08.

着信の相手は、爆豪勝己。
私はゆうに数十秒、動きを止めていた。
出るべきか否か、用件は?
様々な思考が巡っては消えていく。
そんな事をいくら想像しても、電話に出なければわからないのに。

(なんで・・・)

諦めないと、言っていた強い瞳を思い出す。

今話せば、また情けなく動揺してしまう。
治崎さんは同じ屋敷の中にいる。
私の気持ちは、治崎さんにあると確信したはずなのに。

「・・・もし、もし」

ほとんど無意識に、電話に出ていた。
元カレからの電話に。
ばくばくと心臓がうるさい。

「よォ」

変わらない、端的な言葉。

「・・・どしたの、電話なんて」
「いや・・・まぁ、何だ。元気か?」
「うん・・・勝己は?」
「余裕だわ。」

なんとなく聞いてしまったが、罪悪感がむくむくと首をもたげる。
すぐに切った方がいいはずなのに、携帯を耳に押し当てる力が増していくのがわかる。
普通に会っているより、電話の方が声が近い。
治崎さんとは違う、まだ棘のある強い声。

「お前、今何処にいんだ。家か?」
「う、うん。家・・・」
「・・・っ、まだるっこしいから聞くけどよ。」

ぴり、と背筋が強張った。



「こないだの男。付き合ってんのか?」


「・・・え、」

「車で通っただろ。少し前に」
「・・・」
「彼氏かよ」

勝己の声に、非難の色はない。
ただ聞かれているだけなのに、どうしようもなく焦る。

「・・・うん。」

絞り出すように、なんとか返す。
そうだ。
治崎さんは私を好きと言って、私も答えた。
間違いじゃない。

「・・・そうかよ。」
「・・・」

なんと言えばいいのかわからなくて、押し黙る。
勝己の思いに答えずに治崎さんの胸に飛び込んだ。
極道の若頭となんて、うまく説明できそうにない。
しかも死穢八斎會は指定敵団体で、勝己はプロヒーロー。
真逆の存在だ。

「・・・また、掛ける。」
「あ、勝己ーー・・・切れちゃった・・・。」

何も言えずにいるうちに、唐突に電話が切れた。
私は胸に残るもやもやを抱えたまま、なかなか寝付けずにいた。



(治崎さん・・・ごめんなさい。)

気持ちが揺れたわけじゃない。
ただ、驚いただけ。

でも、

それでも。

自分の中の勝己を打ち消すには、もう少し時間が必要だ。

(治崎さんが好きなのは、変わらない・・・よね。)

優柔不断で馬鹿な私を、許してください。
手を握って、掴まえていてーー

1人のベッドで、治崎さんの名残を探すようにシーツを抱きしめた。






















「おはよう、シズク」
「・・・お、はようございます・・・治崎さん」

朝食の仕込み中。
治崎さんがだいぶ早い時間に現れた。
この人はいつでもキリっと身なりを整えていて、隙が無い。

(寝ぐせとかつかないんだろうな・・羨ましい。)

サラサラの髪を恨めしく眺めたけど、すぐに目を反らす。
昨日の勝己との電話で、勝手に気まずくなって目が合わせられない。

「よく眠れたか?」
「あ、はい。お陰様で・・・」
「声もだいぶ戻っているな。良かった・・・」

喉にす、と指が伸びてきて、心臓が止まりそうになる。
もともとスキンシップの多い人だったけど、体を繋げるようになってからは不意打ちの連続だ。
心配そうな顔も、手袋の指も、どれをとっても色っぽすぎる。

「・・・どうした、何かあったのか?」
「え、いえ」
「浮かない顔をしてる」
「そんな事・・・」
「昨日、一人で眠ったのが寂しかったか?」
「・・・っ」

くい、と顎を持ち上げられて、目の前に治崎さんの妖艶な笑顔。

「待って、まだ朝・・・」
「時間が関係あるのか・・・?そんなに頬を染めて、」




「誘っているようにしか、見えないぞ。」

撫でるようなキス。

ああ、簡単に心を攫って行く。
治崎さんのそばにいたら、私の心臓は多分持たないな。
ドキドキして、キュンとして、振り回されて。

「・・・治崎さん、」
「・・・お前、そろそろ名前を呼べ。恋人なんだから」
「っ」
「・・・なんだ?」
「こ、恋人・・・っていうのが、何か・・・」
「む、もしかしてまだ自覚がなかったのか?」
「いや、だって・・・ねえ?」

