03.

お屋敷に住まわせてもらうことになった日。
いつもより早く、治崎さんの車で帰路に就く。

「毎日毎日、すみません・・・」
「いい。好きでやってる」

しれっと王子様のようなスマートさで、家に向かう治崎さん。

「お茶、でも・・・いかがですか。」
「・・・ふ、嬉しいが、いいのか?夜に男を家に上げて。」

家の前で車を降りて、申し訳なさから申し出てみた。
治崎さんは笑ってくれたけど、本当は私がもう少し一緒にいたかっただけだ。

「・・・拒んだら、止めてくれるんですよね。」
「当たり前だ。」
「じゃあ、どうぞ・・・」
「・・・わかった、お邪魔するよ」

治崎さんが車を停めてくる間に、お茶の支度をする。
ここ数日で、一気に治崎さんとの距離が縮まっていく。
私の心も、だんだんと溶かされていっているようなーー
もっと一緒にいたいなんて、
傲慢にもほどがあるのに。


「邪魔するぞ」
「はい、どうぞ」

朝も来てるのに、律儀なところがこの人らしい。
冷蔵庫に少しお菓子があったかも。
お茶請けを用意しながら、朝と同じ場所に座る治崎さんを見る。

(なんか・・・だめだな、流されてる気がする。)

(はっきり言わなくちゃ。今は誰ともお付き合いできないって)

少なくとも、過去にけりがつくまで。
胸に芽生えかけている、治崎さんへの思いにふたをしなきゃ。

お茶とお菓子を運んで、治崎さんの正面に座る。

「どうぞ・・・送ってくださって、ありがとうございます。」
「畏まるなよ、急に」
「いえ、普通のことですから。」

しばらくお茶をすすってから、どう切り出そうか迷っている時。

「シズク、お前は俺が嫌いか?」
「!」

げほげほと咽こんでしまうくらいの、突拍子もない質問。
この人、人にどう思われてるかとか気にするタイプ?!

「・・・どう、と・・・仰いますと」
「好きか?」
「ぐっっ、また、直球な・・・」
「・・・嫌い、か?」
「またその顔!」

本当にずるい。
私は湯飲みを両手で包んで、どう言ったらいいかわからずにもごもごと言葉を濁す。

「・・・嫌い、な人と・・・キスなんて、しません・・・」

見るからに、明らかに、治崎さんの顔が変わっていく。

「だけど」

「今は、その・・・付き合う、とかは」

なんとか、当初の目的に結び付けた。

「私、清算してないことがあって・・・それが、原因です。色々。」
「・・・ああ」
「だから・・・その、お気持ちは・・・嬉しいんですけど、」

詳しくはまだ言えなくて、伏せちゃったけど。
治崎さんは静かに聞いていてくれた。

「その、今は・・・恋愛する気持ちには、なれません。」
「・・・わかった。」

待っててほしいわけじゃない。
そんな都合のいい事、言えない。
それでも、治崎さんの優しい笑顔が痛くて。
触れてくる手が、刻み込まれていて。

自分勝手に溢れそうになる涙を誤魔化すために、私は立ち上がった。

「そ、そうだ!今日払っておかないといけないものがあって!」
「・・・あ、おい」
「ちょっとコンビニ行ってくるんで、治崎さんはここで待っててください!」

できるだけ平気な声を出したつもり。
それでも治崎さんはついてくると言うだろう。
返事をされる前に、留守番お願いしますね、と言い捨てて家を出た。


今にも零れそうな涙を、見せるわけにはいかない。
これは自衛の涙。
自分のための、汚い涙だ。
見せたくない。
見られたくない。

財布だけを持って飛び出した夜の空気が、頭も体も冷やしてくれる。



(あーあ・・・かっこわる。)

見上げた空にはいくつもの星があって、
どれも同じくらい綺麗なのに。

私の心に刺さった棘は、腐ってしまっているんだ。

汚くて、嫌になる。
自分も、自分の行動も。

涙が落ち着いたころ、コンビニの明かりが見えた。







少し離れたところに人だかりができていて、何やら話声がする。
よく見ればコスチュームのヒーローもいて、何か事件があったんだとすぐにわかった。


(わ、プロヒーローだ)

