チョコレートと新規事業

クリスマスに正月と年末から新年に掛けて、人間の生活にはイベントが目白押しである。
それは2月に入っても同じであり、先日矢三郎らが無事終えた節分もその一つであるが、まだもう一つ大きなイベントが存在している。
そのイベントとはバレンタインだ。
女性が好いた男性にチョコレートを渡すと言う、色恋に浮き足だった者とお菓子業者が揃って万々歳待ったなしのイベントである。

「ニセ電気ブランボンボン、ですか」

丸太町通りの居酒屋にて、桃玄がそうおうむ返しした。
今年に入ってから金閣と桃玄は二匹で出掛ける様になっていた。工場の仕事を終わらせた後に時折金閣から連絡が入り、桃玄が了承した時のみ開催される飲み会。
本日も数時間前に連絡があり、工場帰りの矢四郎を糺ノ森へ送ってから居酒屋に集合したばかりであった。

「そうなんだよ、矢三郎の奴が海星に提案したみたいでね。新規事業としてチョコレートを作る羽目になったんだ」
「ああ、成程。最近矢三郎がやたらとチョコレートの話をしていた謎が解けました」

納得した様に桃玄が言った。
ここ一週間ほど矢三郎がやけにチョコレートの話をする不可解な現象が起きていたので、桃玄の中で事件が一つ解決した瞬間であった。
基本的にお喋りな金閣が話題を出す事が多いこの会だが、どうやら本日の話題は新規事業への愚痴の様だ。
日本酒をグイッと飲み込むと、金閣は詳細を話し始めた。

「始めから本当に苦労してね。僕らと矢三郎が三日三晩考えて作った企画書を出したら、海星ったらなんて言ったと思う?僕らはクビだって!やんなっちゃうよホント!」
「どんな企画書を出したんですか、貴方たちは…」

言いながら空になった金閣のお猪口に酒を注ぐ。金閣が短く「ありがと」と言った。
早雲が不在となった今、ニセ電気ブラン工場の責任者は海星になっていた。金閣銀閣の阿呆ぶりを知っていれば、天地が逆さになったとて彼らを責任者にする訳はないだろうが。海星ならばまさに適任という奴だ。
それにしても実の兄たちをまとめてクビにしたくなる程の企画書とはどんな物なのか、と桃玄は非常に気になった。
実際三日三晩考えて作られた企画書は一行だけだったのだが、その内容も小学生が作ったのかと疑いたくなる程の出来栄えだったとか。

「なんとか謝り倒してクビは免れたけど、その後も大変でね」
「矢三郎と喧嘩でもしながら作ったんですか?」
「口論の絶えない会議だったよ。ただ矢三郎のいう事を聞けって海星に言われていたから、悪戦苦闘したさ」

桃玄は日本酒をクイと飲みながら考えた。
金閣銀閣と矢三郎だなんて揉めるに決まっている。何故海星はこんなメンツにしたのか。そして何故ニセ電気ブラン工場の新規事業に矢三郎が関わっているのか。いくつかの疑問点が出て来てしまった桃玄である。
会議を思い出してか忌々しい表情を浮かべる金閣に、彼女は尋ねた。

「結局企画書は完成したんですか?」
「それは勿論!やーっと僕らの方は落ち着いたから、こうして君を飲みに誘ったわけ。後は海星が試作品を作るのを待つばかり、という訳さ」

そうして再び金閣は日本酒をクイと飲み込んだ。彼の説明を聞いてより一層納得した桃玄であったが、ニセ電気ブラン入りのチョコレートを狸たちに販売して売れるのか?という些細な疑問は出てしまった。
しかし酒好きの彼女からすると興味はある。
海星が試作品を作っているという話だが、きっと阿呆三匹が作り出した企画書なんて無理難題が詰まっているに決まっている。
「海星も大変だろうな」と考えた桃玄は日本酒を飲み込むと、空になった二匹分のお猪口にトクトクと酒を注ぎながら言った。

「家族経営というのも中々大変な物ですね。しかも妹が上の立場だと」
「海星は本当に厳しいよ。けれど僕らの新規事業が失敗してしまった手前、強く出れないんだよねぇ」

悩ましげな表情を浮かべて金閣が言った。
彼らの新規事業とはなんだったかと桃玄は一瞬考えたがすぐに思い出した。

「あぁ、あのTシャツですか」

桃玄が言うと金閣は「うん」と答えた。
金閣銀閣が失敗した新規事業とは「天下無敵」「美人長命」とデカデカと書かれたTシャツ販売の事である。
桃玄も金閣から一枚ずつ貰っているが、文字が文字なだけあって表立って着れない白物だ。
案の定殆ど売れなくて沢山の在庫を抱えてしまった金閣と銀閣は海星に怒られていた。

