先生、聞いて


「せーんせ、」
「・・・またお前か、シズク。」

白衣の男は、扉を開けた女生徒を呆れたように振り返る。保健室とプレートを下げた部屋は、消毒液の匂いで満ちていた。女生徒は男の態度を気にする様子もなく、室内に滑り込んだ。

「おなか痛いの。」
「個性で治してやる。横になれ」
「えー!やーだよ!先生の個性、治すときすっごく痛いもん!」
「はぁ・・・お前は何しに来たんだ。」

男ーー治崎は女生徒に向かって、低く静かな声と、深い溜息をマスク越しに吐く。女生徒は文句を言いながら丸椅子に腰かけて、ぶらぶらと足を遊ばせている。その様子に腹痛は見受けられない。治崎は脱ぎかけた手袋をきっちりと嵌めなおし、その手で腕組を作った。

「んふふ、先生に会いに来たの。お腹痛いのはうそ。」

さらりと長い黒髪を零して、治崎の顔を覗き込むシズク。挑発するような眼差しだが、治崎は「だろうな、」と鼻で笑って手をしっしっと振った。とても魅力的な容姿だが、治崎に対してはあまり効果が無さそうだ。

「仮病なら戻れ。俺は暇じゃない」
「えーーー。つれなーい、ツンデレー!」
「おい・・・俺がいつデレた?」
「ふふふ、これからデレさせて見せますー!!」

女生徒は桜色の頬を膨らませ、文句を垂れた。治崎は息を吐いて、白い手袋を嵌めた手をパソコンのキーボードに戻し、視線もシズクから反らしてしまった。弾むような声、健康的な体。あどけなさの中に大人への扉を開きかけたような、甘酸っぱい雰囲気。この女生徒は、何のつもりか治崎の元へ足しげく通っている。

「休み時間の度に来るな。お邪魔虫め。」
「ひどーい!ほんとは嬉しいくせにー!!」

ぷいと素っ気ない態度を取られているのに、シズクも気にする様子はない。二人の間では、このやりとりは日常となっていた。治崎は三度ため息を落とし、コーヒーメーカーに向かう。香ばしい香りとともにカップを二つ用意して、ひとつをシズクに手渡す。

「わ、ありがとう。先生!」
「それ飲んだら行けよ。」

明るい陽射しが差し込む保健室で、2人並んでコーヒーを飲む。治崎はキーボードを叩き始め、それ以上何か言うことは無かった。シズクも静かにそれを眺めて、時折治崎にちょっかいをかけて怒られる。そうしていると、休み時間はあっという間に過ぎていった。

「ごちそーさま、せんせ!また来るね!」
「ここは喫茶店じゃないぞ。健康なら来るな。」
「聞こえないもんねー。じゃ、またねー!」

ぱたぱたと上履きを鳴らし、シズクは退室していった。カップを片付けて、治崎は手のひらを口元に当てる。

「・・・ったく・・・。人の気も知らないで、気楽なもんだ。」

高校生にいいように遊ばれて、治崎が本心から迷惑しているわけではない。彼の性格上、不必要だと判断したものは徹底的に排除するのが当たり前だった。それでもシズクの訪問を跳ね付けないのは、少なからず心を許しているということーーただ、それを言葉にしたり行動に移したりするほど、治崎は浅慮でも子供でもなかった。

保険医としてこの学校に勤務するようになって、数か月。シズクに初めて出会ったのも、ここ、保健室だった。

「先生!治崎先生、シズクが・・・!」
「!」

赴任早々、扉を破る勢いで女生徒が駆け込んできた。その傍らにはぐったりとしたもう一人の女生徒。抱えられているが、目を閉じ意識はないように見えた。治崎は抱えて来た女生徒からその体を受け取ると、ベッドに横たえる。耳から出血があることを確認し、それから心音、脈、体温などを順番にチェックしながら、状況を説明させる。

「授業で個性が暴走しちゃったみたいでーー」
「この子の個性は?」
「えっと・・・念力としか・・・」
「脳に大きな負荷がかかって失神したか・・・わかった、後は任せてもう行け。」
「は、はい・・・」

心配で涙ぐむ女生徒を退室させ、治崎は手袋を外した。手のひらで他人に触れると、蕁麻疹が出る体質だが、個性を使うには素手で触れなければならない。ダメージは頭のようなので、濡れたように黒々とした髪にそっと触れる。