普段やくざの家に出入りしている性分でか、なんとなく遠ざけている存在。
遠巻きに見ていると、何となく目に留まる後ろ姿があった。






「・・・・え・・・・・」



「・・・・」





あれは。



あのミルクティ色の髪は。
鋭くて強い目は。



見間違えるはずもない。

(か・・・つき・・・)


「−−−!!!」

慌てて路地裏に身を隠す。
横顔までしか見えなかったけど、顔を覆うマスクをしてたけど。
私が勝己を見間違えるはずはない。
大好きで、大切だった人。
今もまだ胸に残っている、人。



(なんで・・・・なんで!?)

こんなところで会うなんて、虫が良すぎる。
別れてから今まで、街中で出会ったことなんかない。
それもそのはずだ。
勝己に会わないように、私は金欠のなか無理やり引っ越したんだから。

勝己がプロヒーローになったのは、ニュースで知っていた。
写真で見ても、忘れられない姿。
活動範囲はこの街じゃないはず。
ここで暮らしていれば、会わずに済むと思っていたのにーーー




ヒーローの集団は話し終えたのか、それぞれバラバラに散っていく。
よりによって勝己がこちらに向かってくるのが見えた。
大股で、風を切るような歩き方も変わっていない。

私は見つからない事を願って、小さくなっていることしかできなかった。




「・・・あ?」


案の定、路地裏で縮こまる怪しい女は勝己の目に留まる。
ああ、終わったーー

「オイ、大丈夫かーーーー・・・・っ!!?」

目を見開く勝己。
すぐに私だとばれてしまったようだ。

「・・・お前・・・シズク?」
「・・・か、つき・・・」

大好きだった声。
私を見つめて、驚きのあまり動けずにいる。

「お前、何して・・・こんなところで、」
「・・・っ、」

堪らずに逃げようとするが、簡単に手を取られてしまう。

「お前!!俺がどんなに探したと思ってんだ!?」
「・・・はなし、て・・・!」

治まっていた涙が、再び視界を覆う。
神様、こんな形で再会させるなんて、あんまりだ。
心の用意も、覚悟もなにもできていない。
私はまた、逃げようとしてる。

「離さねェ。どこ逃げるつもりだ、今度は!」
「・・・!」

向き合わなかった最後。
傷つけて、独りよがりで終わらせた恋。
今勝己に再会
して、私の心はぐちゃぐちゃに乱れていた。







「勝己、別れよ」
「・・・はァ?笑えねェな、その冗談」
「冗談じゃないの。・・・本気。」

雄英体育祭や敵との戦闘、それから神野でのオールマイト引退事件。

「私と、別れたくないなら」

勝己が危ない目に遭うたびに、私の心はズタズタに引き裂かれていた。

「もう・・・やめてよ、ヒーロー目指すの。」
「・・・お前、本気で言っとんのか。」

勝己にとって、一番残酷な選択肢。
勝己がヒーローになるのをあきらめるわけがない。
私はわかっていて、それでも心が限界だった。

「もう、嫌だよ・・・ケガしたり、攫われたり。」

見ていられなくて、私の心はそんなに強くなくて。

「勝己に何か起こるたび、ニュースで雄英の名前が出るたび、心臓止まりそうなんだよ」

もう嫌。
そんなに危ない目に遭わないとなれないなら、

ヒーローなんて。

「ヒーローになんて」



「・・・お前、その続き、口に出すんじゃねェぞ。」

勝己がそう言って私を見たのは、今までに見たことのない冷たい目だった。
静かに怒っている。

「・・・っだって、だって!」
「俺は負けねぇっつってんだろうが。」
「だって!!!現に!!!」

めったに声を荒げない私の大声に、勝己が黙る。

「危ない目に・・・あってる、じゃない・・・!」

もう見たくない。

「ケガして・・・連れてかれちゃって・・・!」

耐えられないよ。

「連絡も・・・何日もつかなくて!!」

私、そんなに強くないよ。

「私、そんなに立派な彼女じゃないよ!!」

これ以上あなたが傷つくなら。

「心配しないなんて、無理だよ・・・!!!」

あなたの流す血を、見る位なら。

「・・・お願い、勝己・・・!」

諦めて。

もうヒーローになんてならないって言って。

私のそばから、どこにも行かないって言ってよ・・・!


