
06
あのね、と、アルマが振り向いた。
「ナノ。ぼくたちは、生きてちゃいけないんだって」
アルマはいつもの通りに笑っていて、いつもの通りに立っていて、その体にこびりついた血液だけが、いつも通りではなかった。
手には何か、鋭い刃のような、羽のような何かを持っていて、べっとりと血で汚れたそれをまるで箒かなにかのように持ちながら、アルマはわたしを見て、口を開く。
彼は何を言っているのだろう? わたしは何が何だか分からなくて、差しだされた、アルマの手をとることも出来なかった。そこにこびりついた、鈍い赤い色が恐ろしかった。
わたしが手を振り払ったのを見て、アルマは少し驚いた後、なんだか、泣きそうな顔をした。
ハッと目を開いた。どうやら、昔の夢を見ていたらしい。あの研究所での出来事だ。もう、何年前になるだろうか。
随分と昔の事のように思えたけれど、わたしはあの時の何も知らなかった子供だった頃から何も変われていない。何処にも進めていないし、何も選べていない。
体中、べっとりと汗をかいていた。
割り切ってしまっていない、後暗い過去のことを思い出したせいだろう。胃のあたりがむかむかと痛むし、じわじわとわいて出た生唾を飲み込むと、なんだか変な味がした。
「泣きたい……」
無性に寂しくなって、ただ、こんな時間ではどうしようも無いから寝返りをうつしかなかった。
ころころと幾度か体の向きを変え、それでも落ち着かない気持ちばかりが募るから、わたしは起き上がることにした。
明け方、もう太陽は登りかけだ。すこぶる寝起きの悪いわたしが、こんな時間に起きるなんて珍しかった。 夢のせいだろうか。
簡単に身支度を整えてから部屋の外に出る。明け方の空気は冷たいけれど、きっちりと着込んだ団服のおかげであまり寒さは感じない。ミニスカートをやめた途端これなのだから、多分それが良くなかったのだ。今後も団服を変える時はこのくらいの丈をリクエストしておこう。
ふわふわする思考のままぼんやりと歩いていると、広場になっている場所に出た。新しい本部には森がない。いつもユウ達が鍛錬と称して使っていた森は無くて、この広場が多分、それの代わりだ。
ユウはアレンくんと一緒に、今は任務に行っている。行先は確か、フランスだった気がする。
あの二人はよく喧嘩こそしているが、なんだかんだ相性はいいのかもしれない。よく任務で組まされることがその証拠である。
「ナノ」
呼びかけられて、振り向いた。
見慣れた黒い濡れ羽色の髪は肩口に届くボブヘアにまで伸びている。ぱっちりとした濃い紫の目は朝日を浴びていつも以上に光って見えた。
「リナリー、」
「こんな時間にナノが起きているなんて珍しいわね、どうしたの?」
「夢を……夢を見ていて、そのせいで目が覚めちゃったの。わたしも本当に珍しいと思う。いっつも起こされるまで寝ているもの」
わたしがへらりと笑うと、リナリーもちょっとだけ微笑んだ。
「そうね、今日は神田も居ないし、私が起こしに行かなきゃだなって思ってたのよ」
「えぇ、大丈夫だよ、多分」
「急に任務に呼ばれるかもしれないでしょ」
「そうだけど……」
もう、と怒ってみせるリナリーが何だかお姉さんに見えて、わたしはまたへらへら笑った。
わたしの方が、お姉さんの筈なんだけどなぁ。全くそれらしく見えないのが不思議である。
だって、「わたし」の姉さんはこういう人だった。
そんなふうに思ってしまって、何でそんなことを思ってしまったのかが分からなくて、とにかく不思議だった。わたしの姉さん……? わたしに、姉なんていない。
兄のように慕っていたアルマやユウは居るけれど、姉なんていないのだ。
「ねぇ、なんの夢を見ていたの?」
口もとを引き攣らせたわたしに気付かないのか、気付いて話題をそらそうとしているのか、リナリーそう言われて、言葉につまってしまった。
「えっとね……」
言い澱んで、ちょっとだけ、下を向いた。
「昔の夢だよ」
わたしは頑張って、精一杯薄っぺらく、へらへら笑って見せた。