大真面目な治崎さんに、恥ずかしくてもう死にそうな私。

「はっきり言われると・・・その、照れくさくて。」

身も心も奪う、とは言われたけど、
付き合ってください!みたいな感じじゃなかったし。

「・・・シズク、」
「は、はい」
「そういえば、ちゃんと言っていなかった。改めて、告白しようか。」
「えっいいです、だいじょーーーんんっ!」
「シズク・・・」

またキスが降ってくる。
まっすぐに見つめられて、動きを止めざるを得ない。

「俺のものに、なれ」

低くていい声で、破壊力抜群。
腰まで響くような至近距離で、治崎さんの色めく声が耳をくすぐった。

「・・・っそ、れは・・・」
「なんだ・・・拒否権はないぞ。」
「告白っていうか、もう命令ですよね・・・?」
「そうだが。」

しれっと言うから、肩がかくんと落ちる。

「・・・さすがです、治崎さん」
「名前を呼べと言ってるだろう」
「ええ・・・でも、いきなり恥ずかしい・・・。」
「二人の時だけでいい。−−何なら、ベッドの中だけでもいいぞ。」
「ひゃ」

するりと腰を撫でられて、上ずった声が出る。

「ほら、呼べよ」
「・・・−−−−っ!!」

真っ赤になって逃れようと足掻いていると、キッチンの扉が開いた。

「おーい、治崎よォ」
「・・・オヤジ」
「ぎゃーー!!」

組長さんが入ってきても、治崎さんが腰を放してくれない。
悲鳴を上げて暴れるも、全然意味をなしていなかった。

「朝っぱらからアツいこったな、ははは」
「く、組長さんっ!」
「・・・何か用か、オヤジ」
「おお、今日の会合のことでちょっとな。来てくれるか?」
「・・・・・・・・・・わかった。」

騒いでいるのは私だけで、組長さんと治崎さんはあくまで普通に会話を進めている。
でも、治崎さんを連れてくみたい。た、助かった・・・!
キッチンから治崎さんが先に出ていき、組長さんがこちらを振り返った。


「嬢ちゃん、すまねェなァ。治崎の相手、大変だろう」
「へ!?いや、そんなことは・・・!」
「我儘言ったら頭引っ叩いてやれ。あいつァあの年まで他人にーー特に女にゃ全く関わってこなかったから、アンタに惚れて歯止めが利かなくなってんだ。」
「・・・はは・・・」
「まァ仲良くしてやってくれ。根は素直でいい男だ。」
「・・・ふふ、はい。」

親心と優しさでいっぱいの笑顔を残して、組長さんも行ってしまった。
こんなに思われて、大切にされている人。
不器用で頑固だけど、とっても優しい人。
極道として生きているここの人たちは、皆優しくてあったかい。
私は心がほっこり温まるのを感じて、改めて朝食作りを再開した。





朝食を終えてしばらくすると、玄野さんが私を呼びに来た。

「お嬢、荷物来てやすよ。なんかでっかいのが。」
「え?何だろ・・・すぐ行きます。」

ぱたぱたと玄関に向かうと、なんだか高そうな箱がいくつも並べられていた。
あ、着物!

「・・・すごい量・・・」
「花嫁衣裳っすか?」

呆然としていると、背後から声をかけられた。

「窃野さん・・・違います、わかって言ってるでしょ。」
「ははっ。バレてた。会合の時着るんスよね?」

マスクの下で笑う窃野さん。
彼は見た目はいかにも、って感じだけど、話してみるといたずらっぽくて、とてもかわいい所のある人だ。

「えー・・・どうしよ、これ。」
「運ぶなら手伝うっスよ。部屋どこです?」
「あ、助かります。お願いできますか?」
「ちょっと待っててください、他の奴も呼んできます」

すぐに宝上さんも来てくれて、三人で荷物を運んだ。
といっても、ほとんど2人が持ってくれていたけど。
廊下を進んでいると、治崎さんと玄野さんが歩いてきた。

「届いたか、シズク」
「はい。こんなに沢山・・・ありがとうございます。」
「いい。後で着て見せろ」
「え、着付けとかできませんけど」
「俺が着せてやる。」
「ぐっ・・・当てるだけじゃだめですか。」
「駄目だ。部屋で待っていろ。すぐに行く。」

他の人がいてもちっとも変わらない俺様ぶり。
着せてもらうなんて聞かれて、ほんとに恥ずかしいんですけど・・・!

