雷神様としかめっ面
天地が逆さになったかの様な天気だ。
ゴロゴロと鳴り自己主張を繰り返す雷神様にはもう懲り懲りである。
「母上?」
化け術を持つ狸たちは年がら年中好きな物に化けたりしているが、平常心でいなくては化けられない。
つまり、苦手な物を目の前にしたり心の底から驚いたり、痛い思いなんかをするとその化けの皮が剥がれてしまうのだ。ちなみに下鴨の四男坊も怖がりでよく尻尾を飛び出させている。
下鴨兄妹の母・下鴨桃仙の苦手な物は雷神様で、その音を聞くとすぐに元の姿に戻ってしまう。
下鴨総一郎がまだ健在だった頃、母は雷神様に怯えて車に轢かれた事があった。その為、父亡き今は雷神様のご来着の際は兄妹が総出で母の元に集うのである。
「母上、いないのですか?」
そんな理由で急いで糺ノ森へ戻った桃玄であるが、どうやら母はここにはいない様だ。
寝床を覗き込んでも母の姿は見えない為、彼女が行きそうな場所へ向かう事にした桃玄の表情は、珍しく焦った風だった。
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母はビリヤードが趣味で、週に何度か賀茂大橋近くのビリヤード場に足を運ぶ。
「黒服の王子」の姿に化けて遊ぶのだが、その際に桃玄も何度か付き添った事があるので道は覚えていた。
ビリヤード場の扉を開くと髭を蓄えた店主がびしょ濡れの桃玄へ視線を向けた。
「いらっしゃい」
「黒服の王子はいますか?」
「あ〜、さっきまでいたんだけど。狸騒動でどっか行っちゃったね」
「狸?」
「そう、そこのカフェで狸が出たんだって」
店主が指差した方へ視線を向けると、カフェの客が騒然としている様子が窺えた。この様子を見るに、狸騒動は本当に今さっき起きた出来事の様だ。
桃玄は店主に礼を言うと、今度はビリヤード場と一体型になっているカフェへ足を向けた。
「狸がいたらしいですね」
「あ、はい」
「何処へ行きました?」
「狸ですか?店内を走り回って、その後あの窓から飛び出して行きましたよ」
カフェの店員に声を掛け狸の行き先を聞いた桃玄は、今度は彼女に礼を言うとその場を後にした。
狸騒動の狸。つまり母の逃げた先は鴨川の河川敷である。雷神様に怯えて川に飛び込んで流されてはいまいか、なんて良くないことを考えてしまったが、きっと近くにいる筈だと賀茂大橋周辺を探し回る事にしたのだった。
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「何の因果だ!何故俺の弟たちはこんなに役に立たない奴ばかりなんだ!」
出町柳駅まで捜索し結果賀茂大橋に戻って来ると、桃玄の耳に聞き覚えのある矢一郎の怒号が聞こえた。遠目で見てもわかる程彼は錯乱状態である。
ビリヤード場の前で佇んでいる様子を見ると、彼らも母の行方は掴めていないのだろう。桃玄は早足で兄弟の元へ近寄った。
「姉ちゃんだ」
この天気の悪さでも桃玄のカランカランという下駄の音は目立つ為、矢四郎がすぐに彼女の存在に気付いた。
「何処を探していたんですか?」
嫌味ったらしく言ってしまったが、それもそうだろう。
母はいつもビリヤードに行く時には家族の誰かを連れて行くのだ。矢一郎は今朝から予定があったらしいので、母がビリヤード場にいることは矢三郎か矢四郎が知っていた筈。だというのに来るのが遅すぎやしないか?ということである。
「まだ何処も。金閣銀閣に足止めを食らっていたんだ」
桃玄のいつもより不機嫌そうな表情に気付いてか矢三郎が返事をしたので、遅い理由を把握した彼女はなんだか肩の力が抜ける気がした。
「全くあの二匹は…」
「そんなことより!早く母上を探さねば!桃玄!母上を見なかったか!?」
「見なかったので私も探してるんですよ、兄上」
未だ錯乱状態の矢一郎に詰め寄られるが、この状態の長兄のポンコツ具合はよく把握しているので軽く受け流す事が可能である。
▪︎
どうやら母は賀茂大橋の下にある暗がりに隠れていたらしい。
