四条大橋恋愛事情
京都。観光客が大勢集まる四条大橋を渡り切ると四条通りがあり、そこは土産屋として賑わっている。
沢山の人々が往来する四条大橋、その中でカランカランと音を立て、履き慣れない下駄を両脚で操る良く見知った少女を見付けた少年たち。彼らは顔を見合わせると彼女へ駆け寄った。
「やぁ桃玄、君ったらまだそんな物を履いてるんだ」
「下駄は天狗の履き物だっていうのに、本当に物分かりの悪い狸だね」
桃玄と呼ばれたその少女はその少年たちの言葉に脚をピタリと止め、ゆっくりと彼らを振り返った。
「下駄を履いても天狗に迷惑は掛けていませんよ、金閣銀閣」
金閣銀閣と呼ばれたその少年たちは、ツンケンした彼女の返答を聞くと顔をむっくりと膨らませる。
「どおしてこう、下鴨家の狸たちは教養がないんだろうね」
「すごいぞ、兄さん。そんな難しい言葉を知ってるなんて」
「だって僕は下鴨家の狸たちなんかよりもずうっと賢いんだから。そんな僕と比べては桃玄があんまり可哀想だよ、銀閣」
両手を腰に当て、えっへんと偉そうな振る舞いをする金閣。そんな彼を讃える様に銀閣が手を叩く。「素晴らしいよ兄さん!」なんて崇め、崇められる彼らのやり取りをそのまま無視して、桃玄はカランカランと音を立てて立ち去ろうとした。
「あ!ちょっ…!こらー!」
立ち去る桃玄に気付くと、偉そうにしていた金閣と銀閣が一変。早足で歩く桃玄を挟んで、同じく早足で歩き出した。
「いつもいつも、君はどおして逃げるんだい!」
「逃げてません」
「何言ってるの!逃げてるじゃないか!今!現に!」
「早足で歩いているだけです」
言いながらも段々と速くなる桃玄の速度に、金閣と銀閣は必死になって追い掛ける。
「ああ言えばこう言うね!本当に君という狸は!」
「言い返せないからって逃げるだなんて!卑怯だよ桃玄!」
カンカンカンカン、と進む度に激しく鳴り響いていた桃玄の下駄の音が突然ピタッと止まった。急に立ち止まった彼女に驚いて、金閣銀閣は立ち止まり損ねて転び掛けた。
各々で「ぴゃあ!」と小さな悲鳴を上げながら転ばない様必死に悶える彼らを見詰めつつ、桃玄は呆れた風に問い掛けた。
「貴方たちは一体何がしたいんですか?」
なんとか転ばない様に悶え、姿勢を整えた金閣と銀閣は桃玄の問い掛けにムッと眉を顰めた。
「君は本当に気が強くて女の子らしくないね」
「そうだよ。女の子っていうのは本来可愛らしいモノなんだ」
「そんなんじゃ、桃玄をお嫁に貰ってくれる狸なんて現れないんじゃないかなぁ?」
今度は桃玄がムッと眉を顰める。
「別にお嫁に貰われなくて結構です」
「そんな強がりを言っちゃって!本当に可愛いくないね!」
「兄さんの言うとおりだよ!」
何がしたいのか、という桃玄の問いの答えは至って簡単で。彼らは兎に角桃玄が悔しがったりムカついたりする姿が見たいだけなのだ。
それは何故かと言うと、金閣銀閣と桃玄の家系が因縁を抱えているからである。
桃玄の他の兄弟はすぐに怒ったり反論したりするが彼女は余り感情を露呈しない。それがどうだ、この手の話題になると彼女は見るからに不愉快を顔に出す。
「あ!そうだ!」
桃玄は表情の変化や感情の起伏が余りない。その彼女がここまで感情を表に出すのが面白くて面白くて、金閣は今までよりも更に意地の悪い事を思い付いた様であった。
「君を貰ってくれる様な狸なんて現れないだろうし、この頭脳明晰で将来有望な僕が貰ってあげようか」