「・・・っ、」

ほんの少しだけ、蕁麻疹が浮かぶ。それでも、治さなければ。治崎は個性を使い、女生徒を癒した。はじけるような音とともに女生徒の頭部の一部が分解され、すぐに収束して元通りの形に形成される。これで脳への負荷もリセットされたはずだ。

「・・・・ったぁーーー!!!」
「!?」

すぐさま絶叫と共に飛び起きたその女生徒は、頭を押さえてバタバタと暴れた。治崎はあまりの声量に、声なく体をびくりと跳ねさせる。

「痛い痛い痛い!!何これ!?え?!」
「・・・気分はどうだ。」
「え!?保健室!?あ、チサキ・・・先生?だっけ?」

くるくると目を動かして、治崎の姿を視認すると、少しだけ声のトーンが落ちる。治崎は騒がしい女生徒にうんざりとため息をついて、書類を記入し始めた。その手に浮かんだ蕁麻疹は、もう治まっている。

「元気なら戻れ・・・担任には俺からも連絡しておく。一人で歩けるか?」
「先生、治してくれたの?私、個性使い過ぎて頭痛くなっちゃって・・・」
「意識を失い、危ない状態だった。以後は調整に励め」
「・・・ふふ、そっか。治してくれてありがとう!治崎せんせ!」
「仕事だ、礼はいらない。」

素っ気ない態度にも、シズクは物怖じせず話しかけてきた。事務的な連絡にも、子供の様に無邪気に答え、顔いっぱいに笑顔を湛えている。治崎はむず痒いような感覚に陥り、退室を急かす。

「友達が心配しているぞ。早く戻ってやれ。」
「あ!そっか!うん、じゃあもう行くね。先生、またねー!」

ぶんぶんと元気に手を振って、シズクは教室に戻っていった。治崎は手袋を外し、その手を見つめた。治してみた感じが、よくは分からないがどうも違和感が残る。彼女の個性は念力系だと言っていた。自分の脳にダメージを与える程の大きな力が、学生の身分に宿っているというのか。危険すぎる。

「・・・扱えるようになるまで、ケガが続くだろうな。」

赴任して初めて癒した生徒。治崎の記憶には、そういう情報でインプットされていた。だが、その日以降シズクが毎日のように保健室を訪ねてくることになるとは、その時は思っていなかった。











「ねーえ、せんせ。彼女いないの?」
「・・・お前、本当に暇なんだな。」

治崎の椅子を占領して、ぐるぐると回りながら、シズク。無邪気な質問だが、治崎はそれに向き合おうとしなかった。薬棚の在庫チェックをしながら、足りない備品の注文処理を進める。

「教えてよー!」

身長差が20センチ近くある治崎にまとわりつくシズク。白衣の背中を掴んで、ぐいぐいと引っ張る。治崎は迷惑そうにしながらも、振り払うことはしなかった。

「おい、書けん」
「ねえってばー!」
「いない。これで満足か?」
「え?ほんと!?」
「・・・お前になんの関係があるんだ、それが。」
「えへへー!!いないんだぁ、そっかー!!」
「・・・っこら、危なーー」


シズクは急に上機嫌になり、バインダーを持つ治崎の腕に絡みついた。急に体重を掛けられ、治崎の体が少しよろめく。転びそうになって、近くにあったデスクにがたんと音を立てて手をついた。その手の先に、シズクがいる。期せずして押し倒すような格好になり、2人の動きが数秒止まった。

「あ・・・」
「・・・チッ、」

至近距離で目が合い、騒々しいシズクの言葉も一時止んでいる。治崎はマスクの下で舌打ちをして、急いで体勢を整えシズクから離れた。

「もう帰れ・・・下校時刻はとっくに過ぎてるぞ。」

取り繕うような言い方になってしまった。治崎は顔を背け、書類を片付けた。背中を向けているシズクがどんな顔をしているかはわからないが、嫌に静かだ。

「・・・はぁい。」
「・・・。」

思春期にありがちな、年上への無根拠の憧れ。年齢が上と言うだけで、なんとなく魅力的に見えているだけだ。治崎は置かれている状況をそう認識していた。自分の鼓動が、こんなに速まっている事を無視して考えるならば、だが。

(・・・これじゃ、まるで・・・)

