体温と、意地悪


「・・・あの、」
「・・・・・・。」
「・・・・・っ、あの!」
「煩いな・・・何だ、シズク。」
「これ、いつまで続ければいいんですか・・・!?」

不遜な態度で私を見上げているのは、雇い主である治崎さん。少し曇らせたような、低くて色っぽい声が不機嫌そうに漏れる。いや、不機嫌になられるのはおかしいけども。だって治崎さんは、かれこれ一時間も私の膝の上に頭を乗せて、微動だにせず瞼を閉じているんだから。

「いい加減、降りてください。」
「嫌だ、と言ったら?」
「・・・っ、この・・・!」

思わず拳を握るけれど、そんなことがこの人に効果があるわけもない。知らん顔を決め込んで、頭の向きを私のお腹に向けた。服を着ているのだから感じるわけがないけれど、吐息が当たるような気がして心臓が煩い。私は握り拳を諦めて、針と糸を持ち直してわざと大きなため息をついた。


事の発端は、治崎さんのシャツのボタンが取れかけているのに気づいたこと。
繕い直しましょうか、と申し出てみたら、治崎さんは一旦部屋を出て、何枚ものシャツを抱えて戻ってきた。

「・・・これ、全部ですか。」
「いつもは個性で直してる。どうせ1枚やるなら、全部やってくれ。」

・・・自分から申し出ておいてなんだが、この人の個性の万能さ、便利さを完全に忘れていた。分解して修復する個性、それは対象が物なのか、人なのかすら問わない。もちろん使いこなすまでに大変な努力があっただろうということは解る。私にも個性があるけれど、治崎さんのような強い力じゃない。それでも発言してから今まで、苦労や努力が少しはあった。

「・・・えーっと、治崎さんが個性で直せば、一瞬ですよね?」
「ああ、そうだな。」
「なら、やっぱりーーー」
「俺は少し休む。その間に済ませておけ。」
「・・・くっ!言うんじゃなかった・・・!」
「何か言ったか?シズク」
「なんでも・・・アリマセン。」

治崎さんはそう言うなり、応接セットに裁縫道具を広げて腰かけた私の膝に寝転がった。

「ひえ!?」
「・・・静かにやれ。休むと言っただろう」
「・・・こ、この体勢で・・・ですか?」
「早くしろ。」

そう言ったきり目を閉じた治崎さん。私は泣く泣く、なるべく体を動かさないように、10着はあるだろうシャツに取り掛かることになったのだった。






裁縫を始めてすぐ、規則正しい呼吸がマスク越しに聞こえてきたので、私ははっと手を止めてその顔を覗き込んだ。普段から、休憩を取る姿なんて見たことがない。いつもぱりっと働いていて、その仕事のどれもが几帳面で潔癖だ。もしとても疲れているのなら、休ませてあげなくちゃ。
私は横暴にも枕にされているのに、そんな気持ちさえ浮かんできてしまった。

忙しい人だ。
そして、他人に気安く触れる人じゃない。

私にはそれが、痛いほど分かっていた。

「・・・寒く、ないのかな」

ふと投げ出された体を見やる。引き締まって隙のない体躯だが、ソファに無防備に横になっていては冷えてしまうかもしれない。私は一旦針を置き、人差し指を立てて集中した。

潔癖症で汚れに敏感な人だから、コットンがいいかな。

少し経つと、黒く染められた柔らかそうなコットンの太い毛糸がするすると伸びてくる。

私の個性は、「ファイバー」。
体組織から繊維を生み出す個性。素材や色は多少、融通が利く。そして理解を深めて生成した毛糸などは、本物とほぼ同じ質感、特性を持つ。便利な個性とは言い難いけれど、縫物や編み物には重宝するから気に入ってはいる。

指編みでさくさくと簡単なブランケットを編んでいく。指から生成される毛糸は途切れないので、つなぎ目を処理する手間や、毛糸玉が絡まって難儀することもない。もともと手芸が好きなのもあって、シンプルな模様のブランケットはすぐに完成した。

「これを・・・かけて、っと」

ふわりとそれを治崎さんに被せる時、起こしてしまわないように細心の注意を払った。

「・・・ん、」

それでもすぐに瞼が薄く開いて、私は慌てて針とシャツを持ち直した。サボっていたわけではないけれど、ほかの事をしていたのを咎められそうで。

「・・・編んだのか、」
「・・・すみません、寒いかと思って。」
「・・・シャツは。」
「あと少しです・・・」
「・・・ならもう少し・・・眠る。」
「え」

遅い、と叱られるかと思ってびくびくしていたのに、治崎さんはまた瞼を閉じて、マスクを口元から外した。

(ひっ・・・顔、顔・・・!)

思わず叫び声を上げそうになったけど、何とか堪えた。普段見られない知崎さんの素顔は、とんでもなく整っている。長いまつ毛に綺麗な肌、鼻筋は通って、薄い唇は色素も薄い。不意に間近で見せられたものだから、心臓に悪すぎる・・・!

意識を何とか手元に戻して、作業を再開する。繕い物に使う糸も個性で作るので、ボタン付けはさほど時間のかかる作業ではない。

(落ち着け・・・私!
 早く済ませて、そっと起こして・・・離れよう。それまで持って、私の心臓!)

