09.


40人を超える出席者が集まり、ついに会合が始まった。
色々な挨拶やしきたりを経て進んでいくその場には、私はいない。
調理を進め、適切なタイミングで配膳。
それが今日の私の仕事だ。

前菜、焼き、揚げ、蒸し、それから小さな鍋ものに小鉢をいくつか。
吸い物と食事は、鯛茶漬けと選んでもらう。
デザートも用意してある。

大広間から知らない人の声がする。
支度をした八斎會の皆も、ここにいる。
私はキッチンから様子を見つつ、タイミングを計っていた。

「うわ、緊張してきた・・・。」

今日はキッチンに訪れる人はいない。
治崎さんや組長さんをはじめ、八斎會の人たちは袴を着て、会合に出席している。

朝は皆バタバタしていて、早朝に治崎さんが着付けをしてくれた時に少し話したくらい。
だいたいの流れなども聞いていた。
治崎さんはまだいつもの服だったけど、今はきっちりと紋付姿なんだろうな。

「・・・よし、そろそろかな。」

予定の時間に合わせて、個性で料理を一気に運ぶ。
ワゴンに乗せて、大広間の前に並べて、ふすまの向こうに小さく声をかける。

「シズクです、お料理お持ちしました」

す、と襖が開いて、根本さんが現れた。

「ああ・・・シズクさん。とてもお綺麗だ。・・・あ、いや、ご苦労様でございます」
「お運びしても・・・?」
「はい。いいタイミングでした」

ちらりと大広間を見渡すと、厳格な雰囲気の中に大勢の袴姿。
一番奥の方に、組長さんと治崎さんの姿も見えた。

「では、失礼します・・・」

ワゴンを個性で動かして、お部屋中にお料理を運んでいく。
中にいた窃野さんたちが運ぶのを手伝ってくれて、すんなりと終わった。
上座には手で配膳するように言われていたで、その通りにする。

「・・・おお、これは」
「美しい」

広間を進んでいくと、ものすごく視線を感じた。
知らないおじさん達が、なにやら話している。

「組長、若頭、失礼します」

そっとお料理を運んでいくと、治崎さんが視線だけで応えてくれる。

「・・・きれいだ・・・本当に。」
「っ、」

ぼそりと呟く。
マスクを外している治崎さんだって、本当に素敵なのに。
伝えられないのがもどかしくて、私は笑みだけ残して配膳を済ませてさっと下がった。
組長さんも、優しい笑顔を浮かべている。

なんとか配膳を進めていき、宴会が始まった。

料理を出し終えたら、すぐにお酒の支度。
大量のビールや日本酒をまたワゴンに乗せて、大広間へ戻る。
あけ放たれた襖から再び入室すると、また若い人たちが手伝いに来てくれた。

「お嬢、あとは俺らが」
「え、でも・・・」
「飲み始めたら、ここには入らねぇ方がいい。」
「そうっすよ。絡まれちゃ大変だ」

窃野さんも宝上さんもそう言うので、お願いすることにした。
組長さんが何か話して、乾杯を済ませた。
するとすぐにどんどんとお酒が減っていく。
わあ・・・ものすごいスピード。
皆、お酒強いんだなぁ・・・

襖を閉めて、ワゴンと共にキッチンに戻る。
後はお酒の追加と、お食事とデザートを出すだけ。

「・・・っふう・・・」

一気に緊張が解けて、天井を仰いだ。
1人のキッチンで、着物が崩れないようにシンクにもたれる。

「き、気疲れが・・・すごい。」

極道の人たちがあんなに集まっているのを見るのも初めてだし、何よりお部屋に流れる緊張感のようなものが凄かった。やくざのオーラってすごい。
組長さんや治崎さんも、普段と違う表情だし。

少しだけ休んでいると、1時間もしないうちに入中さんがキッチンにやってきた。

「お嬢、酒追加だ」
「ええ!もう飲んじゃったんです!?」
「いつものこった。じゃんじゃん出そう」
「すぐに用意します。」

大柄な入中さんの袴姿・・・うん、かっこいい。

「アニキ、すごく似合ってますね。」
「・・・うん、お前なぁ・・・いや、ありがとよ」
「?」
「・・・あのなぁ、お嬢が入ってきたとき、あんまり綺麗だから、ウチのモンも他の組も皆くぎ付けだったんだぞ。若の顔見たか?ものすごい睨んでたぞ、全員を」
「え・・・気付かなかった、」
「はは、ありゃあ見ねぇ方が良かった。緊張したか?」
「はい・・・ものすごく。」