かぶりを振って、シズクの頭のすぐ横についた手を見つめる。いつでもここに、保健室に響いていた声。笑顔。自分を呼ぶ、シズクの姿は容易く思い浮かべられる。自らの中に、こんなにも彼女が入り込んでいたというのか。

「・・・止めだ。帰ろう」

柄にもなく独り言を落とし、帰り支度を整える。教師と生徒、その関係が治崎の思考にこびり付いている。消すことはできない。これ以上思考を続けるのは危険だと、治崎の中のなにかが警鐘を鳴らしていた。




手を伸ばせば、関係が変わる。

向けられる声も、言葉も、眼差しも。

それならばいっそ、

このまま、気付かないままでーー








数日後。

「せんせ、私の個性、知ってる?」
「・・・念動力だろう。」
「ブッブー、違うんですー。」
「・・・何だと?」

治崎の元にある各クラスの生徒情報書類にも、シズクの個性は「念動力」と記入されている。これが違うというのなら、シズクは学校に虚偽の届け出をしていることになる。治崎は片眉を持ち上げて、シズクを見た。とてもふざけているようには見えない、張りつめた表情だった。

「私の個性はね、本当は、増幅、なの。」
「増幅・・・?」

前半はいたずらっぽい言い方だったが、シズクの顔は真剣だった。珍しく静かな声で、自分の膝を見つめて淡々と話す。治崎が言葉を繰り返すと、小さく頷いて返した。

「何でも増幅できるの。速さとか・・・耐久力とか、音とか、何でも。」
「・・・お前、それ、何故届け出てないんだ?」
「この個性ね、とっても危ないんだって。だから、相澤先生とかしか知らない。初めて先生に会った時も、ちょっとだけ暴走しただけなのに、耳聞こえなくなって倒れちゃったし。だから、秘密にしてろって校長先生も。」
「・・・聴力を増幅しすぎて、鼓膜がダメージを受けていたのか。」

治崎は頭部を直したつもりだった。それでも違和感が残っていたのは、ダメージが違う場所にあったからなのだと理解する。シズクはぎゅっとスカートを握りしめて、その先を話し出した。

「だからね、暴走した時の為に、相澤クラスなんだ。消してもらえるから。」


使い方によっては、異常気象やパニックをも起こせる個性だ。治崎は少し想像しただけで、背筋がすっと寒くなるのを感じた。自分へのダメージだけじゃなく、周囲にも脅威となりうる個性。顎に手を当てて考え込む治崎を、シズクはひどく不安げな眼差しで見つめる。

「・・・引いた?」
「引く?何故だ」
「危ない奴だって、思われたかなって・・・自分からバラすの、人生初だし。」
「・・・別に。お前が望んで手に入れた個性じゃないだろう。」
「・・・そ、だけど」
「生まれた時から備わってるんだ。扱い方を覚えて、有用に使え」
「・・・!」

治崎は見る見る明るくなった笑顔のシズクを、ぽんと撫でてやった。不安で、怖くて、うまくいかない事への葛藤。シズクからはそんな感情が読み取れた。大きすぎる力で、周囲との付き合いもかなり苦労したんだろう。治崎がそんな事を考えていると、シズクが椅子からすっと立ち上がった。そして軽やかに身を寄せてくる。

「せんせ、やっぱ大好き!」
「!」

首元に抱き着かれて、おまけにちゅ、と頬にキスが落とされる。突然のことに固まっていると、シズクはじゃーねー、と元気に退室していった。無反応のまま一人取り残された治崎は、目を見開いて硬直している。



「・・・なん、」

(だったんだ、今の)

マスク越しだった。だが、蕁麻疹が出ていないことが更に彼を混乱させた。ごし、と手袋の背で頬を擦ると、熱を持ってひどく熱くなった。









「先生、シズクが!」
「・・・どうした。説明しろ」
「どうしよう、早く来て、先生!」

飛び込む様に保健室に現れたのは、以前シズクをここへ連れて来た女生徒だった。治崎は慌てふためく女生徒から何とか情報を聞き出す為、まずは椅子に座らせた。女生徒は泣き出しそうになりながらも、何とか言葉を紡ぐ。