うろちょろしていた矢四郎を回収した矢三郎が出町橋の上にいた桃玄の元へやって来た。その腕には全身の毛をびしょ濡れにさせた母が抱かれていたので、桃玄は盛大に大きな安堵のため息を吐き出したのだった。
それはそうと、捜索に出た筈の矢一郎は行方知れずである。
「兄上は何処まで走って行ってしまったんですか?」
「同志社大学の方面へ行くとは言っていたけど」
「そんな所まで?」
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その後錯乱状態で今出川通を走り廻っていた矢一郎をとっ捕まえ、無事母の捜索を終えた一行。では人力車に乗り糺ノ森へ帰ろう、となったのだが、桃玄は行くところがあるからとそのまま母たちとは別れたのだった。
桃玄が向かった先は夷川発電所だった。
「あれぇ?どおしたの、桃玄」
「こんにちは、金閣」
夷川親衛隊に促され通された部屋は金閣の自室。ドアをノックすると金閣が顔を出した。
そんな金閣は、全身ずぶ濡れの桃玄を見ると不思議そうな顔をする。
「どおしてそんなにびしょ濡れなの?」
「母上を捜索してまして」
「あぁ〜、この天気だからね」
夷川家の狸たちも下鴨家の母が雷を怖がる事を知っているので話は早い。
なんだか色んな感情を孕んだ表情を見せた金閣は桃玄を部屋に招き入れた。
「そんなにびしょ濡れじゃ風邪を引いてしまう。風呂を貸すかい?」
「いいえ、すぐに帰りますから」
「あ、そ。じゃあせめて拭く?僕が使ったのだけれど」
そう言って金閣は少し湿ったタオルを桃玄に促した。濡れたままでいるよりかはマシかと考えタオルを受け取ると、桃玄はそれを頭からバサリと被って滴る水滴を吸収させる。
タオルで身体を拭きながら、無駄に豪勢な革張りのソファーに腰掛け温かいお茶を啜る金閣を視界に入れた。話によれば、いつも通り矢三郎たちに突っ掛かって矢一郎にやり返され、川に放り込れたらしい。故に彼は風呂上がりなのだろう。
「矢三郎たちにまた突っ掛かったと聞きました」
ひと通り水気を拭き取ると話し出した桃玄の言葉を聞くと、金閣はわかりやすくしかめっ面をした。
「まぁその話だとは思ったけどね?」
ズズズとお茶を啜ると、フーと大きく且つわざとらしい溜め息を吐き出した金閣。
夷川からの桃玄への態度。それを彼女は理解しているので、下鴨家の狸たちが意地悪をされると定期的に文句を言いに来るのだ。
今回は母の命が脅かされる大事であったので、大概にしなさいとクレームを入れに来たのである。
「お茶は?」
「頂きます」
桃玄が即答すると、金閣はテーブルの上に置いたままだった急須を手に取り空の湯呑みに茶を入れ始めた。茶を入れながらも不機嫌顔は継続させていた。
「でもこればっかりは仕方がないんだよ。矢四郎は仕事を放棄して逃げ出したんだから」
言い終えると「はい」と湯呑みをテーブルに置いて桃玄に促した。
こういった仕草を見ると、彼は根っからの悪ではない事がわかる。しかし桃玄の家族の前では決してこんな姿は見せないので、家柄の云々は本当に面倒くさいモノだなと常々彼女は思っている。
促された通りに彼の座るソファーの向かいに腰掛けると、桃玄は尋ねた。
「矢四郎は仕事中だったんですか?」
「そそ。それでクレームなんか付けられちゃたまったものじゃないよ。悪逆非道という奴だ」
やれやれといった動きをする金閣を視界に入れながら、桃玄は考えた。
矢四郎は夷川家にお願いして働かせて貰っている立場である。些か意地悪が絶えない環境ではあるが、立場上は雇い主である。その雇い主である金閣が業務中だと言っているのに、矢四郎は抜け出してしまったと。
うーむと散々思索した後、桃玄はゆっくりと口を開いた。
「…成程、今回は此方も悪いですね」
「でしょ?だからクレームは受け付けないよ」
桃玄の言葉にようやく不機嫌面を引っ込めた金閣は、今度はご満悦そうに笑った。得意のニヤリ顔である。
「まぁ、君に免じて今日の事は水に流してあげる。僕は心の広い狸だからね」
「ありがとう、金閣。伊達に水に流されていないですね」
「…一言多いよ」
またしかめっ面を見せた。
………
2025 10.31