緊張はしていたけど、着物を着ていたから。
治崎さんが選んでくれて、着せてくれたこの着物が守ってくれているような気がして。
なんとか、頑張れた。

「よし、じゃあちゃちゃっと運んで、さっさと全員潰しちまおう」
「え、いいんですか?そんなーー」
「良いんだよ、こっからは無礼講なんだから。さっさと潰して帰らせよう」

物騒なことを言う入中さんと共に、お酒を運ぶ。
乾杯まではあんなに厳粛な雰囲気だったのに、大広間からは賑やかな声が聞こえてきていた。
襖を開けると、根本さんが空瓶を集めてひとつのワゴンに乗せてくれていた。

「お酒追加でーす。」
「ああ、置いておいてください。私たちがやりますから。」

根本さんも、窃野さんたちと同じように、私を部屋に入れないようにしてくれている。

「じゃあ、甘えちゃいますね。」
「おう、お嬢、ありがとよ」

入中さんと根本さんにお任せして、下げるワゴンをもらって帰ろうとしたとき。

「おーい!姉ちゃん、お酌してくれ!」
「!」

奥の方から、偉い人っぽいおじさんが手を振っている。
あちゃー・・・。

「はは・・・」
「なァにしてんだ、こっち来いよォ」

少し顔を赤らめたおじさんは、しつこく手招きをしている。
やばい。苦笑いで逃げようと思ったけど、利いていないみたいだ。

「えーっと・・・」

窃野さんたちが私を隠すように立ってくれていたけど、おじさんは諦めそうにない。
どうしたらいいんだろ・・・。
ちょこっとお酒を注いであげるくらい、いいかな。

「窃野さん、少しだけ行ってきまーー」
「やめて下さい、後で俺らが若にシメられちまう」
「だがどうする?あのジジィ、言い出したら聞かんぞ」
「うう、すみません・・・さっさと下がれば良かった」

まだおじさんは騒いでいる。
あ、治崎さんが愛想笑いしてる。あれは怒っている顔だ・・・やばい。
立ち上がりそう。

「・・・っち、崎さ・・・」

ダメ、と言おうとした時、治崎さんの肩を掴んだ人がいた。

「やぁ、こりゃ失礼。おい、ちょっとコッチ来てみな。」

組長さんが治崎さんを押さえて、手招きをしている。

「・・・?え、いいの、かな」
「・・・オヤジが呼んでるなら、大丈夫だとは思うが・・・」

入中さんや他の皆さんの心配そうな視線が痛い。
おず、と部屋の奥に向かうと、組長さんが立ち上がった。

「皆さんにはご紹介が遅れました。こいつァうちの治崎が見染めたモンです。一緒にならせてやりてェと思ってます」
「!!」

しれっと大勢に紹介されて、心臓が止まりそうになる。
治崎さんも目を見開いて、組長さんを見上げていた。

「普段はウチの台所切り盛りしてくれています。ただまァ・・・色々はこれからです。若い二人を、皆さんの温情であったかく見守ってやっちゃもらえませんか。」

よく通る組長さんの声は、余すところなく部屋中に響く。
がやがやとしていた声は静まって、その場の全員の視線が私と治崎さんに注がれた。

「・・・オヤジ、」
「お前ェも挨拶しとかねェか。」
「・・・」

治崎さんはす、と立ち上がる。
私はふたりの間に挟まれて、ただ固まって口もきけずにいた。

「・・・嫁に貰いたいと思っています。俺もこのシズクも若輩で不勉強ですが、どうかご指導のほど。」

堂々と見渡して、はっきりと。
治崎さんの言葉は、私の胸にまっすぐに突き刺さった。
夫婦?
私と・・・治崎さんが?
言葉にするととても重いこと。大切で、間違えられないこと。
それをこんなに大勢の前でーー

「・・・おぉ、あの治崎がなぁ・・・」
「おいおい若頭、いつの間に掴まえて来たんだァ?」
「えらい別嬪じゃねェか、仲良くやんなァ!」

嬉しそうなオジサンたちが、拍手とともに祝ってくれる。
私にお酌をさせようとしていた人は、気まずそうに小さくなっていた。

「く、組長ーー」

すがるように組長さんを見上げると、いたずらっぽい顔でウインクを投げて来た。

「これでもう、ちょっかい出されねェで済むだろう。」
「オヤジ・・・、気を遣わせた。面目ない」

治崎さんが素直に頭を下げる。
私はやんややんやと降り注ぐ声の中、治崎さんに来い、と言われて広間を出た。

「・・・すまなかった、」
「え、っと・・・私こそ、軽率にうろちょろしてたから・・・ごめんなさい。」
「お前が謝ることはない。オヤジが止めてくれなかったら、手が出ていた」
「はは・・・」