言い切った後少しの間が空いて、彼の横にいる銀閣が驚いた声を上げた。それは俗に言うプロポーズに分類する言葉だったが、金閣は深い意味を持たずに発してしまった。
銀閣は驚いているけれど、肝心の桃玄は黙って金閣を見詰めたまま何も言わない。
が、しかし。途端にポンッと間抜けな音がして彼女から狸の尻尾が生えた。
「…ぇ、え…?!」
焦った様に尻尾を引っ込めた桃玄の顔は先程と打って変わり林檎のように真っ赤に火照って、今にも泣き出しそうになっていた。
嫌がったり、屈辱だと怒ったりして欲しかっただけなのに。そんな桃玄の様子に金閣だけでなく、銀閣も思わず驚いてしまう。
「そ…そんな冗談は、よしてください……!」
声を絞り出して言いつつ必死で動揺を隠そうとする彼女の姿に、今度は呆然とする金閣の尻尾がポンッと飛び出た。
「あ!兄さん尻尾…!」
これは夷川呉二郎がライバル関係である下鴨桃玄に心を奪われてしまった、そんな遠い過去の出来事である。
▪︎
人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。
人間と狸と天狗の三つ巴が出来上がっているこの京の街。勿論京都以外にも狸や天狗はいるが、下鴨桃玄という狸は京都の下鴨神社・糺ノ森に住んでいた。
彼女には母が一匹、兄弟が四匹いる。父は数年前に熱々の鍋を経て人間の身体の一部となった。
そんな父は狸界を束ねる立派な狸であった。その偉大なる父が残したのが下鴨家の五匹の狸だ。
頭でっかちで土壇場に弱い長男、洛中で一番やる気が無く井戸に引きこもった次男、気分屋で束縛嫌いの長女、怖いもの知らずで阿呆の三男、そして小っこくて小心者の四男。
「学生はそろそろ帰る時間じゃないですか?」
辺りがすっかり暗くなった頃、四条大橋で南座を見物する女学生の姿があった。見物は見物でも、やけに独り言が多い不思議な少女であるが日雇いの仕事を終えてカンカン歩いていた桃玄は迷い無く彼女へ声を掛けた。
声を掛けられた女学生はふいと彼女へ視線を向けると微笑んだ。
「やぁ、姉さん」
「こんばんは、矢三郎。何をしているんですか?」
矢三郎と呼ばれたこの女学生は、桃玄の弟である。何故男である筈の矢三郎が女の見てくれをしているのかと言うと、何を隠そう彼らは狸なので思い思いの姿に化けられるからである。
桃玄の問い掛けに、矢三郎はフフフとほくそ笑んで答えた。
「如意ヶ嶽薬師坊先生と弁天様の逢引なり」
そう答えられ、桃玄は南座の瓦屋根へ目を向ける。そこには矢三郎が言った通り腰が引けた老人とそれを見下ろす美女が立っていた。途端に桃玄の顔がムッとして顔を背ける。
「天狗は苦手です。偉そうだから」
「天狗は偉そう、ではなく偉いのだよ、姉さん」
そう言うと矢三郎は「あれ?」と小さく声を漏らした。その声につられて桃玄が矢三郎の目線を追い掛けると、南座の瓦屋根にいた筈の弁天が夜空を飛び回っていた。
どうやら如意ヶ嶽薬師坊先生は置いてけぼりを喰らった様子。
「矢三郎、赤玉先生のお世話は任せましたよ」
「全く。皆して俺に押し付ける」
「嫌いではないでしょう?私は嫌ですから」
「姉さんの天狗嫌いは皆知ってるよ」
「嫌いでは無く、苦手ですよ」
はいはい、と遇らうと矢三郎は女学生の姿のまま南座へ歩いて行った。
………
2025 10.08