サンクチュアリは流転より
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この一年で業界ががらりと変わった、と関係者は口を揃えて語る。作年末のSSにてコズミックプロダクション上層部が不祥事を起こしたことで、関与した上層部役員は一部を除き一斉解任。それから続けざまに、四つの芸能事務所が連なるアイドルたちの共同活動拠点“アンサンブルスクエア”、通称ESが夢ノ咲の天祥院英智主導で設立された。まさにアイドル業界の中心地ともなったそこには、設立から数ヶ月と経たずして人も物も、金すらも昼夜問わずひっきりなしに出入りしている。全国各地に散在していたアイドルを志す者は、まずES所属を目指すのがスタンダードな在り方となりつつあった。
漣ジュンもまた、その関係者のうちの一人だった。ただしジュンはその中心人物たるアイドルの一人なので、経済効果だとか書面上の難しいことはよく分かっていない。分かっているのは、玲明学園が特待生による特権制度から緩やかに改善されていることと、このESでEve、そしてEdenとして歌っていられること。タコ部屋で擦れていた頃の自分に言って聞かせても「そんな都合いい話があるか」と一蹴されそうな、まさにジュンにしてみれば夢のような世界だった。
その夢のような世界で、現在ジュンは犬の散歩に勤しんでいる。
(GODDAMN! メアリを泊まりで連れてくのはいいけど、散歩場所くらい把握しておいてくださいよねぇ!)
今回の収録は日を跨ぐもののESからそれほど離れているわけではないため、本来なら事務所の車を手配するなりで帰れたはずなのだが、そこに高頻度で余計な一石を投じるのがジュンの相方、巴日和という男だ。収録先のすぐ近くにペットと一緒に泊まれるホテルがあって前から気になっていたなどと一方的にまくし立て、収録現場の先方にも犬好きの人間がいた事で快諾、あれよあれよと言う間にジュンと日和の愛犬ブラッディメアリも収録に同行することとなった。
そこまではまだ良い。日和と同じくらいジュンもメアリを溺愛している自覚はあるので、愛犬にたまは寮の外で美味しいものを食べて、のびのびとさせてやれるのならむしろ歓迎だった。
ただ、日和は日課の散歩をどうするか、全く考えていなかったのだ。
よって現在、ジュンは左手にメアリのリード、右手にスマホを持って街路樹の並ぶ市街地を歩いている。時刻は夕刻を過ぎた辺りで、すれ違う人間は学生か夕飯の食材を買いに行く主婦が圧倒的に多い。稀にメアリを見て目を輝かせる視線を感じながら、ジュンはマップアプリで経路を調べていた。
(う〜、なんか人通りの多いところに出ちまったみたいですね……メアリはまだ慣れてないから、できれば人の少ないところに行きたいんですけど……)
ジュンにとっても土地勘のない場所だ。道自体はアプリで調べればなんとかなるが、そこがどんな雰囲気の場所か、どれだけ人が通っているかなどは実際に行ってみなければわからない。
とりあえずこの通りから外れようと、ジュンは舗装されている細い道を曲がる。一瞬通り過ぎようとしたメアリだったが、ジュンにリードで案内されると黙ってそれに従った。温室ででろでろに甘やかされたお姫様だったが、飼い主の意向に大人しく従う賢さも持った犬だった。
すれ違う人も減った道を暫く進んだその時、ジュンの耳に聞き覚えのある音楽が届いた。顔を向けると、道の脇にひっそりと中古のCDショップが佇んでいる。
ジュンは思わず店の前で足を止めた。店先の画質の悪いモニターには昨年末のSSでのEdenの映像が流れている。その中には当然ジュンも映っており、無数のライトを浴びた自分が仲間と共に歌っていた。
その下のワゴンの中には、値下げされたアーティストたちのCDが所狭しと詰められている。
