
08
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イノセンスを発動して、ゴズさんを守るために、薄い水の膜で包んだ。
「その中にいれば、大丈夫です。もし、わたしが殺されて駄目になったら、急いで逃げてください」
できるだけ落ち着いたように聞こえるようにつとめて、ゴズさんへ語りかける。
何十体も現れたアクマに対して恐れおののいているのか、ゴズさんはガクガクと勢いよく何度も頷いていた。
ユウが六幻を使って襲いかかってくるアクマを切り裂いていくものの、如何せん数が多く、キリがない。レベル1のアクマたちを倒しても、その後にはまだレベル2がいる。
となると、わたしがイノセンスを解放するのが、この場を切り抜ける最善の方法なのだろう。けれど、イノセンスの解放は最終手段だ。イノセンスの解放は体に負担が大きい。一応使っても死にはしないけど、しばらくわたしは動けなくなる。だからリナリーや、ユウには、できるだけ使わないようにと止められている。
「ユウ、危ない!」
グラスから、イノセンスから水があふれでて、ユウの背中に迫るアクマの動きを遮った。ぎゅう、とグラスを握る手に力を込めれば、水はピキリと音を立てて凍りつく。
わたしは続けて、周囲を漂うアクマたちに視線を向けた。わたしの意識に合わせて水が踊るようにうねり、流れ、アクマたちを絡めとっていく。動きが制限されたそれらを一箇所に集めて、ちらりとユウを見る。
「界蟲一幻!」
ユウが六幻を横凪に振るった。
刀から現れたものたちに食い尽くされるように、アクマたちは瞬く間に消えていった。
流石の攻撃力だ。
これでレベル1のアクマはほとんど……いや、残らず倒しきった。
残るはレベル2の、アンジェラさんだったアクマだけ。
普段わたしたちがレベル2のアクマにはあまり遭遇することはないが、資料では知っている。レベル2以上のアクマにはそれぞれ固有の能力があるという。
彼女にもきっと、何かがある。
「わたしには、かなうかしら」
にんまりと、魔女が笑う。
「ほざけ」
「大丈夫……です」
わたしはグラスを体の前に掲げ、ユウは六幻を構える。
しかし、その途端に、ふうわりと体が浮いていく感触がした。
ああ、これが、彼女の固有の能力なのだ。
わたしは静かに悟った。まんまと術中に嵌められてしまったのだ。
一瞬真っ白な空間が見えたと思って、あまりの眩しさに目を瞑る。
そうして次に見えたのは、目を覆いたくなるような惨劇の起こった、わたしの生まれた、あの、場所だった。
わたしは、ここへ戻ってこれたのだ!
崩れ落ちそうになる体を必死に押さえつけて、わたしは辺りを見渡す。
そこには、アルマがいる。ユウがいる。エドガーや、トゥイや、みんながいる。
痛く、苦しい実験は辛いけれど、呪符の馴染みや効果がどうとか、いろいろ言われるのはとても辛いけれど、それでも、なによりも大切なあの二人がいる。
「ボクはナノのお兄ちゃんみたいなものなんだから!」
にっこりとわらったアルマは太陽のようで、泣いていたわたしに静かに寄り添いながらあやしてくれるのはユウで、わたしとさして変わらない、小さな手で頭を何度も、何度もなでてくれるのはとても、心地が良かった。
ここには、もう二度と戻れないと思っていた。もう二度と、手に入らないと分かっていた。
それでも、今、目の前に、みんながいる。笑っていられる。
文字がわからなかったわたしに、本を読み聞かせてくれるのはアルマだった。
むかしむかしあるところに……そう始まる物語はわたしの知らないものをたくさん含んでいて、それでもどこか懐かしい。
物語自体もとても心地の良いものだったけれど、わたしが一番心安らいだのは、アルマがわたしに話しかけてくれる時だった。
本の中に出てきた兄というのは、きっとこういう存在なのだ。アルマがわたしの、お兄ちゃんなんだ!
わたしはそれを信じて疑わない無邪気で愚かな子どもで、目の前に映るあの頃の風景は一転して、あの、思い出したくもない惨劇へと姿を変える。
また、繰り返してしまうのだろうか。血塗れの惨劇を。
「ナノ!」
大きく叫びそうになった時、わたしの目がはっと冴えた。
そうだ、わたしは任務でダンケルン村へ来ている。そしてアクマと戦っているのだ。
――そう、今までのことは夢だったのか。ユウがそれに気がついて、わたしを夢から目覚めさせてくれた。
「これが、あなたの能力なのね。わたし、あなたにお礼を言わなくちゃいけないかもしれない。だってまた、あの人に会えたから」
ユウは何も言わなかった。
わたしが幻覚を見せられていたからか水は弾け、濡れたゴズさんが少し遠くに佇んでいる。
「ナノ、下がってろ」
「ううん。ユウ、わたしがやるわ」
きっとユウが負わせたのであろう深い傷が、アクマの体に刻まれている。
わたしがやることは、とどめを指すだけ。
「安らかに眠ってください、アンジェラさん。――」
技の名前を小さく口に出すと、刃のように、細く鋭い水が音もなく飛んでいく。わたしの第一解放だ。
アクマ……ううん、アンジェラさんは血を吐きながら叫んでいた。その姿はおぞましいアクマの姿をしているはずなのに、頼りなく、寂しげで、まるで一人ぼっちの小さな子どものようだった。
ゴズさんが彼女に駆け寄って、慰めるかのようにそっと、手を伸ばした。
「わたしは魔女。……誰かの優しい手の中で、死んでいくわけにはいかないわ」
ゴズさんの伸ばした手は彼女に触れられなかった。静かにアンジェラさんは塵となって消えていく。わたしのイノセンスのせいで濡れた頬が、まるで涙を流したように光っていた。
今回も、これで終わり。
またわたしたちは、人の、人生という物語を壊しながら、アクマと戦う。
言葉に言い表せそうにないくらいに不安で、悲しくて、技を使ってしまったから命を削ったこともあってか、ゆらりと体が揺れる。
「無理すんな。休んでろ」
「あはは……ありがと」
すっと、ユウに抱えられてたった一回技を使っただけでぼろぼろになってしまったわたしは、そのまま意識を手放した。
そう言えば、アンジェラさんの能力で見せられた幻覚。ユウは一体、何を見たのだろうか。