自分に言い聞かせながら、やっとの思いでボタン付けを終えた。知崎さんは相変わらず微動だにしないけれど、こほん、と小さく咳ばらいをしてみた。早く降りてほしい、足も痺れてきたし。

「・・・あれ?ごほん!」

反応がないので、もう一度。それでも知崎さんは、彫刻みたいに整った顔を少しも動かさない。そんなに深く寝入っているのだろうか、と少し耳を近づけてみる。規則正しく深い呼吸が聞こえて、どきりとした。

「随分大胆だな」
「ひゃ」

近づけていた耳に、急に響いた低い声。思わず体を跳ねさせて飛びのく。

「お、起き、起きてたんですかっ!」
「ああ」
「狸寝入り!!」
「寝たふりをしてた訳じゃない。無視してたんだ、お前の下手な咳払いを。」
「なお悪いですよ!」

知崎さんは顔を真っ赤にしている私を嘲笑して、意地悪そうに片方の眉を持ち上げた。

「もう、終わりましたから!降りてください!」

やけっぱちでそう叫ぶ。それでも治崎さんは、体を起こす気配がない。

「まだ眠気が抜けないんだ、急かすなよ。
 キスしようとしてたくせに。」
「きっ!?ちち違っ!!い!ます!」

にやにやと目元だけで嬉しそうにして、嫌みたっぷりに。違います!と叫んでも、知崎さんに勝てるはずがない。そのまま私の膝の上で両腕を投げ出して、長い足もいっぱいに伸ばしている。

ここで話は、冒頭に戻る。

「・・・あの、」
「・・・・・・。」
「・・・・・っ、あの!」
「煩いな・・・何だ。」
「これ、いつまで続ければいいんですか・・・!?」

わめき続ける私をよそに、あくびをひとつ。本当に眠いんだ、とふと我に返る。

「・・・これが暖かくて、また眠くなっちまった。」
「あ、でもやっぱり・・・短かったですね、足出ちゃってる。」

お腹の部分をぽんと叩いた治崎さんの足は、編んだばかりのブランケットからはみ出している。黒い正方形で編んだので、周りをもう少し編み足そうと指から同じ素材の糸を出す。

「大きくしますね、もう少し。」
「・・・俺を退かすのは諦めたのか?」
「・・・・・・・・これが完成したら、降りてください。」

さっそく編み始めてしまったので、今更退けとも言いづらくなってしまった。新しい糸は深いグレーで、周りには6角形のモチーフを繋げて縁取ることにした。

「・・・」
「・・・・・・見すぎじゃ、ないですか。」
「そうか?」
「穴開いちゃいます」
「お前の手が、何をしているのか全く解らん。」
「ああ、編み物ってしたことないと、何してるか意味不明ですよね。」
「絡まらないのか」
「大丈夫ですよ、正しい編み方であれば。」
「・・・もっとゆっくりやれ、」
「え?」
「それが終わったら、終わりなんだろう?」
「・・・っ、え」
「なかなか良いもんだ、膝枕ってのも」

ぼ、と頬が熱くなる。とろんと眠そうに見上げられながら、そんなセリフはズルすぎる。どうしていいのか、とりあえず手を止めてみる。治崎さんは手袋を外して私の手を掴んで、自分の胸に置いた。

「お前も休憩しろ。」
「ちょ、治崎さん・・・!素手、素手ですよ!大丈夫ですか!?」
「お前には出ない」
「・・・ええー・・・」

見ろ、と目の前に広げられた大きな手には、成程何の湿疹もない。そんな都合のいいことって、あるのだろうか。私は諦めて、肩をすくめた。この人は言い出したら聞かない。何を言っても、絶対に曲げない。それは、私にもよくわかっていた。

「シズク」
「・・・はい?」

私の目の前に出したままの大きな手が、不意にくるりと頬に回された。そのまま後頭部に添えられると、ぐいっと引っ張られる。突然のことで抵抗もできずに、私の顔はそのまま治崎さんの顔に急接近した。

「ん!?」

ちゅ、と唇が離されて、脳が停止する。
治崎さんは私の頭に手を添えたまま、にやりと笑っていた。

「したかったんだろ?さっき。」
「・・・えっ、ちょ」

思考停止した頭が回転を始めて、事態に気付く。

「なんだ。足りないか?」

軽くだったけど、確かに唇に触れた。暖かくて、意地悪な一瞬のキス。
治崎さんは、さっきまでどんなに言っても退いてくれなかったくせに、ひょいと起き上がると私の体を包囲した。
ソファの背もたれと治崎さんの両腕に囲まれて、どこにも逃げるスペースはない。

「ち、さきさ、待って・・・!」
「シズク」
「っぁ・・・」
「嫌なら、止める。」

まっすぐに見つめられて、私は呼吸さえも忘れてしまったように動けない。金色の瞳が、私を射抜いてる。低くてお腹に響く声も、知崎さんから漂い続けるいい匂いも、強くなった気がする。私の心臓は煩いくらいに早く打っていて、言葉なんて発せる状態じゃなかった。

「無言は、肯定・・・だな。」
「あっ、待っ・・・ん、」

あむ、と大きな口で食べられるようなキスが落ちてきた。そのまましばらく唇をもてあそばれて、息苦しくなって治崎さんの胸を叩く。

「・・・何だ、」
「く、苦し・・・!」
「ムードのない奴だな、お前は」
「あっ・・・あなたに、言われたく・・・!んー!!」

もう黙れ、とまた口をふさがれた。意地悪な金色の瞳が、至近距離で私を見つめている。宝石みたいで、危ない輝き。何度もキスが降ってきて、すっかり脱力したころに開放された。

「顔が赤いな、」
「・・・っふ、誰の・・・せい・・・です、かっ・・・!」
「そんなに睨むなよ。もっとやりたくなる」
「・・・!」

ぺろ、と唇の端を舐める仕草が、また私の胸を揺らす。息が整うまで、私には何の反論もできなかった。

「・・・っこの・・・ドS・・・!」
「ふ、」

必死ににらみつける私を一笑して、知崎さんはまた膝の上に寝転がった。