玄野さんはニヤニヤしてるし、窃野さんに至っては何か赤くなってるし。

「もう!」
「いや・・・はは、若頭、キャラ変わってますね」

治崎さんが去ったあと、私がプンプンと膨れていると、窃野さんが苦笑して言う。

「私、もともとの治崎さんの様子を知らないんですけどね・・・お屋敷に来てすぐ、ああでしたから。」
「あ、確かに、お嬢が来てすぐでしたよね。」
「・・・若も男だってことだな・・・」

宝上さんがしみじみ呟く。

「愛されてるっスね。」
「・・・いやぁ・・・ははは・・・」




荷物を運び終えた直後に、宣言通り治崎さんが部屋に来た。

「さあ、脱げ。」
「言い方!」
「脱がんと着つけられないだろう。」
「入ってくるなり脱げ、はおかしいでしょ!」
「脱がせて欲しいのか?」
「あ、違います!インナーはいいでしょ、着てても・・・!ぎゃー!!」

ぎゃーぎゃーと喚いてみるも、ぐいぐいと服を脱がされて、あられもない格好になる。
抵抗むなしく、キャミとショーツだけの姿になってしまった。

「うう・・・追いはぎだ・・・」
「その姿もなかなか良いが、早くこっちに来い。着せてやる」

しぶしぶ治崎さんのそばに行き、言われたとおりに両腕を水平に上げる。
早く着せて・・・!

さらっとした襦袢を羽織らせてもらって、あとはみるみるうちに着付けが完了していく。

「早・・・!っていうか、すごい綺麗・・・!」

綺麗な色の反物だったのは見たけれど、いざ自分が纏っているのを見るとまた違う感動がある。
自分を見下ろして、刺繍や染めの美しさにため息が出た。

「帯を締めるとまた違うぞ。」

治崎さんは器用に帯を締めてくれながら、どこかうれしそうだ。
この人、本当になんでもできるなぁ・・・。
帯を締めて帯どめを付けてくれて、あっという間に着付けが終わった。

「・・・・綺麗だ・・・」
「え、えへへ」

惚れ惚れと見つめられて、嬉しくなる。
恥ずかしいけれど、着物を着るのってこんなに嬉しいんだ。

「よく似合ってる。」

髪もメイクも普段通りだけど、綺麗な着物を着るだけでこんなにも気分が上がる。

「やばい・・・治崎さん、私、着物好きになりそう」
「あァ、いつでも着せてやる。」
「教えてください、着付け。」
「駄目だ。」
「なんで!?」
「俺が着せる。楽しみを奪うな」
「・・・っ、楽しいんですか・・・?ふふ」

世話焼きで面倒見のいいところも、かわいいと思ってしまう。

「・・・じゃあ、お願いしよっかな。」
「遠慮するな。着せるのもーー脱がすのも、な」
「ひゃっ」

ぐいと抱き寄せられて、耳元で囁かれる。
いちいちセクシーな声を出すから、心臓がすぐに暴れだしてしまう。

「あ、ダメ・・・!せっかく、着たのに・・・」
「脱がせたくて着つけたと言ってもいい。」
「・・・っばかぁ・・・」

耳に唇が近づいて、体の力が抜ける。
やばい、これはまた流されるパターンだ・・・!

「あっ、たすき!たすきも教えてください・・・!」
「む、」

必死で叫んで、治崎さんの胸を押す。
治崎さんはなんとか諦めてくれて、料理の時に袖を汚さないようにするたすき掛けのやり方を教わった。
きりりとたすきを締めた姿は、我ながらなかなかに凛々しい。

「おお・・・!」
「似合うな・・・」

初めての姿だが、なんとなくしっくりきてる。

「女将さんみたいですか?」

くるりと回って見せると、治崎さんは口元に手をやった。

「・・・そう、だな。そう見える」
「え、何か含みがあるなぁ。」
「いや。俺と一緒になれば、名実ともにそれに近づくぞ。」
「ぶっ」
「なんだ、嬉しくないのか。」

拗ねたようにこちらを見てくるもんだから、言葉に困る。
一緒になるって・・・つまり、そういうこと?
治崎さんの口から出た言葉に、思考がぐるぐると混乱する。

「あ、えーっと・・・・今日、このまま調理してみてもいいですか?」
「ん?あァ、動きづらかったら直してやる。」
「ありがとうございます。予行演習で、ちょっと動いてみたくて」
「汚れても気にするな。クリーニングでも、俺が直してもいい」