「工場を出入りする狸達に売りつけたからある程度の在庫はハケてはいるんだけどね」

得意気に言い切った金閣の言葉を聞き、桃玄は「なんというブラック企業か」という感想を抱いた。
ちなみに桃玄の知る限りあのTシャツを愛用している人物は弁天のみであるが、実を言うともう一匹いる。
再び日本酒をクイと飲み込むと桃玄は言った。

「今まで言わなかったんですが、私はたまに着ていますよ」
「え!本当に!」
「人間の友人と会う時にですけどね」
「君が着てくれているなんて嬉しいなぁ」

染み染みとそう言った金閣に気恥ずかしくなり、桃玄は「はぁ」という曖昧な相槌を打ってしまった。
流石に家族相手に「天下無双」と名乗るTシャツを着るのは頂けないが、友人同士のノリでならまだ着れる。折角頂いたのに埃を被らせるだけなのは勿体無いと思ってのあれである。
今度は金閣が二匹分の日本酒を注いで、話はチョコレートの話題に戻った。

「それで、チョコレートなんだけど。ニセ電気ブランを使った物だからきっと君も気にいる筈なんだよね。試供品になるけれどいるかい?」
「頂きたいです」
「そう言うと思って海星に一つ多く作ってくれる様に頼んでおいたんだ」

桃玄からの好感度を抜かり無く上げる為に、ちゃっかり海星にお願いしていた金閣。
この新規事業の話が出た当初から「桃玄にニセ電気ブランボンボンをあげよう」と心に決めていた金閣。
試作品が食べられると喜んだ桃玄は嬉しそうな顔をして「いつ出来るんですか?」と金閣へ尋ねた。しかし彼は腕を組んで「うーん」と難しい顔をした。

「それがまだわからないんだよね。多分数日で出来るとは思うけれど…」
「まぁ、チョコレートを作るのは手間が掛かりますからね」

"人間かぶれ"と呼ばれる桃玄は、こういったイベントで遊ぶ事が多い。
人間の友人と何度かチョコレート作りを経験した事があるが、中々に難しかった記憶があった。
そんな過去を思い出しながら試作品開発に頭を抱えているであろう海星をフォローした桃玄であったが、その発言に「え!」と驚いた様に金閣が声を上げたので彼女もまた「はい?」と不思議そうな顔を見せた。

「なんですか、突然」
「ええっと、いや。ううん」

明らかな動揺を見せているのにも関わらず、金閣は視線を泳がせてそんな事を言うもんだから桃玄はムッとした。

「何かあるんでしょう。はっきり言って下さい」

桃玄が不満そうな声で言うと金閣は腹を括った。しかし日本酒をグイッと飲み込んでからだったので、酒に頼ったと言っても過言ではない。
彼女の方へ向き直って金閣は神妙な面持ちで静かに尋ねた。

「…桃玄は、そのぅ。誰かにチョコレートをあげるの?」

少々の呆然の後「そう言うことか」と桃玄が納得したと同時に、注文していたつまみを店員が運んで来た事でこの会話は一旦中断となった。
店員が去ると気不味そうな表情を浮かべ黙り込み、自身のお猪口に日本酒を注ぎ始めた金閣を見て「なんというタイミングの悪さか」と堪え切れずに桃玄は腹を抱えて笑った。


▪︎


というわけで。あの後酔っ払った金閣が話の脈略関係なしに「桃玄からのチョコレートが欲しい」といった意味合いの言葉を散々吐き出して来た為、桃玄は最善を尽くしてやる事にした。
そうして2月14日のバレンタイン当日、彼女は小さな袋を引っ提げてニセ電気ブラン工場へやって来ていた。
しかし男性にチョコレートを渡した事がない桃玄は、思いの外気恥ずかしくなり直前で渡すか悩み始めていた。そんな棒立ちな彼女へ声を掛けた者が。

「桃玄ちゃん?」

呼ばれた桃玄が振り返ると、南禅寺正二郎の妹である玉瀾が不思議そうな顔をして立っていた。
何故玉瀾がこんなところにいるのかという疑問点が桃玄の脳内に舞い降りたが、彼女はハッとして持っていた袋を後ろ手に隠した。

「玉瀾、どうしてこんなところに?」
「海星ちゃんのお手伝い。桃玄ちゃんは?」

どうやら玉瀾はニセ電気ブランボンボンの試作品製作の手伝いをしていたらしい。
玉瀾に尋ねられた桃玄はなんと答えようかと思考した。
素直に金閣に懇願されたバレンタインチョコレートを手渡しに来たと伝えるべきか、しかしそんな事を玉瀾に伝えても良いのか?彼女は矢一郎と仲が良い。長兄に伝わってしまったらなんと言われるかわからない。
そんな風に悩んで何も言えないでいる時間が数秒あったというのもあるが、後ろ手に隠した袋にも気付いた為に玉瀾はニコリと笑顔を作った。彼女が何かを隠していると察した為である。

