俺はその日から毎日同じ夢を見るようになった。
名前が死ぬ前日の出来事だ。
笑顔でアイツは出て行く。この後死ぬとも知らずに満面の笑みで出ていくのだ。俺はその度に止めようとした。何度も何度もその手を掴もうとするが簡単にすり抜けてしまう。
お願いだから。
夢の中ぐらい名前が生きてる未来を見させてくれよ。
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俺は未だ病院のベットの上に寝転がっている。
医者曰く精神状態が良くないので退院させる事は出来ないと言われたからだ。1日を指示された行動通り過ごす毎日。正直こんな生活に飽き飽きしている。ご飯だって食べたくはないが出されたものを残すのは悪いと無理矢理胃に押し込んでいるし、毎回同じカウンセリングもつまらない。早くここから出たいなと思う反面、彼女の居なくなった生活に準ずることはきっと何よりも辛いから現実と向き合うぐらいならここから出たくないと言う気持ちもある。今の気持ちをかき消す様に目の前に並べられた食事に向き合った。
「…秋刀魚が食べたいな……」
食欲はないけど好物なら別腹な気がする。俺は白米を口に放り込みながらそんなことをポツリと呟いた。因みに何を食べても味がしないし気持ちが満たされることは無い。名前の作るご飯が切実に恋しくなるばかりだ。もう二度と味わうことは無いそれに俺は涙が込み上げる。数えるのを諦める程俺は泣いた。そろそろ枯れてくれないかなと思う程涙は止まらないし鼻水も止まらない。
「げ…またクロ泣いてる…。そんなに泣いてるとご飯に入るよ」
「…っ別に、いいだろ……色々入った方が、味が付いて、美味いかもしれねぇし……」
「汚い…」
1日に1回必ずと言っていい程研磨は見舞いに来る。今日はタイミング悪く泣いてる時にやって来た研磨はいつものパイプ椅子に腰掛け顔を顰めた。正直食べるのも飽き飽きしていた所だし食べる手を止め鼻をかんでいると「ちょっとこのサイト見て欲しい」とまだ中身のある食器を押し寄せ目の前にノートパソコンが開かれる。とあるサイトが目に入った。
「…『後悔してる人へ…過去を変えられるのなら、貴方は明日どう生きますか?』ってなんだこの胡散臭いサイト」
「やっぱりそう思う?でもリスナーから教えて貰ったんだけど本当に過去を変えれるらしいよ。実際本人も体験したんだって」
「研磨…騙されてんじゃないの?そんな突拍子もない話有り得ねぇだろ」
まだ言葉を続けようとする研磨を遮ってノートパソコンをパタリと閉じた。そんな上手い話がある訳ない。サイトの隅に書かれていた住所。こんな所に行けばきっと変な薬物とか押し付けられて犯罪者にでもさせられるんだ。
そんな考えは半日前の俺。
そして今の俺は夜の病院を抜け出して走り書きでメモした紙1枚のみを握り締め薄暗い路地裏に来ていた。
「………来てしまった」
あの後研磨に対し「有り得ない」だの「騙されている」だの言いまくったのだが、心のどこかでほんの少しだけ期待していた。そんな事を言えば色んなヤツらに笑われるだろうがこの店を教えてくれた研磨なら笑わずに背中を押してくれたのだろうか。そして俺はわずかな期待を胸に病院を抜け出した。今頃病院では俺の捜索が行われてるに違いないだろう。もう後戻りは出来ない。藁にもすがる思いで俺は古びた木製の扉を押し開いた。
小さな店内にはお酒が壁一面に所狭しと並べられており微かに古い洋楽が反響している。ドアの空いた音に気付いた店主がこちらをチラリと見た途端「待ってました」とにこやかな笑みを浮かべた。
俺は素直に店主の指を指したカウンター席へと腰掛ける。
「貴方は不幸な方ですね」
初対面のこの店主はニコニコとした笑みのままそんな事を言った。まともな人からしたら失礼だなとか思うのかもしれないが俺にはそんな事を思う程の心に余裕もない。寧ろ自分でも不幸だと肯定してしまう。乾いた笑いをする俺に店主は1杯のお酒を作り始めた。
「過去を変えられるのなら、貴方は明日どう生きますか?」
作りながらそんな事を言う店主。そう言えばサイトにもそんな見出しが大きく書かれていた。
「お、れは…」
本当にそれは叶うのか。口にするだけ無駄なのではないか。ただこうやってあの気の滅入る場所から抜け出して羽を伸ばしたかっただけなのかもしれない。アイツはもう死んだ。二度と戻ってくることはない。俺が、俺が止められていたらアイツは死ぬことなかった。
カチャカチャと食器がぶつかる音。そして店主の大きくて黒い眼差しは俺の心を見透かしているように言葉を口にする。
「貴方の明日は私が決めます」
変えたい過去を言えと言わんばかりの店主の圧。こんな馬鹿げた話誰が信じるんだ。誰も信じてはくれないだろう。馬鹿か、俺は馬鹿なのか。現実を見ろよ。
そんな気持ちが身体中を駆け巡り自然と涙が溢れ出た。言って無駄かもしれない。俺は遊ばれているだけなのかもしれない。
それでもこの願いを、あの時の後悔を。
「俺は名前と生きたい。この先もずっとずっと名前と笑っていたい」
ポロリと口から出た本音。それに店主は「分かりました」と答え俺に1つの酒を差し出してきた。
「こちらマルガリータです。今の貴方にはピッタリかと」
「……はい?お酒の意味…とかですか?」
「それもありますが、取り敢えず飲んでから後のことは考えて下さい」
やっぱり嘘だったのか。店主は何事も無かったかのように片付けを始めている。まぁそんな上手くいくはずないよなと内心凄く気落ちしながら差し出されたお酒を口に運んだ。カクテルは二日酔いが酷くなったりして中々飲まないものだけど今日ぐらいはいいかもしれない。明日きっと病院に行って連れ戻されるだろうし、あの美味しくない病院食が待ち受けてるなら今日好き勝手飲んで二日酔いにでもなってやろう。机の上に有り金全てを叩き付けた。店主の驚く顔を見ながら俺は手元の酒を一気に飲み干す。
「この金でオススメの酒作ってくれ」
「そのお金は受け取れませんし、もうお酒は作れません」
「はぁ?何でだよ」
「もう代金は頂いておりますし……それにこの後貴方はすぐ眠りますからこれ以上は飲めませんよ」
「まさかお前変なもの入れ…た、んじゃ……」
グラりと視界が歪がみ意識が朦朧とし始めた俺は力入らず椅子から落下する。このエセ店主。やっぱり何かやばいもの入れていたんだ。後悔したって結局は自業自得。もう明日俺生きてないかもしれない。そんな不安がよぎるがそれはそれでいい。だって名前に会えるから。
「後はご自身で頑張って下さいね」
そう言って笑った店主。俺はもう何も考えられない。ただぼんやりと冷たい床を感じながら意識を手放した。