つとは思ってもいなかった。


(あの時確信しました。自分には彼女を制御しきれません)


 巽のように宗教的思想が根付いているからではない。彼女は、何をしでかすか分からない。

 人をコントロールする一番の近道は、その人物が目標としているものをいち早く予測することだ。例えば風早巽であれば、全員が平等に生きる社会主義という最終目標を資本主義に飲み込ませ、彼自身をドロップアウトさせる方向でそれを阻止した。

 けれど、来栖茜はそれが分からなかったのだ。

 売名を目標としていたかと思えば突然興味をなくし、金儲けを目指したかと思えばいきなり湯水のように使い始め、承認欲求のためかと思えば平気でファンを利用した。彼女の目指すものが、調べれば調べるほど二転三転する。まるでチェスの盤上で将棋の駒を並べ、麻雀の役を揃えるように。

 彼女は一体どうしてアイドルに執着していたのか。何を信奉して険しい道のりを歩いていたのか。あの玲明の一体どこに、彼女がそこまでしがみつくようなものが落ちていたのか。結局、茨は彼女が引退する最後までそれを見つけることができなかった。


(まあ、過ぎたことを考えていても仕方ありませんけどね。転校先は殿下が夢ノ咲を勧めたようですし、自分もそれには同意です。何はともあれ、どう転んでもこちらの不利益になるような結果にはならないでしょう)


 まさに落としどころというやつだ。来栖茜の受け入れ先としてこれ以上最適な場所はない。茨も、もう茜の次の動きにピリピリと警戒する必要もないだろう。肩の荷が下りた心地だった。


「……………………」


 来栖茜。稀代の天才女性アイドルと呼ばれる少女。

 茨が彼女を最初に調べたのは、彼女がSNSを中心にブレイクしてまもなくの頃だった。


「…………さて、これをどう処理したものか……」


 茨はタブレット端末を操作し、茜の詳細が書かれたデータを閉じる。その次に、プライベート用としてロックまでかけたフォルダを開き、その中に入っていた一つのファイルを表示させた。

 何度見返しても、その文章は一言一句変わることはない。そしてこれを、自分以外の誰かに見せたことも一度もない。世界中で茨だけが知っている、茨と茜の秘密。

 データをスクロールした最後の欄に、それはたった二行で記されていた。


『DNA鑑定結果報告書』
『異母姉と思われる来栖茜さんは七種茨さんの生物学的なきょうだいとして排除されません』



指差しのよすが 前編 終
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