「特に意味なんてないわよね。桃玄ちゃんの趣味は目的なく散歩する事だもの」

そう言ってニッコリと笑顔を向けて来た玉瀾に、桃玄は妙な気分になった。気恥ずかしいだけでなく、自分が情けなくなった様な。そんな気分。
桃玄が玉瀾に対して「まぁ、はい」と曖昧な返事をすると、彼女は笑顔を崩さずに言った。

「金閣たちにもし顔を出すのなら、彼らは家の方へ向かって行ったわよ」

夷川邸を指差しながら玉瀾が放った言葉により、何故こんな所で棒立ちしているのかバレてると桃玄は確信した。
小さな声で「はい」と返事した桃玄を見届けると、玉瀾は「じゃあまたね」とご機嫌な様子を隠すつもりなく立ち去っていった。

「しくじった…」

ガサリと手に持った袋が音を立てる。
小さくなっていく玉瀾の背中を見届けながら、桃玄は小さくぼやいたのだった。


▪︎


夷川邸の門は相変わらずすぐに開いた。
ご丁寧にも夷川親衛隊が「金閣殿達は事務所におられます」なんて教えてくれたので、彼らを探すのに手間は掛からなかった。
一応念の為二匹分用意してきたが、どうにも気恥ずかしい為に金閣のみに押し付けたかったがこの際仕方がないだろう。
事務所の扉をノックすると「なぁに」と金閣の籠った声が聞こえた。

「こんにちは」

そう言って開けた扉の隙間から桃玄がひょっこり顔を出すと、ソファーにふんぞり返って座っていた金閣が途端にモタモタしつつ立ち上がった。一足遅く銀閣も立ち上がる。

「ど、どうしたの!桃玄…!」
「何かあったの?桃玄!」

金閣と銀閣は発した言葉の割に、桃玄が何故ここに来たのかわかっていそうだった。わかりやすく彼らの表情は期待に満ち溢れたものになっていたからだ。
上がるのをなんとか耐えている二匹のその口角に気付きながらも、桃玄は呆れた様子で手にぶら下げていた袋をひょいと持ち上げた。
何も言わない桃玄への彼らのバレバレな演技は続く。

「ど、どうしたのそれはぁ!め、珍しいね!手土産かなぁ!?」
「に、兄さん!嬉しいね!手土産は何だろう!」

自分から所望しておいて気付いていないフリを続ける金閣、そしてそれを把握しているのに気付かないフリを続ける銀閣に「はぁ」と桃玄は盛大なため息を吐き出した。
金閣と銀閣はその様子を見ると「あー」とか「えーっと」なんて声を漏らしながらゆっくりと顔を見合わせた。

「自分からくれと懇願しておいてなんなんですか貴方は」
「ご、ごめんよ桃玄〜!ちょっと浮かれてただけなんだよ〜!」
「僕らは不慣れなバレンタインに浮かれてしまっていただけなんだ…!」

白状するも不機嫌面の桃玄に、金閣銀閣は彼女の元へ駆け寄った。
桃玄の右手を取りエスコートの様な仕草を取った金閣に、彼女の背後に回り込みその背中を両手で押す銀閣。
あれよあれよの内に事務所に入室させられソファーに座らされてしまった桃玄。
「なんですか、もう」と文句を垂れる彼女の前に片膝付いて座り込み、二匹はまるで神にでも祈るようにお祈りポーズを取った。

「ば、バレンタインのチョコレートでしょ…!?恵んでください!」
「お願いだよ桃玄!この日を兄さんがどれだけ楽しみにしていたことかぁ!」
「…そんなに謙らなくとも態々渡しに来たんですから、あげますよ」

桃玄がそう言うと涙目だった二匹の表情は分かりやすくパァ!と明るくなった。
あまりにも分かりやすいものだから桃玄は思わず視線を逸らしてしまった。
その自分の感情がバレない様に目の前の二匹に持っていた袋を漸く差し出した。
「うははーい!」とこれ見よがしに喜びながら手渡された袋を漁り始めた二匹に、桃玄が補足した。

「赤いのが金閣。青いのが銀閣ですからね」

気紛れな桃玄が態々二匹のズボン色で分かりやすく箱を分けてやったのだ。
桃玄の説明を聞くと赤い箱を手に取った金閣がわなわなと震え出した。「雲外蒼天という奴だぁ…」と半泣きで独り言を溢す金閣に、青い箱を持った銀閣が「良かったね兄さん!」と嬉しそうに寄り添っている。
懇願されたから用意してあげただけなのにそこまで喜ばれると桃玄にも気不味さが込み上げてくる。
しかし何故だか悪い気はしなかった。


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2026 01.27

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