ジュンがこの一年、忘れたくても忘れられなかった名前がその中に混ざっていた。
「………………………………茜」
来栖茜は誇張なしに、かつて女性アイドルの頂点に立っていたアイドルだ。今でも、ジュンが愛してやまないアイドルだ。
だけど世間は、ジュンが思っているよりもアイドルに無関心らしい。女性アイドルの夜明けとも呼ばれたアイドルも、一歩業界の外に出てみれば事故で引退したアイドル程度の印象しかない。ジュンが天上のさらに上にいると思っていた彼女はこうしてワゴンに押し込められ、何者でもなかった自分がどういう運命かショーケースに飾られている。不要の烙印を押されていた自分がここまで来られたことに誇らしさを覚える日もあるが、彼女のことを思うと誇らしさを感じてしまう自分に罪悪感も感じてしまう。
(茜。オレ、アイドルになれたんですよ。あんたと同じ、アイドルに)
EdenはESビッグ3に数えられるアイドルユニットだ。単純な金の動きのみにおいては現在コズプロ内で最も勢いがあると言える。まるで、全盛期の茜のように。
ワゴンの中の、値下げのシールがべたべたに貼り付けられた茜のCDを手に取ろうとしたが、パッケージに触れることなく手を下ろしてしまった。なんとなく、自分のぐずぐずになった傷口に触ってしまうような気がして。行きましょうかメアリ、とリードを引いて再び歩き出す。
その時、メアリが何かに反応した。きっとすれ違う人を察知したのだろうと思って、ジュンはメアリの見つめる方向に目を向ける。
(あの制服、たしか夢ノ咲っすよねぇ? 女子制服はあんまり見たことないんすけど、一般科は共学なんでしたっけ)
ジュンとメアリが進もうとしている方向から、女子高生三人グループが並んでやってきた。下校途中なのか、楽しそうな声がジュンの元まで届いてくる。
ほぼ男子校と化した玲明にいるジュンにとって、女子高生という生き物は未知の存在だ。学校でキャッキャウフフ、下校中もケラケラ。常に複数人で行動し、蝶と花と可愛いものを愛でる集団。なんとも偏見に満ちた考えではあるが、男子校出身の男子が抱く女子のイメージは個人差はあれど大体はそんな感じだ。
幼少期から徹底したアイドル教育を叩き込まれた影響で異性との関わりが希薄なジュンは、そうした女子高生に若干の抵抗があった。もちろん自分のファンはそうした若い女性が中心なので苦手というわけでもないのだが、いざ目の前にすると自分と違う世界の住人であると実感してしまう。あれはどちらかと言うと自分ではなく日和の領分だ。
片手にクレープを持ち、パーソナルスペースを無視して団子のようにくっついて歩く女子高生三人組に道を譲ろうと、ジュンはメアリを連れて端に避けようとする。
たが驚いたことに、メアリはここに来てジュンの意志に背いたのだ。
「キャン!」
三人が通りがかった途端、突然メアリが吠え出した。あまりに珍しい出来事にジュンは目を丸くする。慣れない道でストレスが溜まっていたとはいえ、メアリは滅多に人に吠えることはしなかった。だがどういうわけか、この女子高生たちには反応したのだ。
彼女らは小型犬の可愛らしい吠えに一瞬驚いた様子だったが、メアリを認識するとすぐに「犬!? かわいい〜!」と黄色い声を上げた。相手が小型犬だけあって、特に気分を害した様子はないようだ。
しかしそのうちの一人だけが、小さく悲鳴をあげた。
「ひっ、犬……!?」
彼女はすっと友人の背中に隠れてしまったため、ジュンが顔を見ることはなかった。それよりも先に、メアリと彼女らを引き離す方が先だ。ジュンはすかさずメアリを抱き寄せ、興奮するメアリを落ち着かせる。
「メアリ〜? どうしたんです……? すみません。普段は人に吠えたりするような子じゃないんですけど」