「・・・よし、すぐに行く。グラウンドβだな」
「はい・・・」

治崎は手早く支度を整え、女生徒と共に現場へ向かう。心中は驚くほど冷静だった。いつかこうなることを、治崎は分かっていた。

また力の暴走。
そして、まだ続いている力の放出。
イレイザーヘッドは外出中で、すぐには戻れない。

治崎は頭の中で起こりうる全てのリスクをリストアップしながら、できるだけ足を速めた。

「・・・ったく・・・面倒、かけやがって・・・!」



グラウンドβに着くと、他の生徒が壁際に固まっていた。

「あ、治崎先生!」
「シズクが・・・!!」

皆口々に不安そうな声を零して、グラウンドの中心を指さす。治崎が視線を向けると、竜巻の様に石や木を巻き上げながら宙に浮いているシズクを見つけた。

「・・・チ、かなり増幅されてるな・・・。風か、」
「先生、シズクを助けて!」
「全員退室しろ。後は俺が引き受ける。」

生徒をグラウンドから全員避難させ、シズクに向き直る。かなりの高度まで上昇していて、その体は横たわっているように仰向けで浮いている。意識はなさそうだ。彼女の周りには風が強く吹きすさんでいて、巻き上げられた石やコンクリートの破片が時折その体に傷をつけている。

「・・・馬鹿が、」

治崎は地面に素手を付き、足場を形成してシズクに接近した。すぐに距離をつめると、あまりの風圧に呼吸すらままならないことに気付く。これではシズクもまともに呼吸できていないだろう。手を伸ばすと、すぐに飛来物で弾かれた。

(一気に掴まえる・・・!)

構築した足場から、大きめの遮蔽物を左右に展開する。風を一瞬だけ防ぎ、その風圧を緩めた。一瞬で手を伸ばし、その体を掴まえた。ぐっと抱き寄せ、すぐに個性で暴走を止める。昏睡していて、その体には痛々しい傷がいくつも刻まれていた。治崎の個性で修復すれば、ダメージも消える。

「・・・ふう」

足場から降り、シズクの脈を取る。修復したので安定はしているが、ひどく弱い。嵐のような暴風が収まり、グラウンドβには飛来物が散らばっている。治崎は白衣を脱ぎ、地面に敷いて、その上にシズクをそっと寝かせた。

(頭へのダメージだけじゃない・・・全身の修復、まだ足りないか・・・?)

シズクの額に手を当てると、じんわりと暖かさが伝わってくる。治崎は冷静に対処しているが、修復後すぐに意識が戻らないことにひどく焦っていた。もしかしたら、手遅れだったのかもーー

「・・・シズク、」

呼びかける声は、低く小さい。治崎はマスクを外し、シズクに顔を寄せた。

「起きろ・・・シズク、」

反応はなく、シズクの瞼は開かない。治崎の胸が、ずきんと痛んだ。

(駄目だ、)

(戻れ、シズク)

自然と、意識せずに体が動いた。シズクの体を抱き上げ、そっと口づける。

「起きてくれ」

声が震えているのを自覚すると、鼻がつんと痛くなった。治崎は再びキスを落として、その温度を確かめるように数秒、触れたままで動かなかった。






「・・・せ、ん・・・せ」
「!」

ふ、と息を吹き返したように、頬が桜色に戻った。緩慢に開かれた目に、治崎は自分の姿を見る。細く小さな声で、シズクは治崎を呼んだ。

「・・・わ、たし・・・また・・・?」
「・・・っ、」

治崎は顔を離し、端正な顔を歪めた。祈りが通じた、自然にそう思った。

「なおして・・・くれたんだ、ありがと・・・」
「お前・・・無茶はするなと、あれほど・・・!」
「ふ、ごめん・・・なさ、」
「・・・いい、気分は?」
「ん・・・ちょっと、寒い・・・ぎゅって、してくれる・・・?」

治崎の腕の中で、シズクは小さな身震いをした。治崎はその体をぐっと抱き寄せて、腕の中に収めた。細くて壊れそうな体。失いかけた事が、治崎の行動を大胆にさせた。

「へへ、あったかい・・・」
「・・・保健室に行くぞ。このままでいいか?」
「うん・・。歩けそうにないや、ごめん・・・せんせ、」
「今日だけ、特別に運んでやる。」

治崎はそのままひょいと立ち上がり、白衣でシズクを包み、歩き出した。グラウンドの外で待機していた生徒たちにその姿を見せると、何人もの生徒たちが安心で崩れ落ちて泣いていた。シズクは人望があるようだ。まとわりつく女生徒たちを抑えて、保健室に向かう。



