五山送り火
人間の日常生活や年中行事を真似て遊ぶ狸たちは、夏の風物詩である五山送り火の宵、空飛ぶ納涼船を宙に浮かべてどんちゃん騒ぎをする。
「もうこんな季節ですか」
黒服の王子の付き添いとして御令嬢に化けた桃玄が五山の送り火のイベントを知らせるポスターに気付き、ふと呟いた。
その呟きに黒服の王子が返答した。身振り手振りが大きく、まるで宝塚の様である。
「早いものさ、一年というものは」
「そうですね。それにしても今年の送り火はどうするんでしょう」
下鴨家が愛用していた万福丸という納涼船は、昨年夷川家との不毛な合戦によって木の塊にされてしまった。「景気づけの花火が引火した」と夷川家は言い張ってはいるが、そんなわけがないだろうに。
「矢一郎が奈良の知り合いから借りると言っていたよ」
「奈良の…。兄上は奮起したのですね」
ふむふむ呟くと、身振り手振りの激しかった黒服の王子がコソコソと小さな声で桃玄の耳元で言った。
「夷川の連中が何か邪魔をするかもしれないから、桃玄から釘を刺しておくんだよ」
黒服の王子から母の口調に戻った彼女の言葉に、桃玄は頷いて了承した。
奈良の知り合いから借りるという事実が金閣銀閣にバレていなければいいのだが、ニセ電気ブランに群がる夷川親衛隊がいる為彼らは意外と情報収集を得意としている。早めに対策を取っておいて損はないだろう、と言う事で本日の予定が決まった桃玄であった。
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「こんにちは」
夕刻、矢四郎のお迎えをする為に夷川発電所に顔を出した桃玄。いつも通りスルスルとニセ電気ブラン工場まで辿り着くと挨拶の言葉を工場内に響かせた。
「やぁ桃玄。お迎え?」
「はい。矢四郎は何処ですか?」
桃玄が来た事に気付き顔を覗かせた金閣に尋ねると、矢四郎に使ってない部屋の掃除をさせているのだと教えられた。
いつもならそのまま矢四郎を回収して帰る、という流れなのだがコレはチャンスであると桃玄は思った。
「掃除はまだ掛かりそうですか?」
「どうだろう。矢四郎は鈍臭いからなぁ、少し掛かるかもしれない」
「また無理難題を押し付けているんじゃないでしょうね」
「そんな事はしない。公平坦懐な心で僕らを見ておくれよ」
「それは四字熟語ですか」
「そそ。物事に先入観を持たず、素直な気持ちで向き合うという意味の四字熟語さ。僕は本で読んだ事がある」
正しくは虚心坦懐であるが、桃玄も四字熟語に詳しくない為「へぇ」と相槌を打つしかない。
それはそうと、この状況は母からの「夷川の連中に釘を刺しておけ」というお願いを実行するには絶好の機会なのではないかと桃玄は思った。
「掃除が終わるまで待っていても?」
「別に構わないけど。事務所で待っておくかい?」
「はい。禁酒中なので早く工場からお暇したいです」
「全く。君の禁酒はいつまで続くんだろうね」
「まぁ、気分が変わるまでですね」
呆れた顔の金閣に、桃玄は飄々と受け答えした。
数年前までの桃玄は、今とはまるで別の狸の様に酒浸りな毎日を送っていた。年がら年中矢二郎と二匹で、父も入れて三匹で酒を飲み交わしていたのだ。
しかし父が亡くなり、矢二郎が井戸に籠ってからというものすっかり健康思考の禁酒中である。
ニセ電気ブランを好んで摂取しご機嫌で洛中を徘徊していた桃玄であるので、ニセ電気ブランの製作をしている金閣からすれば禁酒などあまり喜ばしいものではないのだろう。
「禁酒が終わったらニセ電気ブランをプレゼントするよ」
「いつになるかわからないですよ」
「君の気分屋具合は知っているからね。へいちゃら、へいちゃら」
自慢気に言う金閣の横を歩きながら、五山の送り火の話をどう切り出そうかと頭の中を捏ねくり回す。