「いやいや、別に大丈夫ですよ〜! この子が過剰に犬怖がってるだけなんで気にしないでください! ウチら犬めっちゃ好きだし」
「ほら、ちっちゃい犬だし怖いことないって」
「いや、ちっちゃかろうがでっかかろうが犬は犬じゃん……?」
彼女らのうちの一人が隠れた少女の肩をぽんぽんと叩くと、彼女はおずおずと顔を覗かせる。
「大体、怖がってるわけ、じゃ……」
彼女の声は尻すぼみに落ちていき、やがて途切れた。ぺしゃんという音が聞こえたかと思えば、彼女の手から食べかけのクレープが滑り落ち、見るも無惨な姿でアスファルトの上にひっくり返っている。
異様な空気を感じ取った友人は、怪訝な顔で彼女の名を呼んだ。
「茜? どしたん?」
「…………………………茜?」
メアリを撫で続けていたジュンは、ようやくそこで彼女に目を向けた。
「――――――――」
数秒、息ができなかった。
ジュンの人生において、彼の根幹部分に巻き付く人間は三人いる。
佐賀美陣。
巴日和。
そして、来栖茜。
彼女のことを忘れた日は一日だってない。ジュンの憧れで、初恋で、最推しだった。
彼女が引退すると分かって、絶版になる前に彼女に関する雑誌は手当たり次第に購入した。亡くなった人は声から忘れていくと聞いてからは、忘れるなと言い聞かせるように何度も彼女の曲を再生した。茜は死んだわけではないけれど、誰からも忘れられて、そこにいた痕跡さえも消えてしまえば同じことだ。
だから、ジュンは間違えるはずがなかった。
たとえ彼女が華やかな衣装を脱ぎ捨て、夢ノ咲の制服を着ていたとしても。
「茜…………、……っ!」
ジュンが震える声で呼んだ名を否定はされなかった。彼女もまた、愛嬌のある大きな瞳で呆然とジュンを見つめ、二人の視線がぶつかり合う。
だがジュンが再び口を開くよりも早く、茜はくるりと踵を返した。
「…………私、バイトの時間だからもう行く! じゃ!」
「え、ちょっと、茜!?」
友人が呼び止めるのも聞かず、茜は来た方向の路地を颯爽と駆けていく。
ジュンには一体何が起きたのか分からなかった。なぜ、彼女が夢ノ咲の制服を着ているのか。なぜ、自分の顔を見た途端逃げるように去ってしまったのか。待ってと伸ばした手はとうに届かず、困惑する彼女の友人らと共にジュンも取り残される。
「待っ…………、すみません!」
ジュンは友人らに軽く会釈すると、メアリを抱えたまま茜の背中を追った。彼女は振り返りもせずにただひたすらに道を走っていく。すれ違う通行人には奇妙な目で見られもしたが、その度に先を走る茜を見て「なんだ痴話喧嘩か」と見事なまでにスルーされていた。
「待っ、待ってください! 茜! 聞こえてるんでしょう!? なんで逃げるんすかぁ……!? てか、逃げ足速ぇ……!」
「…………」
彼女は何も答えない。二年前と比べてかなりのびた髪と短く折ったスカートを揺らし、スクールバッグの持ち手を肩からずり下げながら駆けていく。
しかし、足の長さと体力にはジュンの方に利がある。多少スタートダッシュは遅れたが徐々に二人の距離は縮まっており、彼女に追いつくまでにそう時間はかからないだろう。昔から体力と運動神経には自信があった。
「茜! 待って…………――痛って!」
「!」
彼女ばかりを見て足元に注意を払っていなかったのが災いしたのだろう。だん、と下ろした足が大きめの石を踏んずけてしまい、鈍い痛みが足裏を襲った。それに引っ張られるようにバランスを崩しジュンの体がたたらを踏む。一度地面に手をついてしまえばクラウチングスタートの要領で速度を落とすことなく再出発できたものだが、今のジュンの腕の中にはメアリがいる。万が一メアリを潰すようなことがあってはならないと咄嗟の判断で手をつくことは諦め、なんとか脚の力だけで踏ん張った。