「・・・わかった。別れてやるよ」

「・・・!」


選択肢のうち、私の本意でない方が選ばれた。

「その代わり」

勝己が続けた言葉も、ショックで聞こえなかった。
私を選んでくれると思っていた。

「プロになったらーーーって、オイ!シズク!」

「シズク、こっち見ろや・・・!」

(ごめん、無理、勝己・・・)

「シズク!」

(もう無理・・・耐えられないよ、こんなの・・・!)

私より、夢を選んだ。
少し考えれば、天秤にかけることが間違っているとわかったはず。
それでも、あの時の私には、勝己が安全な場所にいてくれることだけが望みだった。
会うたびに増えていく生傷。
強くなっていく勝己。
そして、何度も危険な所に飛び込んでいく。
ヒーローになった勝己の姿を想像する前に、傷ついたり、命を落とすシーンばかりが目に浮かぶ。
命をすり減らして戦うヒーローになんて、なってほしくなかった。





そうして、最後の会話もままならないまま、私たちは別れた。

別れてすぐに電話番号を変えた。

連絡を取ったら、振り切れないと思ったから。

ニュースも見ないようにした。

雄英の名前を聞くだけで、心臓が押しつぶされそうになった。

そんなことを繰り返していくうちにーーー




(ひどい、女だ)

「ごめ、かつき・・・私、ずっと・・・」

謝りたかったの。
夢を追うあなたを応援してあげられなくて、
がんばってねって、笑ってあげられなくて、
そばに、いてあげられなくて、


「ごめん、なさい・・・。」
「・・・!」

ぽろりと涙が零れたけれど、なんとか言えた。

「俺を、見ろ・・・シズク」
「だめ・・・駄目だよ、勝己、離して」
「プロになった。強くなったんだ。ケガなんかひとつもねェだろうが!!」
「いや・・・勝己、」
「迎えに行くって、そう言おうとした!!」
「・・・!」
「プロになったらお前を!迎えに行くって!!」
「・・・っ」

必死でなり振りかまわない勝己の声。
腕を取られて動けない。
力なく首を振っても、その手は離れない。

「お前が・・・いねぇと、俺は・・・!」
「・・・っやめて、離して・・・・!」

不意に緩んだ腕を振り払って、駆け出す。
振り返らない。
きっと、追いかけてこないから。
溢れる涙で、前が見えない。

「シズク!!!!!!!」

雄叫びのような、勝己の声が聞こえた。



















許して。

弱くて、ちっぽけで。

あなたを信じられなくて。

ごめんなさいーーー





走り続ける私の頬を、涙が伝う。
やがて雨が降りそうな空に、吸い込まれそうな夜だった。














「シズク、遅かったなーー・・・!?」
「・・・」

家にたどり着いた私を出迎えて、治崎さんが言葉を失った。
走ったせいで汗だくだし、髪もぐちゃぐちゃ。
こんな状態で勘のいい治崎さんのもとへは帰りたくなかったけど、帰るほかなかった。

「ごめんなさい、治崎さん、今日はもう帰ってください」
「シズク、何かあったのか」
「ほんとに、ごめんなさーーー」

治崎さんの腕を払いのけようにも、もうほとんど力が入らない。
食事をしていないせいで落ちた体力に、全力ダッシュは聊か無理があった。
崩れ落ちそうになる体を、治崎さんが受け止めてくれる。
支えてくれるのに。

「・・・っ、」
「シズク・・・?」

駄目だ、泣いちゃダメ。
頼っちゃダメなのに。

勝己に会ってズタボロの心が、治崎さんを求めていた。


「治崎さ・・・」


「帰らない、のなら」











「抱いて、ください」