「お姫様抱っこだぁ」
「・・・元気なら下ろすぞ。」
「いや。下りないもん」

保健室に着くころには、シズクの顔色もだいぶ良くなっていた。ベッドにシズクを寝かせて、バイタルチェックを始める。治崎は淡々と作業をこなしながら、すっかりいつもの無表情に戻っていた。

「せんせ、心配かけてごめんね」
「・・・もう、これきりにして欲しいもんだな。」
「・・・友達の上にね、おっきい岩が落ちてきそうになったの。それで風を増幅して助けようとして・・・」
「自分が死んじまえば、本末転倒だぞ。」

厳しい言い方だった。シズクが口をつぐむ程に。

「・・・そう、だよね・・・」
「・・・チ、」

しゅんと目線を下げたシズクのベッドに腰かけて、額に手を乗せる。

「悪かった。言い過ぎた。」
「・・・ううん、」
「個性の調整・・・うまくいってないのか?」
「・・・うん、事情知ってる人が少ないから、」
「ろくに鍛錬もできんな・・・」
「・・・」
「・・・俺が、見てやるっていうのはどうだ?」
「え?」

治崎の申し出に、シズクはきょとんと眼を丸くした。

「それなら、暴走も怖くないだろう。すぐ止めてやれる。」
「先生・・・いいの?」
「あァ。これ以上無茶されても迷惑だからな」
「・・・ふふ、ありがとう!先生が見てくれたら、頑張れるかも!」

すっかりいつもの調子で、シズクは笑った。まだ少し青い顔をしているが、その声にも力が戻っているようだ。使いきれない個性を持ったことを、憂いていたのだろう。不安が和らいだような、嬉しそうな表情だ。

「・・・ったく、調子のいい・・・」

治崎は緊張の糸が緩んで、マスクの下で少し微笑んだ。

「あ、笑った!」
「・・・」
「ねぇ、マスク取って!それでもう一回笑ってよ!」

シズクは体を起こし、治崎のマスクに手を伸ばした。治崎は動揺し、思わずその手を取っていた。

「あ・・・」
「・・・!」

ぐ、と近づく距離。鼻先が触れそうになって、時間が止まるような錯覚だった。甘く柔らかな香りが、治崎の鼻をくすぐった。シズクはそっと目を閉じて、唇を震わせている。

「・・・っ、」

治崎が何か思考するより早く、体がその唇を捕らえた。小さな唇に、直接触れる。不思議なことに、蕁麻疹は起きなかった。

「・・・ん、」

うっとりと目を閉じているシズクに、治崎の中で何かがぷつりと切れる音がした。

「・・・シズク、」
「んんっ」

ぐ、と深くキスを落とす。唇を割り、その下に隠れている舌を捕らえる。絡みつくように口内をかき回し、吐息さえも奪うような激しい口づけを繰り返した。

「んむ、」

合間に漏れる声が淫猥で、治崎の頭を熱くさせる。行為はどんどんエスカレートして、シズクの体をぐっと抱き寄せて更に奥へ侵入する。水音が誰もいない保健室に響いた。

「っぷは、せん・・・せ、」
「・・・シズク・・・、っくそ、」

唇を離し、蕩けた表情で見上げるシズクを抱きしめる。やってしまった。頭は冷静でも、治崎の体はこんなにもシズクを求めていた。体の中心が燃え上がるように熱くなって、足の間がずきずきと痛む。

「キス、しちゃった・・・ね」
「っお前・・・俺が、どれだけ我慢していたと・・・」
「へへ、」

悪戯っぽく笑うシズクの頬も、赤くなっていた。治崎の本音がうめき声に漏れて、消える。どちらからとなく、再び唇が重なった。ついばむ様に、いつくしむ様に、優しく触れるキスだった。

「・・・せんせ、好き」
「・・・」
「廻せんせ」
「・・・早く、卒業しろ。」
「ん?どーいう意味?」
「そのままの意味だ、ガキめ・・・」

ぎゅ、と強く抱きしめて、低く唸る。教師と生徒でいる間は、これ以上はまずい。治崎の冷静な部分が、あと一歩のところで崩壊しそうになっている。鎖骨のあたりにすりすりと黒髪が触れて、治崎はこみ上げるものをため息と共に押し殺していた。









FIN



あとがき
もう少し書きたかったような・・・書かなくて良かった、ような。