そうして顔を上げた時、茜は一瞬だけジュンを振り返った。
(……あんた、なんでそんな顔で逃げてるんですか)
人が人から逃げる時とは、一体どういう状況だろう。よく映画やドラマの中で犯人が警察から逃げているシーンがある。他にも悪さをした子供が叱る親から逃げたり、あるいは一般人が加害性のある他者から逃げていたり。両者の関係性は千差万別だが、共通しているのは二人の間に心理的な溝があることだろう。だから逃げている側は恐怖や敵意など、自身を追う側に対して強烈な負の感情を抱いていることが多い。
茜は、そうではなかった。
泣きたいほど多幸感に満ちていて、けれど悲壮感に胸を押し潰されているような。そして、どこか助けを求めているような。
これが敵意でもあればジュンも諦めがついた。自分は今まで何度もこの再会を夢見ていたが、彼女はそうではなかったのだと。好意的に思っていたのは自分の独りよがりだったのだと。彼女にとって自分とは顔も見たくない相手なのだと無理やり納得して、帰路につくことができた。
だけどジュンは、彼女のあの顔を知っていた。
かつて地下墳墓の向こう側に消えていった日の。彼女がステージから落ちる前日、ジュンが手を掴んでやれなかったあの時の顔だ。
(んな顔されて見ないフリなんて、できるわけないでしょう!)
ジュンは腕の中のメアリに気を遣いつつ、できる限り速度を落とさないように体勢を整える。そうしているうちに茜はすでに前を向いて走っており、幾分か差をつけられてしまっていた。が、繰り返すがジュンにはアイドル活動のためにトレーニングを重ねた体力がある。このまま追いかけっこを続けたところでいつかは追い付かれると茜も分かっているはずだ。
すると、茜は走りながらスクールバッグのポケットを弄り、すっと何かを取り出した。
(あ、やべ)
手に持っていたのはカードケースだった。透明部分から見える内部にはジュンも見覚えのあるICカードが入っており、彼女の視線の先には一台の路線バスが停まっていた。
「ちょ、待っ、」
ジュンの静止など当然のように聞かず、茜はさっとバスの中に駆け込む。この瞬間、ジュンの敗北は決まったも同然だった。距離的にジュンも全力疾走すればバスに乗れないことはない。だが生憎と今のジュンは片手にメアリを抱えている。ペットを公共交通機関に乗せるにはキャリーバッグに入れなければならないが、もちろん今のジュンにそんな備えはなかった。まして、メアリをこの場に置き去りにするという選択肢もない。
乗車権のないジュンを待たずして、バスは無慈悲にも扉を閉め走り出す。一瞬、茜の髪が見えた気がしたが、窓に背を向けていたせいで表情までは分からなかった。小さくなるバスの後ろ姿を見ながらジュンは緩やかに走る速度を落とし、為す術もなく立ち止まる。
「クソッ……! 逃げられた……!」
まるで映画の悪役のような台詞を衝動のままに吐いてしまったが、いくらバスを睨んだところで距離が縮まることはない。いくら鍛えていると豪語するジュンでも、さすがに走る車に追いつけるほど人間離れはしていなかった。
ぜえぜえとうるさい呼吸を整えながら、ジュンは脳をフル回転させて考える。
少なくとも今、茜は夢ノ咲に通っている。そして聞いた話では夢ノ咲は玲明と違い寮制ではなかったはずだ。おそらく下校途中であったことから、一応この辺りは彼女の生活圏ということになる。まるでストーカーのような推察だがジュンは大真面目だった。と言っても頭脳労働は専門外だと自身でも語っているので、ジュンが想像できるのはせいぜいここまでの情報だったが。
茜には聞きたいことが山のようにある。彼女に面と向かって拒否されない限り、なんとしてでも一度会って話をしたかった。
「茨のやつ、こういうの得意だったりしませんかね……」
「キャン!」
