私の任務は情報を聞き出す。そうただそれだけ、それだけの事なんだ。そうやって自身の頭に言い聞かせ彼女はいつも冷静を繕っている。
「名前、明日の予定なんだが……」
「……はい。お待ちください。……スパンダム長官」
淡々と作業をこなす(偶に珈琲を零すが)上司からの一言で、本革で出来た少し厚みのある手帳を開くと、目の前の人物に視線を移した。
このエニエス・ロビーの建物内でも恐らく1番広いであろう長官室で向かい合う2人は傍目から見れば上司と秘書という関係を思い浮かぶだろう。
だが、それだけではない。
表面には決して見えることのない、いや見えてはいけない中の関係というものに彼はまだ気づいてはいないのだろう。
「で? そっちの予定はどうなっている?」
「は? ……そっちの予定?」
名前はこの男が聞いている意味が分からず、言葉を復唱すると眉を寄せ沈黙した。
「……ふっ。お前が本当に報告するべき組織のことだよ」
「! ッなんのことで」
「バレねェとでも思ったか!」
そう名前が情報を聞き出し、上に報告する組織は今いる海軍ではなく、それを潰そうとしている革命軍であった。
彼はそれを知らないと思っていた。
ゆっくりと、開いていた手帳を元の気難しい表紙が見えるよう戻すと。
バレてしまったのなら仕方がない。そう脳内で切り替え名前は、常々携帯していた短剣に手をかけ彼との間合いを取ると、ぽつりぽつりと話し出した。
「.........いつから?」
「変だと思ったのは3ヶ月くらい前だな」
「訳を聞いても?」
3ヶ月前だと聞いて名前は焦った。
彼女がこの任務についたのはここ半年前辺りだ。なのに、たった数ヶ月でボロが出たのか。しかも部下からも「無能だ」と言われている対象者にだ。
「訳だなんだってンな大した事じゃねェけど。.........前任のアイツが、完璧なアイツが急な辞令でクソ田舎の駐屯地に飛ばされたのが解せねェと思ったのが最初だ」
「……」
「それから名前を見てるとだ。コソコソと何かを嗅ぎ回ってるじゃねェか」
「……それで、私が革命軍のスパイだど?」
「え、革命軍なの?」
「……はぁ?」
先程までの殺気立った空気とは違い、いきなり間の抜けた雰囲気に変わり2人ともが顔を見合わせた。
「他の機関のスパイじゃねェの?!」
「違いますけど。革命軍ですけど?」
この腑抜けた空気に耐えられなくなった名前は「それがなにか?」というような態度である。
「おれ他の諜報機関のスパイだど思ってたんだけど?!」
「違いますよ。やめてください! 革命軍のスパイです!」
「ンなハッキリ言うなよ。という事はアレか? おれは革命軍のヤツが恋人か?!」
「そうですけど?」
そう。この2人はまだ表には見えてはいけない関係があり、それが恋人という関係だ。
その関係は名前が任務に着いて早々始まった。どうやら最初は恋人という関係も仕組まれていたようで、名前はそれでも頭を悩ませていた。
「……じゃ、じゃあおれとの」
「違います」
「!! それはどういう意味で」
「……」
スパンダムは、もしこの関係が任務の一環であり彼女の中に自分の存在がいないのであれば、彼自信にとって残酷な決断をしなければいけない。
「……私はもう革命軍に居場所はありません」
「ッ!」
「ここ数日の報告は全て嘘です」
「……お前ッ」
彼女がスパンダムに視線を寄こすと、その瞳には全てを諦めた「無」に近い、それでも何かに縋りたいようなそんな苦しくなるものがあった。
「おれしか知らないンだよな?」
「……はい」
「なら、おれは何も知らねェ、聞いてねェ」
「え?……でも」
「名前、明日のルッチたちの予定は?」
「え、ちょっ、待ってください! 手帳?!」
急な言葉に指先がもたつき、持っていた手帳をバタバタとさせると落としかけたが、何とか指定された予定の確認が出来た。
だが何故今のタイミングなのだろう?そう思わざるを得なかった。それが顔に出たのだろう、彼女は対象者でもあり上司でもあり、そして恋人でもある彼をまた見つめなければならなかった。
「秘書が恋人ってなかなか興奮すんだよなァ」
「はぁ?」
「あ? なんか変なこと言ったか?」
「……セクハラです」
「カリファみたいな事言うなッ!」
いや、今のは完全にセクハラだ。
だが、名前はそれよりも自分の処分の方が気になった。もしかしたら海兵たちがなだれ込んで来るのではないかとヒヤヒヤしているというのにこの男は何を言っているんだ。
「……だからよ。明日のルッチたちの事が終わったらだが、……その。アレだ、デ、デート? しないか? って思って」
「ほ、本当に言ってますか?」
「ンな恥ずかしい事嘘で言えるかってんだ!」
名前の中にある冷たく痛んでいたのを溶かしてくれるこの不思議な感情はなんだろう。
じわじわと優しく、それでも不器用に溶かしてくれるそれに名前は、今まで知らなかった感情に流されるまま浸ってしまおうと思った。
「そうですね。では今お書きになっている書類を速やかに終わらせてください。それをまとめるのも私の、秘書の仕事ですので」
「わ、わあってるよ!」
「それに早く終わらないとお楽しみが減っちゃいますよ? スパンダムさん」
「ッ! 知ってるわンなこと!」
自分から言い出したくせに彼女から名前を呼ばれただけで赤くなるこの男からは、つい数刻までの彼女への不信感はなくただただ秘書へ、いやそれ以上の感情が見えていた。
「スパンダムさん、早くしてください。変な顔してないで」
「き、急に名前を呼ぶなって! て変な顔ってなんだよ!」
「面白い顔ですね」
「お前はッ!」
「……まァ、その顔も好きですよ?」
「ッ! や、やめろ! ヴァカか!!」
「ふふふ」
2人の間には以前なら見えてはいけない糸のようなモノが確かにあった。だが、それを切断するでもなく自然な形で解いていき、また別のまっさらな誰かに見せたくなるような糸を紡ぎ直していった。
彼らの糸はこれから緩むことなく、結ばれるはずであろう。
「本当に早くしてください。その書類今日までにまとめないといけないので」
「はい、すみません」
−END−