あのままだったら、本当に殴っていそうだ。
組長さんの言葉も、治崎さんの言葉も嬉しかった。でもーー

「あ、の・・・私、気にしてませんから。」
「何をだ?」
「夫婦とかって・・・言わせちゃって。助けようとしてくれて、ありがとうございます。」
「・・・お前、オヤジや俺があの場を収めるためにああ言ったと思ってるのか?」
「え、違うんですか」
「・・・はァ・・・」

頭を抱えてしまった治崎さんに、おろおろしてしまう私。

「あのなァ、いくら何でもあんな方便使うか。−−本気なんだぞ、俺は。最初からずっと。」
「・・・え」
「夫婦になりたいと思っているのは、俺だけか・・・?」
「え、待っ・・・え?」
「どうした、顔が茹蛸みたいだぞ。」

次々と情報が入ってきて、頭がショートしそうになる。
夫婦になりたい?
誰と?

ーー私!?

「ええー!!?」
「っ声が大きい・・・」
「な、待って、そんな・・・急、に、ええ!!?」

思わず叫んでしまった。
それでも治崎さんの顔は大まじめて、大きな声を出されて眉間に皺を寄せている。

「俺はずっと、お前を全て奪うと言っているが」
「・・・っちょ、っと・・・そういう、意味・・・だとは・・・考え及びませんで・・・はは」
「シズク、お前はひどく鈍いようだな・・・おい、こっちを向け。」

袖をいじってモジモジしていると、治崎さんの腕が伸びてきた。
ぐいっと引っ張られて、胸に飛び込む。

「お前はもう、俺のものだ。俺と夫婦になって、俺の子を産んでくれ」
「・・・っ・・・・ち、さき・・・」
「治崎に、お前もなれ。」

立て続けの告白。

「お前ははっきり言わないと、勝手に解釈するからな。俺の思いは伝えたぞ。
 −−シズクの気持ちを、いつか教えてくれ。今じゃなくてもいい。」

抱きしめながらそんなことを囁かれて、嬉しくならないわけがない。
ドキドキする鼓動が治崎さんにまで伝わってしまいそうで、余計に大きく聞こえる。

「・・・す、少し・・・待って、頭が」
「あァ。今日はもう部屋に戻っていろ。片づけはさせておくから。」

それと、と治崎さんはまた距離を詰めてきた。

「今夜はお前の部屋に行くぞ。いい子で待ってろ」
「・・・!」

イケボで囁かれ、おまけのキス。
治崎さんは大広間に戻り、私はへなへなとへたり込んだ。

結婚。
夫婦。

今まで聞くことのなかったワード。

意識してなかったというか、それどころじゃなかったというかーー
正直、予想もしていなかった展開になった。

あまりの驚愕に、治崎さんのことで頭がいっぱいで。
部屋に戻って着物を何とか脱いで、普段着に着替えても、
横になったり休んだりする気にはならなかった。


(プロポーズ、だったのかな)

(嘘、夢みたい・・・)

(ちょっと前までと、全然違うーー)

頭の中も、心も、
治崎さんでいっぱいだ。





しばらく思い出して悶えていると、ノックが聞こえた。

「お嬢」
「はい・・・玄野さん?」

こちらも袴姿の玄野さんが、お皿を手に現れた。
以前も作ってくれた、クマの形のお稲荷さんだ。

「差し入れです。」
「え!可愛い・・・!また作ってくれたんですか?」
「お嬢、今朝から何も食ってやせんよね。心配で。」
「玄野さん・・・!」

じーんと胸が熱くなる。
正直食欲はないんだけど、これは素直に嬉しい。

「いや、しかし衝撃の婚約発表でやしたね」
「きゃー!!言わないで!!」
「まさかあんな大きい組の偉いさんばっかりの場で・・・さすがオヤジでさァ」
「うう・・・本当にびっくりしたんですから。」
「これで、お嬢じゃなくて姐さんですね。」
「玄野さんの言ってた通りになりましたね・・・」
「はは、まァ今日はもうすることも無ぇですし、これ食べてゆっくりしてください。たくさん料理させちまって・・・ありがとうございやした。」

玄野さんの差し入れをほんのちょっと齧って、ソファに腰かける。

「うん・・・少し元気出た。クマさんのお陰かな。」

時刻は夕方6時。
宴会はまだまだ始まったばかりだし、お食事はもう出切っている。
片づけはしてもらえるみたいだけど・・・心配だし、あとでこっそりのぞきに行こう。
1人でいると、何となく眠くなってきた。
私はソファで小さくなったまま、ゆっくりと意識を手放した。



(せっかく大きなベッドを頂いたのに・・・私って貧乏性だな、)

緩やかに訪れた眠りに身を任せる。

治崎さんに会いたいな。

今頃、質問攻めに遭ってるかな。

まとまらない思考も、すぐに溶けて消えた。