「? どうしたんすか、メアリ。ああ、ずっと揺らしちまって苦しかったですよねぇ。今降ろします、よ……」
突如腕の中で鳴いたメアリを地面に降ろそうと視線を下に向けた時、ジュンは足元に落ちているものに気づいた。ゆっくりとしゃがみ、メアリを解放すると共にそれを拾い上げる。
「なんだこれ。音楽プレーヤー……?」
ジュンが子供の頃よりももっと前に発売されていたような、随分と古いタイプの小型機種だった。触れた拍子にボタンを押してしまったのか画面が表示されたが、画質が荒いなんてものではない。なんとかギリギリ文字は判別できるものの、液晶に入ったヒビも相まって画数の多い漢字は読むのが困難なほどだ。
遠くから見ていたが、このバス停であのバスに乗ったのは茜ただ一人だった。状況を踏まえるに、この音楽プレーヤーは彼女が落としたものと見て間違いなさそうだ。
探るようで悪い気はするが、電源を入れてしまったついでにジュンは適当に他のボタンを押してみることにした。昔の機器なので音楽再生以外の機能はついておらず、どこまで調べても彼女が普段何を聞いていたのかということしか分からない。
だがジュンは一番上の再生リストを開いた時、思わず息を詰まらせた。
「……これって」
それは確かに、Edenの曲だった。Edenのデビュー曲から最新曲まで全て揃っており、さらにスクロールすると今度はEveとして出した曲もデータとして入っている。ジュンがアイドルとして歌ったことごとくがプレーヤーに記録されていた。
これは一体どういうことだろう。ジュンはぐるぐると視界が回りかけたが、遠くから駆けてくる足音で思考は現実に引き戻された。
「あ、やっと追いついた〜! はあ、はあ、茜もお兄さんも足速すぎてヤバ……!」
「足痛った〜! も〜茜なんなの〜!? 体育の時でもあんなに走ったことないじゃん!」
ジュンがそちらに視線を向けると、先ほどまで茜と共に歩いていた夢ノ咲の生徒が息も絶え絶えの状態で走ってきていた。クレープを持ったまま通行人を避けて走るのはさぞ神経を使ったことだろう。ジュンとメアリの元までやってきた頃には今にも倒れそうな疲弊っぷりだった。
「あー……っと、邪魔しちまってすみませんでした……! 知り合いに似てる人に数年ぶりに会ったもんで、つい我を忘れてしまったというか……」
「あ、そのことは全然気にしてないんで! びっくりはしたけど、茜、ウチらといても急に帰っちゃうこととかたまにあるし!」
「ええと……二人は茜のご友人、ってことでいいんですよねぇ? そもそも、その、茜の苗字って来栖で合ってます……?」
「え、ここまでしておいて他人の空似の可能性気にする? そーそ、ウチらの友達の来栖茜ちゃ〜ん。茜が転校してきたのが去年の春だからぁ、友達歴もうすぐ一周年くらい?」
個人情報という概念はあまりなさそうな様子の二人が教えてくれた転校時期からしても、彼女がジュンの知るあの来栖茜であることは確定してよさそうだ。タコ部屋で泣いていた茜と女子高生のテンプレートのような彼女たちが友人というのはジュンの中で少々結びつきづらかったが、本人がそう言うのならそうなのだろう。
「ってか、お兄さんと茜ってどういう関係? 元カレ?」
「もっ……いや、そういうんじゃないです。ただの昔の知り合いっすよ」
「昔の知り合いであんなに逃げる、普通〜!? なんで逃げられたの!? 茜になんかした? された?」
「それはオレが聞きたいです…………」
男女関係という年頃の少女からすれば最も興味を惹かれる気配を察知し、二人はジュンを逃がすまいと隙のない話術を畳みかける。だがそれは、今ジュンが最も疑問を感じている事柄だった。