治崎さんの個性、本当に便利だなぁ・・・。
許可が出たので、そのままキッチンに向かう。
治崎さんはにやつきながらしばらく着いてきていたが、仕事部屋の前で名残惜しそうに、

「少し仕事をしてくる。後で様子を見に行くからな」
「はい」
「・・・本当に、よく似合ってる。可愛いぞ」
「・・・あり、がと・・・ございますっ」

ちゅっとキスをされて、どもってしまった。
キス魔の治崎さんと別れて、キッチンに入る。

大きな冷蔵庫の扉に、自分の姿が映る。

(わ、これは・・・嬉しいな、ほんとに)

「お、似合うじゃねぇか。」
「あ、アニキ」
「紫か、意外だけど違和感ねぇな。」

ぬいぐるみの入中さんが、さらりと褒めてくれた。

「えへへ、治崎さんが選んで・・・買ってくれました。」
「良かったな」

素直に嬉しくて、笑顔がこぼれる。

「じゃあ明日の衣装はこれでバッチリだな。」
「はい。これから少し料理してみて、着物に慣れておきます。」

そのあと少しお喋りをして、昼食の支度も手伝ってもらった。
着物なのでほとんど個性に頼るようになってしまうが、汚れがつきにくそうな作業の時は、極力自分の手で。
個性で全部調理するのは、何か違うような気がするから。
人の手で作ったものを、手作りって言うんだもんね。

着物が嬉しくて、案外動きやすくて、私はいくつかのチェックをしながら仕事を進めた。




「シズク」
「あ、治崎さん」
「どうだ、苦しくないか?」
「はい。全然平気で・・・きゃ!」
「後ろ姿が、やばいな。」

きゅ、と抱き着かれる。
少しアップ風に首を出していたので、吐息が首筋に触れた。

「夜まで待てない・・・」
「っ!」

うなじにキスが落ちてくる。
ぞくりと体が跳ねて、持っていたお皿を落としそうになった。

「だ、ダメですよ!これからお昼なんですから・・・!」
「またお預けか」

むくれる治崎さんを押しのけて、料理を運ぶ。
もう、所かまわずなんだから・・・!!

「・・・でも、全然苦しくないです。治崎さんの着付け、すごい。」
「・・・当然だろ。」

そんなくすぐったい会話をしながら、皆で昼食を採る。
皆のお世話をして、後片付けをして。
仕事がひと段落してから、何となく携帯を開く。

「ん?」

通知のランプが点滅している。

誰からだろ・・・まさか、また、勝己・・・?

午後は仕入れの商品が続々と届く。
やることがいっぱいあって、段取りも組んでいたのに、
一気に頭が真っ白になってしまった。

恐る恐るロックを解除すると、そこにはーーー













私服の爆豪は、勤め先である事務所でパソコンを睨んでいた。

シズクと一緒にいた男、特徴的なマスクーー

見たことがあるような気がして、検索エンジンを開く。

(・・・どこだ、どこで見た・・・?)

しばらくキーボードを叩く。
顎に手を掛けて真剣な目でモニターを睨んでいる姿は、どこか鬼気迫っているように見えた。

ヒーローニュース。
敵事件のネット記事。
芸能ニュースなどもどんどん流し読みして、爆豪の目がひとつの記事で止まる。

敵の車両事故に関わるニュースだ。
指定敵団体の一団と、敵の強盗団との衝突事故。
けが人はなし。
個性が関わっているようだ。

「・・・・まさか、敵・・・?」

記事の写真に載っていたのは、ぼやけてはいるがあの男だ。

大きなマスク。
ファー付きのモッズコート。
そして何よりーーー

(なんだ、この目は・・・。)

鋭く冷たい目。
明らかに堅気じゃないと爆豪が感じたのは、何よりもこの目だった。

爆豪は画像を見つめ、その後「死穢八斎會」というワードにたどり着く。

若頭の治崎という男。
あの日シズクと一緒にいたのは、間違いなくこの男だ。

モニターを睨みつける。
ヤクザ。極道。

(そんな野郎に・・・シズクを任せられるか。)

(絶対ェ・・・取り戻す。)

誰にも言えない決意を、胸の中で固める。
たとえシズクがこいつと付き合っていようとも、
俺と過ごしてきた過去が0になるわけではない。
何年も付き合ってきたアドバンテージが、自分にはある。



爆豪はそう信じて、パソコンを閉じた。