奈良の知り合いから納涼船を借りる事を既に知られているのか、それともまだ知らないのか。どうもこういった駆け引きは苦手な為、桃玄は真っ向から釘を刺す事に決めたのだった。
「金閣」
「なんだい」
「五山の送り火のことですが」
五山の送り火。そのワードが出た途端、金閣は顔をむすっとさせ忌々しそうに言った。
「去年のことは散々謝ったじゃないか」
不貞腐れた態度の金閣だが、内心焦っているのが手に取るようにわかった。
昨年の五山の送り火で下鴨家の狸たちが乗る万福丸が亡き物になった後、憤怒した桃玄が夷川発電所に乗り込んだ過去がある。
桃玄は基本的に温厚な狸で、並大抵のことでは怒ったりしないのだ。
それが昨年の怒り様と来たら。亡き父の納涼船を壊された事はかなり頭にきたのだろう。金閣銀閣にトラウマを植え付けさせるには充分な憤怒具合であった。
「去年のことはもう散々怒りましたからいいんです」
「じゃあ何だと言うの」
「今年のことです。今年はお互いに、楽しく過ごせないでしょうか?」
桃玄の提案に金閣はグッと押し黙ってしまった後、彼女から顔を背けて反論した。
「今年は〜と言ってもね、去年は景気づけの花火がたまたま引火しただけじゃないか」
「それは何度も聞きました。去年あんな事があったのだから、今年は気を付けてくださいと言っているんです」
金閣も頭の回転は早い方なのだか、桃玄は真っ当な意見で対抗した。しかし彼は負けじと食い下がる。
「僕らだって楽しく過ごしたいさ。だと言うのに?君の家族はいつも喧嘩腰じゃないか」
「先に喧嘩を吹っ掛けるのは、毎度貴方たちからでしょう」
「ほら、すぐに僕らのせいにする!去年のことも、勿論僕らも悪いけどね!君らは鼻っから僕らが悪いと言ってくるじゃないか」
「そう思いたくなくても貴方たちの普段の行いが悪過ぎるんです」
ここで桃玄が放った言葉に「ひどいや!」なんて声をあげ、大袈裟なリアクションで自身の胸を左手で押さえた金閣。
「桃玄はわかってないね!僕が今どんなに傷付いたか!」
「私だって。貴方が私の家族に意地悪をする度に傷付いているんですよ」
「だってそれは仕方がないことじゃないか」
「…下鴨家と夷川家だからですか」
「そうだよ。だから仕方がないの!」
長い年月ライバル関係である下鴨家と夷川家だから、下鴨家の狸たちは意地悪をされても仕方がない、というのは暴論が過ぎると桃玄は流石にカチンと来た。
しかしその金閣の"仕方がない"という考えは、彼からの桃玄への態度を見ると辻褄が合わないのではなかろうか。
桃玄は納得がいかないと喰いついた。
「私も下鴨家の狸ですよ。私に優しく出来るなら私の家族にも優しく出来るでしょう!」
「そ…それは別問題!」
「どう別問題なんですか!」
「こればっかりは教えられないよ!」
「何故ですか!教えてくれなくちゃ、わかる物もわからないでしょう!」
この話題になると突然たじろぎだした金閣。その変化に気付くと桃玄はより一層彼に詰め寄った。
前々から不思議に思っていたが、金閣銀閣は阿呆だから、と深く考えない様にしてきた謎である。矢三郎は「邪な考えがあるんだ」なんてことを言っていたが、ついにこの謎を追求する機会だ!と桃玄は奮起した。
しかし壁まで詰め寄られた金閣は、桃玄をドンと押し退けて彼女から距離を取った。
「ちょっと、金閣!」
「…もう!桃玄の分からず屋ぁ!」
そう捨てセリフを吐き捨てて、金閣は今し方歩いて来た廊下を駆け戻って行った。
呆気に取られ、小さくなっていく金閣の背中を眺めていると突然彼はピタリと足を止めた。そうしてくるりと振り向くと、桃玄に向かって叫んだ。
「事務所で矢四郎を好きなだけ待ってればいいよ!夷川親衛隊にお茶を持たせるから!」
それだけ言うと、金閣は駆け足でニセ電気ブラン工場への道を引き返して行った。
相変わらずな謎と少しの苛立ちが、理解不能な面白さで上書きされてしまった桃玄はやるせ無い気持ちになったのだった。
………
2025 11.03