なぜ茜は、自分の顔を見た瞬間逃げてしまったのか。誰かに聞いて答えてもらえるなら地面に頭を擦り付けてでも聞きたい。もしもジュンが気づかないうちに何かをしてしまい嫌われたのだとしても、そんな相手の曲をいちいち音楽プレーヤーに揃えるだろうか。いくら考えたところでジュン一人では答えは迷宮入りしそうだ。
ジュンがうんうんと悩んでいるうちに、茜の友人の一人が思い出したようにあっと声を上げた。
「お兄さん、もしかして“ジュン”!?」
「へ?」
突然名前を呼び捨てにされたものだから、ついジュンの喉から素っ頓狂な声が出た。アイドルをしているのだから一方的に顔を覚えられることくらいあるものだが、あまりにも唐突だったのだ。
ジュンが呆気に取られているうちに、もう一人の茜の友人は「え、“あいら”じゃなくて?」と訝しげに語る。
「あれ、“あいら”だった? あとなんて言ってたっけ? “ひよ”だっけ“ひめ”だっけ」
「ヤバ、適当に聞き流してたから忘れちゃった。で、お兄さんって“ジュン”? ”あいら”? “ひよひめ”?」
「え、えっと、ジュンです。漣ジュンって言います」
ジュンが押され気味に名乗ると、二人は「ほらやっぱり〜!」と顔を見合わせて黄色い悲鳴を上げた。何が起こっているのかジュンにはさっぱり分からなかったが、どうやらアイドルである身を暴露してもそれ自体に興味を抱かれないことから、茜の友人はどちらもアイドルに関心が薄いのかもしれない。ESにいると忘れがちだが、案外アイドルの世間での認知度は低いものだ。
「茜、前言ってたんですよ! 前の学校で“ジュン”って名前の友達がいたけど、最後に挨拶できなかったのが残念って!」
「……それ、本当ですか?」
恐る恐るジュンが尋ねると、彼女らは同時に首を縦に振る。
その時、ジュンは自身の胸がじんわりとあたたまっていくのを感じた。
茜は自分のことを友達だと、そう言っていたらしい。つまりそれは、彼女にはそう思われていたというわけで。なんともむず痒くて、つい口元が綻びそうになってしまう。初対面の人間の前でニヤついては不審者だろうと強靭な理性をもって必死に隠したが、これが事務所であったら抑えきれずに同じユニットの同輩に気持ち悪いと引かれていただろう。
それくらい嬉しかったのだ。茜と友達になれなかったことをずっと悔やんでいたから。そうではなかったのだと知れて、胸のつかえが取れた気分だった。
一方、一人で感慨に浸るジュンをよそに茜の友人らはぺらぺらと会話を続けていた。
「で、茜どこ行くって言ってたっけ」
「バイトじゃね」
「バイトォ? 今日茜のバイトないから遊びに来たのに?」
「じゃあ帰ったんだよきっと。他に茜が行くとこなんてないじゃん」
「……茜、この辺りに住んでるんですか?」
ついジュンの口をついて出てしまった疑問に彼女らは敏感に反応した。朗らかな空気にピリッと静電気を流されたようで、ジュンは何かまずいことを聞いてしまったのかと己の発言を振り返る。
(……考えてみりゃ、本人の友人に家の場所聞くのっていよいよストーカーっぽさあるかもしれねぇ…………)
本人と親しい振りをして周辺人物から情報を集めるのはストーカーの常套手段だ。前の学校の知り合いという事実も、その視点から見るとなかなかにきな臭い。
慌てて弁解しようとするジュンだったが、彼女らはそんなジュンの様子を気にしてか先に口を開いた。
「あっ、お兄さんのこと疑ってるわけじゃないですよ! まあ似たようなことが前もあったのはそうなんだけど、その、茜の帰る場所っていうのが、ねぇ……?」
「うん……お兄さんにはちょっと言いづらいんだけど……」
「?」
ジュンが小首を傾げていると、彼女らは困ったように顔を見合わせた。それを告げる役目を互いに擦り付け合っているような雰囲気だった。
やがて痺れを切らした片方が、仕方ないからとため息混じりに語る。
「なんていうか、茜の今カレの家なんだけど…………」